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神坂 理樹人
神坂 理樹人
novelistID. 34601
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主人公症候群~ヒロイックシンドローム~

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 寒い日々もようやく終わりを告げ、これからは変化と出会いの春がやってくる。それだというのにこの退屈で変わらない日々は誰の陰謀だろうか。人工的に温められた教室はただでさえ弛んだ少年の気持ちを甘美な眠りへと誘おうとしている。
 解けそうもない問題を写し取っている自分の右手を正義はじっと見つめた。本当にこんなことをするためにこの手はあるのだろうか? そんな言いようもない疑問に駆られるのはしょっちゅうだ。
 『自分は特別な存在だ』
 それは誰もが一度は夢見て、大人になるために忘れていかなければならないことだ。だが、幸か不幸か、正義という男は未だに少年らしい願いをその心の片隅に残していた。
 力と技ならばずいぶんと身につけた。幼少の頃から本当に自分の親なのかと疑うほどの厳しい修行を、正義はいつかこの力を振るい、英雄と呼ばれたい、その一心で耐え続けてきた。少年は強くなった。自宅のあらゆるところに飾られた空手大会の表彰状とトロフィーは正義本人も正確な数は知らない。
 テレビや雑誌の取材も何度も受けた。そのたびに正義は満たされない思いを内に押し込めながらまだまだこれからだと繰り返した。
「俺が求めているのはそんな飾り物じゃない」
 そう何度口にしようと思ったかはわからない。正義にとっての特別とは、悪を挫き、正義を為し、周りから称えられること。それが全てだ。
 いかに力を磨き、精神を高めたといっても、悪役がいなければ、ヒーローは存在しないのだ。それ故にいつも正義がヒーローでいられるのは彼の頭の中だけだった。
「おい、ジャス。早く写さないと黒板消すぞ」
 クラスメイトの声にはっと我に返る。止まったままのシャープペンシルがノートに黒い穴を開けている。
「悪い。すぐ写すから、十秒待って」
 自分の最大の欠点は欲求を満たすために妄想に耽ることかもな、と正義は自分を笑った。
 テスト期間が終わってからは春休みまで半日授業が続く。中途半端にこんなことをするくらいなら普段通りに一日に授業を詰め込んで、その分早く休みをくれればいいと思うのだが。世の中には知らない事情がたくさんあるもので、これもまたその一つなのかもしれない。
 正義は一人帰り道を歩きながら、まだ肌寒い風に体を縮めていた。こんな時でも、今あの曲がり角から暴漢が飛び出して来たら、急に車が飛び出してきてヤクザが因縁をつけてきたら、と考えると口の端から笑みがこぼれる。
 正義はこの道が好きだった。近道として突っ切っている住宅街の一角は、隣家を嫌うようにどこも高い塀で自分たちを守っていて、道がひどく狭くなっているように感じられた。そのおかげで死角の向こうにひたすらに現れるはずもない敵を想像することができ、帰ってから始まる辛い稽古のモチベーションになっている。
 一五人目の悪人を前蹴りであしらい、正拳突きで膝をつかせた。さて次はどんな奴が現れるか。すっかり上機嫌になった正義は軽やかに上段回し蹴りを空に放つ。こめかみに当たれば誰でも意識が遠のくだろう。さて次のあの角からは。
「たまには女の子が追いかけられたりしているのも悪くないかな」
 ヒーローの条件は、守るべき人がいることだ。できることなら綺麗な女の子がいいと願うのもまた、英雄志望の夢かもしれない。馬鹿馬鹿しいと自分を笑ってみる。
 しかし、果たして一人の少女が曲がり角から駆け出してくる。額には汗を浮かべ、怯えた表情を浮かべていた。明らかに日本人ではない白銀の髪と大きな瞳が、正義を見つめていた。
「お願い、助けて」
 震える小さな手が正義の手を掴む。どれほどの距離を逃げてきたのだろうか? その体温は熱くすら感じられた。
 これは妄想か? 自分の意識外で何かが起こっている錯覚に陥る。違う、現実だ。掴まれた少女の手を強く握り返した。
「いたぞ! あそこだ」
 走ってくる男が二人見える。顔は少女と違い日本人のようにも見えるが、服装はおよそそうとは思えないものだった。近世西洋風の簡素な軍服、といったところだろうか。体に合ってはいるが、決して動きを制限するものではない、戦うための飾り気のない服だった。コスプレにしては地味すぎるし、こんな都会のベッドタウンにもならない中規模都市の住宅地には似合いそうもない格好だ。
 何かあるな。正義は直感的にそう感じた。こういう時、普通の人間なら厄介ごとに巻き込まれたと自分の不幸を嘆くか、今からでも遅くはないと脱兎のごとく逃げ出すのが正しい。だが、正義はそのどちらでもなかった。
 いま彼の心にあるのは二つだけだった。
 ついにヒーローになる瞬間が訪れたという喜びと、誰にも憚ることなく悪を討つことができる高鳴りだった。
 正義は少女の手をそっと離し、自分の影に小さな身を隠させる。左足を一歩前に出し、持っていた軽い鞄を路上に投げ捨てた。ほっと安心したように少女はその場に座り込む。
「おい、お前。その娘を渡してもらおう!」
「お断りだ、悪党ども。欲しけりゃ力尽くで来い」
「なんだと? わかっているのか? そいつは」
 言い終わらない内に正義の左拳が長くなりそうな口上を遮った。無防備な腹に一撃をもらった男から、はっ、と声にもならない空気の塊が白くなって吐き出された。くの字に折れた体に一切の情もなく、右の肘を顔面に浴びせる。衝撃にしりもちをついて無様に倒れた姿を見ることもなく、隣で呆然としていた男を見つめた。
「お前もこうなるか?」
 戦意を失った男を指さしながら低くつぶやいた。どちらが悪役だったかと自分でも疑問になるほどの声だった。くっ、と小さく呻いた男は地面を蹴って正義から距離をとると、腰に下げていた柄に手をかけた。
「お前は、違うようだな」
「何が言いたい?」
「ならば恐れることはない。覚悟!」
 どこか怯えていたようだった先ほどとは違う、気合いの入った声だった。同時に腰から白刃が放たれ、正義の鼻先に突きつけられる。身じろぎこそしなかったが、明らかに気勢は向こうにあった。
 油断していた、と正義は思った。いつも武器を持っている相手を想像していながら、どこか平和にボケた頭で、腰に下げている剣が本物だとはつゆとも思っていなかった。
「さぁ、まだやるか?」
 形勢は逆転していた。一歩下がった正義に剣の切っ先がついてくる。
 これ以上は下がれない。怯えていた少女が逃げていないことはわかっている。彼女がもう逃げられそうもなかったこともわかっていた。死への恐怖はない。そこにあるのはヒーローになりきれずに死んでいく、認めたくない自分の未来への恐怖だけだ。
 一か八か。剣先をすり抜けて潜り込む。この際、左腕が少々切れてもしょうがない。踏込みに剣を合わせられたら死ぬだけ。分の悪い勝負だ。
 正義は不敵に笑った。ヒーローの条件は、苦難にも顔を歪ませないことだ。
 左足に力を込めて、体を右に振る。幸い敵は意表を突かれたようで、顔に剣が刺さることはなさそうだ。驚いた顔に全霊の正拳を叩きこむため、右足で地面を強く蹴る。
「こっち!」