人形の心*2-1
第二章 逃亡
「やっと終業式か。ついに夏休みだぜ、夏休み」
教室を向かう廊下を歩いている途中で、嬉しそうにヴェンはそう言った。
行きかう生徒達も心なしか声のトーンがあがっているように聞こえる。
「そんなに嬉しいか」
「そりゃあ、な。やっぱり授業はきついしさ」
「お前は家に帰るのか?」
「もちろん」
教室に入る。マリネの姿はまだ見当たらなかった。
自分の席へ座ると、ヴェンはその机の上に座る。
「お前の家ってどこにあるんだ?」
「アグロスだよ」
ダルドールは目を見開いた。
「アグロスって……ここからすごい遠いじゃないか」
名前こそ聞いたことはあるが、行ったことは一度もない。ただ、ものすごく田舎だということくらいは知っている。
ヴェンは微笑を浮かべた。
「あぁ。この学園に来たのは、都会に出てみたいっていう気持ちも少なからずあったんだよなぁ」
「へぇ……」
「もしお前、夏休み暇になったらアグロスに来いよ。何もないけど、空気はいいしのんびりしてていい所だぜ? 隠居なんかに最高だ」
「何の話してるの?」
ヴェンの後ろから突然顔が出てきて、二人とも驚いた。
「な、何だ。マリネか」
「おはよう」
「おはよう、ダルドール。昨日はありがとね。さっき、返事をしてきたわ」
ヴェンの言葉を黙殺し、笑顔を浮かべてマリネは言う。
「そうか。どうだった?」
「何か微妙な反応されたけど、大丈夫そう」
「おい、待て。昨日のことってなんだ」
そう言った瞬間、教室に担任が入ってきた。
「ほら、そこどいて」
机の上からヴェンを突き落とし、マリネは優雅に着席した。
終業式が終わり、生徒はそれぞれの場所へ帰って行く。まっすぐ寮へと向かう者、実家へ帰るのか学園の外へ向かう者。
「マリネはこれからどうするんだ?」
入口に入ってすぐの噴水の近くのベンチに座りながら、ダルドールはそう聞いた。ヴェンは寮に荷物を取りに行っている。
「家に帰るって言っても、どうせ学園のすぐ近くだしねぇ。でも、ここはあんまり居心地良くないし、夏休みくらい家でゆっくりしてようかな。とりあえず、今日は寮に泊まるけど」
苦笑を浮かべて彼女はそう言った。
「……こんなこと聞くのもなんだけど、友達できないのか?」
「んー……。普通にお喋りしたりする子はいるよ。授業でよくペアになったりする子とかも。でも、なんていうか……表面しか仲良くなれないっていうかさ。裏では悪口言ってるんだと思うよ」
その気持ちはダルドールにもよく分かった。
「あ、来た」
そう言うマリネの視線の先を追うと、キャリーバッグを持っているヴェンがこちらに向かって歩いているのが見えた。既に彼は私服に着替えていた。
「よう、お待たせ」
三人は並んで学園の門へ向かって歩き始める。
「アグロスってすごい田舎町よね。ここからどれくらいかかるの?」
「列車で十時間くらいだな」
「そんなにかかるのか」
門の外へ出ようとしたところで、マリネの足が止まった。
「私は寮に戻るわ。じゃ、また夏休み明けに会いましょうね」
軽い調子でそう言うと、踵を返して寮へ戻って行ってしまう。
その後ろ姿を見ながら、ヴェンはため息をついた。
「一ヶ月近くは会えないって言うのに、なんとも軽いお別れだな」
「この炎天下のなか、駅まで歩くのが嫌なんだろ」
「……さすが、ダルドールさんはマリネさんをよく理解してらっしゃる」
にやにやとした笑みを浮かべてヴェンはそう言った。
ダルドールは頬を少し赤に染めながら、
「うるさい。さっさと行くぞ」
と言って歩き出した。
学園から駅までは十五分ほど歩かなければならない。門から続く一本道の歩道を歩きながら、多くの生徒達が駅に向かって歩いて行くのを見て、
「やっぱり、実家に帰る奴も多いんだな」
とヴェンがつぶやいた。
「特に魔術系の奴らは多いかもな。俺達と違って、努力すりゃ伸びるってもんじゃないんだし」
「才能で全てが決まるだなんて、残酷だよな」
大通りへと出た。石造りの家やお洒落なカフェなどが並ぶ、賑やかな場所だ。
「だからこそ、マリネみたいな奴はうとまれるんだろうよ。特に、あいつの両親は魔法もろくに使えないらしいから、なおさらだな」
普通の人同士の間に生まれた子よりも、魔法使い同士の間に生まれた子の方が、魔道の才能がある確率が高いというのは、この世界では常識だった。ただし、これは化学的根拠があるわけでもなく、あくまで噂だ。だが、この噂を信じている者も多い。マリネの場合、両親は魔法使いではなく、ただの人間。なのに、魔法使いの間に生まれた自分達よりも才能があるなんて――と、更に反感をよぶのだろう。
駅が見えてきた。城下町の駅ということだけあって、大きい。遠くから見ると大きなお屋敷にも見える。
「やっぱり、チケット先に買っておいて正解だったな」
混雑具合を見て、ヴェンはつぶやいた。
駅の入り口で、足が止まる。
「――じゃ、もう時間だから行くわ。またな」
「あぁ。気をつけろよ」
「おう」
駅の中へと消えていくヴェンを見送り、ダルドールは再び学園へ戻ることにした。
やっぱり、夏休み中に一度は家に帰っておくべきか、と夏の空を見上げながら彼はそう思った。
大通りに立ち並ぶ店を見て、マリネに何か買って帰ろうかと思いついた。何か食べ物でも――と思った時、肩を叩かれ、ダルドールは振り返った。
そこに立っていたのは、見知らぬ女性だった。この暑いなか、フードのついた黒いローブを着ている。
「失礼。あなたがダルドールよね?」
「え?」
突然名前を言い当てられ、動揺する。
女性は綺麗な笑みを浮かべた。よくよく見ると、とても美人な人だ。
「突然、ごめんなさい。あなたにお願いがあるの」
「いや、あの――」
「今日の夜十時に駅に来て。その時に、あの女の子も連れて来るのを絶対に忘れないで」
「女の子、って――」
まさか、マリネのことも知っているのか?
いよいよ怪しくなってきた。
疑いの眼差しを向け、
「すみませんが、その願いは聞けません。まず、あなたは何者なんですか」
女性は苦笑を浮かべた。
「詳しいことは言えないけど……そうね。あなたから見れば、私は”あなたのお母さん”かしら?」
「――」
さらりと言われたその言葉は、ダルドールの胸に深く突き刺さった。それと同時に、今、一体何を言われたのか、彼は理解できていなかった。
「……お前、何を言ってるんだ」
震えた声でそうつぶやく。
彼は自分が捨てられた子だということを知っていた。いつ、どうして捨てられたのか――それはまったく分からないが、気づけば今の父親となっている人物に拾われ、そして育てられた。自分の本当の両親の顔など覚えていないし、本当にこの女性が母親なのかどうかも分からない。しかし、本当にこの女性が自分の母親ならば――
女性は困った様に笑みを浮かべた。
「意味が分からないでしょうけど、それでいいのよ。そのうち知ることになるから」
「いいわけないだろう!」
「やっと終業式か。ついに夏休みだぜ、夏休み」
教室を向かう廊下を歩いている途中で、嬉しそうにヴェンはそう言った。
行きかう生徒達も心なしか声のトーンがあがっているように聞こえる。
「そんなに嬉しいか」
「そりゃあ、な。やっぱり授業はきついしさ」
「お前は家に帰るのか?」
「もちろん」
教室に入る。マリネの姿はまだ見当たらなかった。
自分の席へ座ると、ヴェンはその机の上に座る。
「お前の家ってどこにあるんだ?」
「アグロスだよ」
ダルドールは目を見開いた。
「アグロスって……ここからすごい遠いじゃないか」
名前こそ聞いたことはあるが、行ったことは一度もない。ただ、ものすごく田舎だということくらいは知っている。
ヴェンは微笑を浮かべた。
「あぁ。この学園に来たのは、都会に出てみたいっていう気持ちも少なからずあったんだよなぁ」
「へぇ……」
「もしお前、夏休み暇になったらアグロスに来いよ。何もないけど、空気はいいしのんびりしてていい所だぜ? 隠居なんかに最高だ」
「何の話してるの?」
ヴェンの後ろから突然顔が出てきて、二人とも驚いた。
「な、何だ。マリネか」
「おはよう」
「おはよう、ダルドール。昨日はありがとね。さっき、返事をしてきたわ」
ヴェンの言葉を黙殺し、笑顔を浮かべてマリネは言う。
「そうか。どうだった?」
「何か微妙な反応されたけど、大丈夫そう」
「おい、待て。昨日のことってなんだ」
そう言った瞬間、教室に担任が入ってきた。
「ほら、そこどいて」
机の上からヴェンを突き落とし、マリネは優雅に着席した。
終業式が終わり、生徒はそれぞれの場所へ帰って行く。まっすぐ寮へと向かう者、実家へ帰るのか学園の外へ向かう者。
「マリネはこれからどうするんだ?」
入口に入ってすぐの噴水の近くのベンチに座りながら、ダルドールはそう聞いた。ヴェンは寮に荷物を取りに行っている。
「家に帰るって言っても、どうせ学園のすぐ近くだしねぇ。でも、ここはあんまり居心地良くないし、夏休みくらい家でゆっくりしてようかな。とりあえず、今日は寮に泊まるけど」
苦笑を浮かべて彼女はそう言った。
「……こんなこと聞くのもなんだけど、友達できないのか?」
「んー……。普通にお喋りしたりする子はいるよ。授業でよくペアになったりする子とかも。でも、なんていうか……表面しか仲良くなれないっていうかさ。裏では悪口言ってるんだと思うよ」
その気持ちはダルドールにもよく分かった。
「あ、来た」
そう言うマリネの視線の先を追うと、キャリーバッグを持っているヴェンがこちらに向かって歩いているのが見えた。既に彼は私服に着替えていた。
「よう、お待たせ」
三人は並んで学園の門へ向かって歩き始める。
「アグロスってすごい田舎町よね。ここからどれくらいかかるの?」
「列車で十時間くらいだな」
「そんなにかかるのか」
門の外へ出ようとしたところで、マリネの足が止まった。
「私は寮に戻るわ。じゃ、また夏休み明けに会いましょうね」
軽い調子でそう言うと、踵を返して寮へ戻って行ってしまう。
その後ろ姿を見ながら、ヴェンはため息をついた。
「一ヶ月近くは会えないって言うのに、なんとも軽いお別れだな」
「この炎天下のなか、駅まで歩くのが嫌なんだろ」
「……さすが、ダルドールさんはマリネさんをよく理解してらっしゃる」
にやにやとした笑みを浮かべてヴェンはそう言った。
ダルドールは頬を少し赤に染めながら、
「うるさい。さっさと行くぞ」
と言って歩き出した。
学園から駅までは十五分ほど歩かなければならない。門から続く一本道の歩道を歩きながら、多くの生徒達が駅に向かって歩いて行くのを見て、
「やっぱり、実家に帰る奴も多いんだな」
とヴェンがつぶやいた。
「特に魔術系の奴らは多いかもな。俺達と違って、努力すりゃ伸びるってもんじゃないんだし」
「才能で全てが決まるだなんて、残酷だよな」
大通りへと出た。石造りの家やお洒落なカフェなどが並ぶ、賑やかな場所だ。
「だからこそ、マリネみたいな奴はうとまれるんだろうよ。特に、あいつの両親は魔法もろくに使えないらしいから、なおさらだな」
普通の人同士の間に生まれた子よりも、魔法使い同士の間に生まれた子の方が、魔道の才能がある確率が高いというのは、この世界では常識だった。ただし、これは化学的根拠があるわけでもなく、あくまで噂だ。だが、この噂を信じている者も多い。マリネの場合、両親は魔法使いではなく、ただの人間。なのに、魔法使いの間に生まれた自分達よりも才能があるなんて――と、更に反感をよぶのだろう。
駅が見えてきた。城下町の駅ということだけあって、大きい。遠くから見ると大きなお屋敷にも見える。
「やっぱり、チケット先に買っておいて正解だったな」
混雑具合を見て、ヴェンはつぶやいた。
駅の入り口で、足が止まる。
「――じゃ、もう時間だから行くわ。またな」
「あぁ。気をつけろよ」
「おう」
駅の中へと消えていくヴェンを見送り、ダルドールは再び学園へ戻ることにした。
やっぱり、夏休み中に一度は家に帰っておくべきか、と夏の空を見上げながら彼はそう思った。
大通りに立ち並ぶ店を見て、マリネに何か買って帰ろうかと思いついた。何か食べ物でも――と思った時、肩を叩かれ、ダルドールは振り返った。
そこに立っていたのは、見知らぬ女性だった。この暑いなか、フードのついた黒いローブを着ている。
「失礼。あなたがダルドールよね?」
「え?」
突然名前を言い当てられ、動揺する。
女性は綺麗な笑みを浮かべた。よくよく見ると、とても美人な人だ。
「突然、ごめんなさい。あなたにお願いがあるの」
「いや、あの――」
「今日の夜十時に駅に来て。その時に、あの女の子も連れて来るのを絶対に忘れないで」
「女の子、って――」
まさか、マリネのことも知っているのか?
いよいよ怪しくなってきた。
疑いの眼差しを向け、
「すみませんが、その願いは聞けません。まず、あなたは何者なんですか」
女性は苦笑を浮かべた。
「詳しいことは言えないけど……そうね。あなたから見れば、私は”あなたのお母さん”かしら?」
「――」
さらりと言われたその言葉は、ダルドールの胸に深く突き刺さった。それと同時に、今、一体何を言われたのか、彼は理解できていなかった。
「……お前、何を言ってるんだ」
震えた声でそうつぶやく。
彼は自分が捨てられた子だということを知っていた。いつ、どうして捨てられたのか――それはまったく分からないが、気づけば今の父親となっている人物に拾われ、そして育てられた。自分の本当の両親の顔など覚えていないし、本当にこの女性が母親なのかどうかも分からない。しかし、本当にこの女性が自分の母親ならば――
女性は困った様に笑みを浮かべた。
「意味が分からないでしょうけど、それでいいのよ。そのうち知ることになるから」
「いいわけないだろう!」