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身代わりの王妃~続・何度でも、あなたに恋をする~

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 王の花嫁

 彼は先刻から憮然として端座していた。仮にも一国の王が情けない話だとは思うけれど、腹立たしい想いは変わらない。
 彼―李胤(イ・ユン)はこの朝鮮の国を統べる王である。彼にはかつて生涯の想い人と定めた女がいた。蘇明姫(ソ・ミヨンヒ)、一輪の花のように儚げでいながら、気高く凜とした少女を彼は周囲の者たちが呆れるほど寵愛した。
 そのことがかえって最愛の想い人を追い込むとは、彼は想像もしなかった。明姫はユンの母である大妃(テービ)にひたすら憎まれ、一度は大妃の陰謀で王妃暗殺未遂の罪人とされたこともあった。彼は泣く泣く明姫を廃妃として都郊外の寺に追放せざるを得なかった、
 しかし、明姫恋しさに耐えかねた彼は王にあるまじき行為に走った。お忍びで寺にいる明姫の許に通うようになったのだ。やがて、明姫は彼の子を懐妊し、彼はそろそろ時も満ちたとして、明姫を復位させ妃として後宮に呼び戻した。
 が、その後、生まれた第一王子は直ちに世子(セジヤ)に立てられたものの、生後一年を目前に早世し、再び懐妊した明姫は臨月で亡くなった。和嬪(ファビン)蘇氏は難産のために死亡と公表されたが、あれはまったくの嘘だ。
 その事実は、明姫の傍近くに仕えていた者たちであれば皆、知っている。明姫は確かにひと月近く早く産気づいたものの、医師の診立てでは特に危険な状態ではなかった。しかも、明姫の腹心だった洪尚宮(サングン)は顔を見たこともない女官が運んできた薬湯を明姫が呑んだのを見ている。
 洪尚宮の眼前で明姫はそれを呑んで、大量の血を吐いて死んだのだ。最早、明姫が毒殺されたのは明白だった。機転のきく洪尚宮はすぐにその若い女官の行方を追ったけれど、明姫がまだ息を引き取る前の時点で、不審な女官は既に殿舎から姿を消していた。
 後の調べで判ったことだが、明姫が呑まされたのは猛毒であった。それも致死量をゆうに上回る量で、これだけの毒を飲まされたからこそ、ほぼ即死状態であったことも判明した。
 その時、この事件についてもっと糾明しようと思えばできた。だが、ユンはしなかった。一切の調査はせず、明姫の死は難産ゆえと王室の歴史を記す書物には記された。
 ユンが何故、一切をつまびらかにしなかったか? 愛妻の死は国王の母大妃が仕組んだものであると悟ったからだ。大妃はかつてユンが明姫を側室として迎えると宣言したときも猛反対したのだ。
 しかも、あろうことか、その後の内密に行われた調査では、明姫に毒を運んだ後、失跡した女官は事件の起こる直前、何度か大妃殿に姿を現していたと判明した。彼女は大妃殿で働いていた女官ではなく、何らかの意を受けて何度か大妃殿に参上したことがあるという。
 その女自身の身許はどう調べても、ついに洗い出せなかった。闇の世界には、貴人の暗殺を請け負う玄人(プロ)の刺客もいるという。大方はその類の刺客だったのかもしれない。
 いずれにしても、最早、大妃が明姫を殺害したのは決定的な事実としか言いようがなかった。
 若かりし頃は、先王―ユンの父が寵愛する側室に嫉妬し、呼び出して鞭打たせて流産させたという過去まである母である。息子の心を奪った憎い明姫をこの世から葬り去ろうとするなど造作もないことであったろう。その母と母にとっては兄にもなる領議政白勇修(ペク・ヨンス)が共謀して邪魔者と見なす明姫を毒殺したのは明らかだった。
 明姫の死因を暴こうと思えば、できないことはなかったかもしれない。が、それをすれば、最愛の女を失った上に、我が母や伯父をその罪に問わなければならない。
 もう、懲り懲りだと思った。母や伯父は殺してやりたいほど憎いが、彼らを殺して明姫が生き返るわけではない。また、心優しい明姫であれば、ユンが実の母や伯父を死に追いやることをけして歓びはしないだろう。
 ユンは断腸の想いですべての真実を闇に葬った。
―私はもう、疲れた。
 この世のすべてが空しい。明姫のおらぬこの世で、自分は何を支えに生きていけば良いのか?
 若い国王は明姫を失ってからというもの、笑わなくなった。それでも、王としての務めは果たさなければならない。
―私がお側からいなくなっても、後世にまで語り継がれるような聖君(ソングン)となって下さいませ。
 今際の際(いまわのきわ)まで明姫は我が身のことより、ユンを気遣っていた。そのいじらい心根を思えば、明姫を失った心の痛みを表に出すことはできない。
 直宗(ユン)はひたすら虚しさと孤独に耐え、王としての責務をまっとうした。既に若い頃から聖君とその英明さを崇められていた王であったが、今や、彼の王としての名声は朝鮮全土にひろまっている。民草を思い、飢饉の年には国庫を開き、窮民の救済に当たり、水害の続いていた地方には率先して治水工事を行う。
 一部の特権階級である両班(ヤンバン)よりも民の立場に寄り添ったその政治は、貧しい民たちから絶大な支持を得ていた。?初代太祖大王の再来?とまで囁かれる直宗は最早、生きながら伝説と化している。
―国王(チユサン)殿下(チヨナー)がご誕生になったその前夜、それまで晴れ渡っていた空が俄に曇り、強い落雷が落ちた。人々は何か良からぬ事の起こる兆かと恐れおののいていたら、何とひと晩中降り続いた雨が暁方になって漸く止み、夜明けの空を青龍が気持ち良さげに泳ぎながら天目指して翔けていったそうな。
 その瞬間に、大妃が直宗を産み落とした―という噂が真しやかに流れていた。
 現実には空に浮かんでいたのは龍ではなく虹であったのだが、そのときの神々しい虹を眺め上げた都中の占い師たちが
―これは何か朝鮮国に良きことが起こる前触れであろう。
 と、これが瑞兆であることを告げたという。
 ユンの王としての務めには、もちろん、大妃の念願でもある世継ぎの誕生が含まれていた。明姫が亡くなって三年、ユンは頑なに側室を持つことを拒んでいたが、四年目には愛妃の喪が明けたとして、新しい側室が新たに数人後宮入りした。
 以来、その側室たちが次々と御子を産んだものの、三人生まれたのはすべて王女ばかりである。口さがない者たちは
―和嬪さまの怨霊がこの世に深い恨みを残しているために、いつまで経っても国王さまに世子さまがお生まれにならないのだ。
 などと言っているのは知っている。
 そんな時、ユンは怒りに震えた。
 お前たちは、明姫の何を知っている? あの者の心がどれだけ清らかで優しかったか、誰が理解しているというのだ。
 明姫はいつも自分のことより他人の心配ばかりしているような娘だった。そんな女が何故、ユンに深い恨みを抱いたり、ましてや、何の罪もない新しい側室たちや王女に害をなすだろう?
 そんな中で、ユンが三十二歳になった年、長年連れ添った王妃が亡くなった。まだ、三三歳の若さであった。ユン自身の気持ちをいえば、明姫亡き後、次の王の母となるべきなのは中殿(チュンジョン)―王妃であると思っていた。
 そう思い、幾度か夜、妻の寝所を訪ねたり、妻を閨に招いてみたのだが、その度に王妃からは丁重な辞退の返事が来た。
 亡くなる少し前、見舞いに中宮殿を訪れたユンに対して、王妃は淡く微笑して言った。