Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ
小さく紡がれた詠唱は一抱えはある火球を右手の先に生み出した。それはリゼが制止する前に空を駆け抜け、二人の悪魔祓い師の元へ向かう。気付いたアルベルトが距離を取った瞬間、火球は悪魔祓い師の背中に着弾した。
燃え上がる赤い炎は悪魔祓い師を包み込み、焼き尽くそうと燃え盛る。しかし悪魔祓い師が焦った様子も見せず何か呟くと、赤い炎は四散して消え去った。焦げたローブが熱風で翻る。悪魔祓い師は標的をアルベルトからティリーに変えると、祈りの言葉と共に光の刃を放った。
その光刃をティリーは重力の壁を創り出して受け止めた。刃は標的を逸れ、別の方向へと飛んでいく。二撃目を放とうとする悪魔祓い師。それに向けて、ティリーは新しい術を放った。
『偉大なる大地に秘められし力。彼の者に戒めを。傲慢なる愚者を捕らえ地に臥させ給え!』
ティリーの詠唱と共に悪魔祓い師の周囲に重力場が発生した。襲いかかるか重力にさしもの悪魔祓い師も膝をつき、苦しげに呻く。踊る白い炎がティリーに向かうが、それでも彼女は逃げなかった。
重力魔術の魔法陣が一際強く輝いた瞬間、中心で膝をつく悪魔祓い師の姿がぐにゃりと歪んだ。その隙を狙ってリゼは氷槍を生み出し、悪魔祓い師へ奔らせる。避けることも出来ず、氷槍に貫かれた悪魔祓い師は無数の木の葉となって渦を巻きながら崩れた。同時に白い炎も掻き消えて、ティリーに届くことはなかった。
悪魔祓い師が消え失せた途端、全ての物が突如として静止した。将を失った騎士達は剣を構えたまま動きを止め、家々を飲み込む炎は揺らぐこともなくなった。悪魔祓い師を構成していた木の葉は飛び散ったまま動かない。音も熱風もない静止した空間。数瞬の沈黙ののちに空間は木の葉へと変わり、さらさらと崩れて消えて行った。
幻が消え失せた後には、元いた薄暗い通路が広がっていた。炎の跡もなければ、木の葉一枚すら残っていない。リゼ達以外に誰かがいる様子もない。それが分かったと同時に、立ちすくんでいたティリーがその場でがくりと膝をついた。
「・・・・・・わたくし、何をしてましたの?」
苦しげに息をつきながら、ティリーは呟く。それに、
「覚えてないのか?」
エゼールが足りなかったのだろうかとアルベルトは心配したが、ティリーは首を振ってそれを否定した。
「いいえ、覚えていますわ。貴方達のことも、ここに何をしに来たのかも、今まで何をしていたのかも。ただ記憶を失っていた間、感情に任せてとんでもないことを口走ったんじゃないかという気がするんですわ」
そう言って彼女は立ち上がると、ふう、とため息をついた。顔にいつもの笑みはなく、酷く疲れた様子だ。しかし、それもすぐに引っ込めると、いつもの調子で言った。
「よく分かりませんけど、わたくし記憶を失っていたんですのよね? そのせいで貴女達を攻撃したみたいで、申し訳ないですわ」
「――記憶は全部元に戻っているのね」
リゼがそう尋ねると、
「ええもちろん。特に空白はありませんから、抜けも漏れもないと思いますわよ? それにしても何が原因でこうなったのかしら。お二人はご存知ですの?」
首を傾げてそう問うてくる。それに対して、アルベルトがダチュラについて手短に説明した。種子の毒のことを知って、「なるほど、魔物に襲われた時に傷に入ったんですのね」とティリーは腑に落ちたという風に頷いた。
「ダチュラ、ね。植物は専門外ですから気付きませんでしたわ。人間を苗床にするなんて困った植物ですわね」
迷惑千万ですわ、とティリーは言う。その口調はすっかりいつもと同じで、記憶を失っていた時の怒りも憎しみもどこか寄る辺ない様子も、欠片も見られない。けれど、彼女が悪魔祓い師に対して見せた憎しみは確かで、
「ティリー」
「何ですの? アルベルト」
アルベルトは言わずにはいられなかった。
「君が過去悪魔祓い師にどんな目にあわされたのかは分からない。でも、俺は――」
「魔術師を殺してもいいとは思っていない、ですの?」
アルベルトの言をさえぎって、ティリーは言った。彼女はため息をつくと、アルベルトに背を向けてそのまま数歩進む。少し離れたところで立ち止まったティリーは、一呼吸おいてから振り返った。
「――昔々、この地で聖戦がありました。といっても、わたくしより貴方の方が詳しいでしょうけど」
そう言って、ティリーはアルベルトを見た。聖戦。それは古の刻、地上の支配権を巡って起きた天使と悪魔、マラーク教徒たるアルヴィアと悪魔教徒との戦いだ。七年に渡る戦乱の末、天より遣わされた神の子によって、アルヴィアと天使の勝利に終わったという――
「その戦いで、わたくし達魔術師は悪魔のしもべ、滅ぶべき異教徒とされて徹底的に虐殺されましたわ。聖戦が終わった後も、魔女狩り、魔術師狩りと称して多くの魔術師が殺されました。魔術師だけではなく、悪魔研究家も異教徒も。たとえ幼い子供であっても容赦なく火刑に処された。ミガー王国が創られた後も、それは変わりません」
淡々とティリーは感情を見せることなく歴史を語る。彼女はしばし言葉を切り、ため息をついて再び話し始める。
「わたくし達はそれを忘れることができないのです。同胞の苦しみを、決して。それこそ前後不覚になったら見境なく悪魔祓い師を襲ってしまうぐらいには」
「それは・・・・・・」
どう言えばいいのだろう。ティリーが言っていることは事実だ。アルヴィアは、マラーク教徒は、そして悪魔祓い師は、聖戦で多くの異教徒を迫害し、殺した。魔女狩りでも、ミガー独立戦争の時も、そして今も。神に従わぬ異教徒は全て悪魔の手先だ。悪魔の手先と戦うことが神のしもべの務めなのだと、賛辞と共にその事実を語り継いで。
「貴方がやったことじゃないってことくらい分かっていますわ。そしておそらく、貴方はそういうことをしていないでしょう。――本当はどうか分かりませんけどね。でも、貴方はわたくしを助けてくれましたし、感謝はしていますわ」
ありがとう。そう言って、ティリーはすぐに後ろを向いた。それから、それじゃあさっさと行きましょと言って、ティリーは足早に歩いていく。結局自分自身のことは一言も話さなかったが、その後ろ姿はこれ以上の詮索は許さないと無言で訴えているかのようだった。
「――異教徒だからといって、殺していいわけじゃない。そんなことは間違っていると、俺は思っている」
歩いていくティリーの後姿を見ながら、アルベルトは呟いた。隣にいたリゼが足を止め、無言でこちらを見つめている。
「ただそうであるというだけで命を狙われることがどんなに理不尽なことか、分かっている」
罪人だからと祓魔の秘跡を受けられず、魔女だからと火刑に処せられる。彼らにも事情があり、違いがあり、決して皆一様に悪事を為しているのではないことを汲み取ろうともしない。それは間違っている、と思う。
でも、考えてしまう。思ってしまう。
彼女らは何故、魔術師であることを、悪魔研究家であることを、異教徒であることをやめないのだろう? やめることも変わることも、決して不可能というわけではないはずなのに――
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ 作家名:紫苑