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8/9のバッドタイムズ

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 屋敷の前で車から降ろしたとき、ドーンはサイズの合わないシャツの中で腕をひらりと振りながら言った。レジを挟んで向かい合ったときと変わらぬ、まっすぐな視線を突き刺しながら。
「このシャツ、洗って返すわ」
 構わないとも、そうしてくれとも、リンは口にしなかったが、彼女はあまりにも真面目なので、疑うことはしなかった。
 だから一週間ほどしてドラッグストアに行ったとき、彼女が店を辞めてロサンゼルスへ向かったと聞いて少し驚いた。
「やりたいことがあるとか言ってたけれど」
 男のように唇をねじ曲げる更年期の薬剤師の話もそこそこに、リンは店を出た。路駐した愛車の運転席へ戻って、はたと思い至る。一体自分は、今から何をするつもりなのか。彼は彼女の電話番号はおろか、住所も車が運転できるかどうかすら知らなかった。
 ハンドルへ覆い被さるようにして考えていたとき、固く不愉快極まりない音が車内の空気を揺らす。窓を開けると、そこにはしょっちゅうお世話になっている制服が突っ立っていた。
「ここは駐車禁止区域だ。移動させなさい」
「禁止区域? 大学の周りだけだろ」
「周辺住民の苦情がうるさくてね。最近適応範囲が広がったんだよ」
 パイロット・サングラスと撫でつけた金髪。いかにもなマッチョ主義。どんな出で立ちでも見分けなんかつかない。ポリ公の学校には「馬鹿に見せる方法」という授業でもあるのだろうか。うんざりとため息をつき、リンは手を振った。
「分かったよ、くそったれ」
 相手が何か喚き出すよりも早く、デイトナのエンジンは快い音を立てて暴れ出していた。

 雑巾で拭いてアルマーニの香水を振りかけたおかげで、車の空気はすっかり平穏を取り戻している。自らが付けている分も含めて香りは少し過剰すぎる程だったが、半分も窓を開けていれば十分だ。カーステレオから聞こえてくるのがレッド・ツェペリンの「グッド・タイムズ バッド・タイムズ」なのはあまりにも出来すぎているが、良しとする。
 特に行く先も考えず車を走らせていたら、いつの間にか悪目立ちする珊瑚色の建物の前に来ていた。フォースターの本を抱えたのっぽの女を彼の前に生み出した図書館前、人の気配すら感じられないほどしんと静まり返っている。そうあるべきなように。
 そりゃあそうだわな。
 誰にともなく一人ごち、歌を口ずさむ唇もそのままにリンは門前を通り過ぎた。


-fin-