Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ
ゼノは丘の上にいた。
冷たい月の光が降りそそぐ中、生暖かい風が吹きつける。風の音のかすかにまぎれ込んでいるのは――魔物の咆哮だ。
「よし、いっちょやるか!」
巨大な大剣を握りしめ、ゼノは夜の闇の中へ駆け出して行った。
――がそのまま足元に落ちていた小石に足をとられ見事に転倒した。
「うごほぁあ!?」
雨水のしみこんだ湿った地面と思い切りキスをする。口の中に砂の味が広がり、嫌悪感にあわてて吐き出す。
「・・・ったく、どうしてオレっていつもいつもきまらねぇんだろうな・・・っと!」
瞬間ゼノは背後から襲いかかろうとしていた魔物に向かって、全体重を掛けた足蹴りをくらわせた。暗い靄を纏わせた巨躯が揺らぐ。
その隙を見逃すゼノではない。追い打ちを掛けるように踏み込み、抜刀した。
月の光を受けた刀身が閃く。確かな手応えの後、地響きを立て、魔物が地に沈んだ。
「さっすがオレ様!」
幼い頃からの悪友が聞いていれば阿呆かと切り捨てそうな台詞をのたまい、鍔を鳴らす。そうして、目をすがめて見た先には今だ靄に包まれた屍体があった。視線に反応するかのようにそれはひいていく。
「魔物、ねぇ」
そこにはただ、獣の屍体があるだけだった。
魔物退治屋。
それがゼノ・ラシュディの肩書きだ。
大自然が猛威を振るうこの世界では人間の生活を脅かす天災、災害は数知れない。しかし、嵐や凶作よりも恐れられているものがある。
悪魔。神に封じられた悪の化身である。
悪魔がいつから存在しているのか、それは分かっていない。少なくとも有史以前から存在し、その破壊の性に従い、あるものは人に、あるものは獣に取り付き、またあるものはその恐ろしい姿をさらしながら人類を殺戮し続けているのだ。
その悪魔に対抗するために生まれたのが悪魔祓い師、そして悪魔退治屋である。
悪魔祓い師とは神や天使の力を借りて悪魔と戦う者で、人に憑く、もしくは直接その姿を現すような強力な悪魔と渡り合えるほどの力を持つ。しかしその力は、特別な才とマラーク教の神への厚い信仰を合わせ持つ者にしか与えられない。当然、悪魔祓いもマラーク教徒にしか得られず、異教徒はその恩恵に与ることができないばかりか、唯一絶対の神以外を認めない彼らに邪悪な悪魔の手先扱いされるだけである。このため、悪魔を祓う力を持たない人々は否応なしに増え続ける悪魔、ことに最も数が多い悪魔に取り憑かれた獣――魔物からの自衛を迫られていった。そうして誕生したのが魔物退治屋である。
魔物は悪魔祓い師でなくとも倒すことが出来るが、それでも普通の獣よりも格段に生命力が強く凶暴で、それ相応に腕が立つ者でなくてはつとまらない、危険極まりない仕事だ。しかし、それでも魔物退治屋になる者は多い。
「今回のはあんまし手ごたえなかったなあ―。とっとと宿に戻ってメシにすっかー」
数分前までの激戦がウソのように、ゼノは能天気な口調でつぶやいた。剣にこびりついた血糊を払い、約束の報酬金額を思い出す。確か、軽く一週間分の生活費くらいになるはずだ。
数え切れないほどの死者が出ているにもかかわらず、魔物退治屋になるものが後を絶たない理由がこれだった。稼ぎ所が多い上、金持ちの護衛でもすればすぐにまとまった金を稼げる。剣の腕だけが取り柄のゼノにはうってつけの仕事だった。
(魔物の被害なんてない方が良いんだけどな。でも魔物がいねえとおまんま食いっぱぐれるからなあ)
平和な方が良いに決まってるのだけど、平和だと稼げなくなってしまう。そのことに大いなる矛盾を感じながら、ゼノは大仰にため息をついて夜の丘をあとにした。
既に日も高く昇り、忙しなく働いていた人々も昼時かと仕事道具を置きだした頃、ある宿屋の一室では今だ穏やかな寝息が聞えていた。
言うまでもなくその音源はゼノである。昨夜の戦いで多少なりとも疲れたのか、ただ単に寝汚いのか、寝返りも打たずに熟睡している。部屋といえば二、三日泊まっただけとは思えないほど荒れたそれが、彼の生活能力の無さを如実に表していた。
と、そんな部屋にノックが響いた。
「ゼノさん。ゼノさん? ・・・おかしいですねぇ。今日は出て来てない筈なんですけど」
「なるほど。じゃあその鍵を拝借します。この部屋の鍵ですよね」
宿屋の主人と・・・誰かいるらしい。扉がやたら薄いおかげで、ここまで声が聞こえてくる。最も、どれだけ声が聞こえようとゼノが起きる気配はない。
「しかしお客様の頼みとはいえ勝手に鍵を開けるわけには・・・」
「すみません急いでいるので」
金属同士がぶつかる鈍い音と、宿屋の主人が慌てふためく声が聞こえた。錠が外れる思いの外軽い音が響くと、耳障りな音を立て呆気なく扉は開いた。
「ありがとうございました」
微笑を浮かべて鍵を主人に投げ返したのは、先程の声の主。散らかった部屋を一瞥して顔をしかめたものの、扉を開けた時と同じように勢いよく閉めてから、ためらいも無く進んでいく。丸まった布団の前までいくと、青い頭を見つけ出しペチリと叩いた。
「起きて下さい」
反応は、無い。突然の訪問者はむむぅ、と眉を寄せると不意に布団の上に飛び乗った。
「ぐぇっ!」
勢いをつけて重みを増したその突撃?に悲痛な叫び声があがった。お腹にクリーンヒットしたらしい。前のめりになって唸っている。しかし訪問者は全く気にしなかった。
「退治屋さん、頼みがあるんですが」
ゼノは涙目になったソレを向けるがまだ声は出せない。
「ある人を助けて欲しいんです!」
その声を聞いて、ようやくゼノは夢の世界から帰還を果たした。二、三度瞬きをすると涙でぼやけた世界がはっきりと見えてくる。そこでゼノは自分の安眠をジャマし、ずうずうしくも腹の上に乗っている人物を見た。
年は、十二、三歳ぐらいだろうか? フリルだらけの装飾過多な服と、華奢で色白な体つきはいかにもお嬢様然としていて、どう見ても一般庶民ではない。
「・・・オイ、つっこむ所が多すぎて一体どこからつっこめばいいのかわかんねーんだけど」
「女の子につっこむとか卑猥な言葉を使わないで欲しいです」
「いやいやいやなんだよそれどっからそんな発想にとぶんだよ。・・・つーか誰お前!?」
少女は軽やかにゼノの腹の上から床に着地すると、フリルのスカートの裾をちょこんとつまみ一礼した。
「申し遅れました。私の名前はリスエール・セルオン。今回は退治屋さんに個人で依頼を頼みたく来ました!」
腹の重しがなくなったゼノは起き上って一礼する少女をまじまじと見た。どうやら派手なのは服だけでなく、髪型も同じのようだ。薄い茶髪はいわゆる縦ロールになっており、ボリュームたっぷりに頭の横で揺れている。髪留めには大きな薔薇の飾りがあしらわれていて――早い話、場違いにもほどがある。
「あー・・・演劇の練習ならよそでやってね」
「演劇の練習じゃないですちゃんと人の話聞けやコラぶっ殺すぞ」
「オイ今なんかかなり物騒な単語が聞こえたんだけど幻聴?」
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅲ 作家名:紫苑