(続)湯西川にて 31~35
(続)湯西川にて (32)おなごの持つ情念の深さ
地唄舞「雪」は、思う男に捨てられ、
尼となった女の本性をうたったものです。
独り寝のさびしさに昔の思い出を追い、つれない男をいまでも
思い焦がれている女ごころの哀しさを、存分に表現をしていく艶物と
呼ばれる演目です。
しみじみとした女の哀愁と、物音ひとつ聞こえない雪の夜の静けさを
清子が、舞いと共に粛々と細い声のまま歌い上げます。
♪『花も雪も 払へば清き袂かな。ほんに昔のむかしのことよ』
花の雪も、実に美しく好ましい物でありながら、
一面移ろいやすく、頼みがたいものでもある。
執着することの無為を悟り、今は全てを払い去って、
袂も軽々とした清い心境で、俗塵に煩わされるものは何ひとつないはずだ。
ああ、・・・・思えば遠い昔のことであった。
お互いに相愛の情に繋がれて、私が待つ人も、私を待った夕べも
たくさんあったことであろうに・・・・
♪『わが待つ人も我を待ちけん。鴛鴦の雄鳥にもの思ひ。
羽の凍る衾に鳴く音もさぞな。さなきだに心も遠き夜半の鐘』
しかるに、男心の変りやすく、鴛鴦の雄鳥の無情さに、
目鳥が世寒の声も、さぞかしと思いやる身の上になり、そうでなくても、
気が遠くなるような心細いばかりの、夜半の遠寺の鐘の音などが聞こえて来る・・・・
曲の途中で、夜に響く鐘の音を表現をした三味線の、
たいへんに長い合の手が入ります。
雪そのものを表現しているわけではありませんが、これが大変に美しい響きで、その旋律の断片は、劇場三味線音楽などにも取り入れられ、
劇中で、雪の場面を表す時に、しばしば使われています。
新内節の「蘭蝶」雪の場面での音楽は、その代表格ともいえるでしょう。
♪『聞くも淋しきひとり寝の 枕に響く霰の音も
もしやといつそせきかねて 落つる涙のつららより
つらき命は惜しからねども 恋しき人は罪深く
思はぬことのかなしさに 捨てた憂き 捨てた憂き世の山葛』
その鐘を一つ二つと数えている淋しい独り寝に、
霰の音が、ぱらぱらと枕に響いてくる。
もしや昔の人が戸を叩くのではないかと欺かれては、
咽び泣いたこともある。
このようなつらい命は今更惜しくはないが、
変らじと誓った人が私を顧みないのは、深い罪であるまいかと、
それが気にかかって、捨て去った浮世ではあるが、
なお、かの人のことが懸念されてならない・・・・
舞い終わった清子が、余韻を引いて絹張りの傘を静かに閉じていきます。
裾をあらため居ずまいを正してから、畳へ座ります。
一度だけ呼吸を整えた後、深くゆっくりと畳に届くまで、
頭を下げていきます。
「つたない芸のご披露で、お目を汚してしまいました。
舞いを始めて、早10年。
本日もまた、若干の後悔などをのこして終演と相成りました。
芸の精進というものには、はるかに長き道ゆえ、途中に通過点はあれども
その道に、終着駅はありません。
女が、命を賭けると本気で決めた芸道ゆえ、私は一生を舞いに
ささげる所存です。
お気にめしていただけたでしょうか。本日の清子の演目は」
深く頭を下げたまま清子が、鬼瓦へ問いかけます。
「うむ。」と答えただけで、鬼瓦が目を見開きます。
腕を組み、しばらくの間、両眼を閉じて顔を天井へ向けてます。
赤い顔を見せたまま黙すること数分、やがて観念をしたように鬼瓦が
両眼を開けます。
「よくわかった。お前さんの言い分を、全て聴く。
なんとも凄まじい芸を見せてもらった。
舞いの所作の随所から、妖しい女の気配というものがひしひしと
波のように、わしの処へ押し寄せてきた。
おそらくは・・・・娘のさきに関する言い分が、
山ほど含まれておるせいだろう。
芸に身をささげ抜くという女の覚悟の境地も、存分に見せてもらった。
よし。言い分を全て聞くから、なんなりと遠慮なく申すがよい。
海に生きる男に、二言はない。
すべてを正直に、申せ」
「僭越ながら申しあげます。
女は子を産む身体ゆえ、俗に、子宮で
物を考えると古来より言われてまいりました。
殿方は、理性にて物事を考え、理知的に行動をなさるようにございますが、
女は、直感と呼ばれる本能のままに、すべての物事を判断いたします。
ゆえに、女の情念は深淵すぎ、その底は、到底に
覗き見ることなどが出来ませぬ。
女というものは、本能と執念だけで生きぬいていくという、
きわめて厄介な生きものです。
ゆえに女は、いつでも美しく見せ、また常に明るく、
健気にふるまい、また常に哀れと言えるほど、
どうしょうもなくつかみどころのない、あやふやな生きものです。
あたらしい生命を授かり、その生命を産む者は、
生まれ来るその新しい生命のために、
おのれの命を賭けて、なりふりなどをかまわずに、
すべてをかけて守り抜こうといたします。
それゆえにすべてをかけて、産みたいと心から願うのは、
いちばん恋しい男の、新しい生命に他なりません・・・・
これ以上は申さずとも、もう、鬼瓦さんには、
すべてがおわかりと存じます。
これが本日、清子が舞うことの出来る精いっぱいの舞台です。
本日は、大変にありがとうございました。
まことに感謝に堪えません」
「いやいや。
感謝すべきは、わしのほうであろう。
二度と目にすることはできないだろうと思うほど、
いいものを見せてもらった。
正直、身震いをした・・・いやいや、背筋までも凍りついたようだ。
惚れてしまったおなごは、生涯にわたって、
その男に忠誠をつくすというのか・・・・
今の時代にそこまで言い切きるには、よほどの覚悟が必要であろう。
だがそういう女が、この世には、まだまだ沢山いるということだ。
思えば、若くして亡くなった、さきの母親もそう言う女のひとりであった。
なるほどのう、まさに、そういうことか・・・・
そうでなければ、あれほど見事には踊りきることはできないであろう。
よし、よくわかった。
すべて受け止めて、わしもここで決断を下すこととする。
岡本君。
前言のすべては、たった今、この場にかけてすべてを撤回する。
何も言わん。
そのかわり、娘のさきを必ず幸せにしてほしい。
それだけが、親として、君に心からお願いしたい俺の本音だ。
若頭。お前もそれでいいだろう、
そう言うことで、お前を決着をつけてくれ。
さて清子さん・・・・鬼瓦とは、実に旨い表現だのう。
で、どうだ。もうひとつ、お祝いとして、さらに舞いなどを所望したいが、
受けてくれるかのう」
「喜んで。
それでは皆さまで、ひとつ賑やかに『かっぽれ』でも、いかがでしょう?
丁度、カセットテープなども持ち合わせてまいりました。
皆さまで賑やかに、宴席などを盛り上げましょう」
「なるほどのう・・・・
舞の腕前ばかりではなく、器量も段取りの良さも日本一のようだ。
作品名:(続)湯西川にて 31~35 作家名:落合順平