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(続)湯西川にて 31~35

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(続)湯西川にて (31)清子の18番(おはこ)


 「たいへんお待たせいたしました。
 思いのほか支度などに手間取りまして、遅れての
 登場とあいなり申し訳ありません」

 地唄舞用の純白の衣装に着替えた清子が現れ、そう口上を述べたとたん、
男たちの口からは、思わず感嘆の声などが漏れていきます。


 「本日は、清香が得意とする、
 地唄舞(じうたまい)のご披露などをいたします。
 地唄舞は、江戸時代後期に生まれた日本舞踊のひとつです。
 主に大きな舞台などで舞われる、華やかな日本舞踊などとは
 趣が異なりまして、
 きわめて、ゆったりとした静かな所作などが特徴的な踊りです。
 お座敷に蝋燭を灯して舞われてきたことなどから、
 座敷舞とも呼ばれてまいりました。
 静かな動きの中に、情感などを込めて舞いますこの地唄舞は、
 畳一畳の小さなスペースの上で、主に
 女の憂いや、哀しみ、情念や艶などを表現いたします。
 動きが少なすぎることから、俗には『半畳舞い』
 などとも呼ばれています」


 「ほう。地唄舞とな。・・・・わしも初めて聞く踊りの名だ。
 地歌ならば聞いたことは有るが、
 それに舞がつくとは、まったくの初耳だ」
 

 「地唄舞は、関西の上方舞がその源です。
 屏風を立てたお座敷などで舞う素踊りが、その基本と言われています。
 御殿舞や能を基本にした静的な舞に、人形浄瑠璃や歌舞伎の要素を
 取り入れた、しっとりとした内面的な舞い方をするのが、
 特徴と言われています。
 歌舞伎舞踊よりも抽象的で、単純化された舞踊の表現などを
 常といたします。
 伴奏に、地唄が用いられることから、地唄舞とも、
 呼ばれてまいりました」


 「なるほど、それは楽しみだ」


 「本日の演じる舞は、地唄舞での最高峰といわれる『ゆき』にございます。
 男に捨てられて出家をした芸妓が、雪の降る夜の一人寝に、
 浮世を思い出しつつ、涙をする、という内容の
 艶物(つやもの)でございます。
 あいにくと季節のほうは、真夏に向かう途中に有りますが、
 しんしんと降る真冬の雪の様子や、男を想う女の深い情念ぶりなどが
 皆さまに伝われば、舞う清香も本望でございます。
 久し振りの地唄舞の舞台です。
 本日は、精魂込めて、力いっぱいの舞台を
 つとめさせていただきます。」


 純白の着物に、白地の絹張りの傘を持った清子が、静かに立ちあがります。
さきが用意をしてカセットからは、乾いた三味線の音が部屋いっぱいに
流れてきます。


 「立っただけで舞台に花が散る。
 後ろを向いただけで・・・・舞台一面に雪が降る。 
 その立った姿の素晴らしさ・・・・
 そんな無限の表現を求めて、私は、生涯、お座敷にて踊りまする。
 それが湯西川の芸者、清香の生き方にございます」

 
 
 地唄舞「雪」は、地歌の「ゆき」に、
後世になってから舞が振り付けられました。
大坂の新地で芸妓をしていたソセキと言う女が、男に捨てられた寂しさを
慰め、紛らわすためにつくったと言われています。
武原はん(昭和期に活躍した上方舞を代表する日本舞踊家)の生涯の代表作の
ひとつとしてきわめて有名になった作品です。
また、上方舞を代表する曲目として「雪」がひろく知られるようになったのは、
彼女自身の名演によるところが大きいとも伝えられています。


 純白の着物に、白地の絹張りの傘という演出方法は、
彼女によって編み出されました。
独特の叙情的な色気のあふれる彼女の舞は、地歌にはなじみがうすい
東京でも、地唄舞の評判を高め、広く浸透をさせました。
余談になりますが、日本画家の小倉遊亀は、この武原はんをモデルにして、
渾身の一作「雪」という逸品を描きあげています。


 歌いだしまでのかなりの時間にわたって、静かに
三味線の音色だけが流れ続けます。
それはまるで、実在をした大坂新地の芸妓ソセキの、心の寂しさを
歌い上げるように、高く低くいつまでも響き続けます。



 雪の降る夜の一人寝に、浮世を思い出して涙をする、という内容は、
今は出家し清い境地にいることを表現した「花も雪も払えば清き袂(たもと)かな」という文句で、その謡いが始まります。
やがて・・・・三味線の音色に乗って、清子の細い歌声が室内に凛と
響いて流れ始めます。
恋に身を捨てた女の、わびしさを存分に滲ませる場面から地唄舞の名作、
「雪」の舞台の幕が上がります。


 柔らかく中腰に立ったまま、絹張りの白地の傘を斜めに突き、
妖艶な輝きを放ち始めた切れ長の黒い瞳は、上空を見つめ、充分すぎるほどの
間合いをよっくりと過ごしてから、やがて清子の全身から、
妖しい女の気配が立ちのぼります。