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真朱@博士の角砂糖
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ことばが 動かなく なるまで

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【温室のビワ】


「花が好きなら、いい場所を知ってるよ。」
 そう声をかけてきた彼が連れて来てくれたのは町の植物園の敷地内にある大温室だった。ガラス張りの巨大な建物の中に入ると、しっとりした温かい空気が僕を包み込んだ。
「今は冬だけど、ここには一年中花が咲いてるんだ。」
 彼はクラスで一番の人気者だった。
「あったかいだろ。どう、気に入った?」
 彼は制服の袖をまくりながら言った。僕らはランドセルを背負ったままだった。
「うん、見たことない植物がいっぱいだ。すごい。」
 そう答えると彼は満足げにうなずいた。
「よかった。引っ越してきたばっかでこの辺のこと知らないだろ?僕は  この町のことだったら何だって知ってるんだ。」
「どうして僕が植物が好きだって思ったの?」
 たずねると彼は笑った。
「だって休み時間によく花の図鑑を読んでるじゃない。あと、図工の時間に花の絵を書いてた。あれ、すごく上手だったし。」
 思いがけず絵を褒められて僕は恥ずかしくなってうつむいた。
「そんなことないよ」
 彼は僕の小さな声には気付かず何かを探しているようだった。
「あっちのほうかも、行こう」
 おもむろに手首を掴まれてそのまま引っ張られる。背の高い不思議な形の木を見上げながら手を引かれるままに歩いてついて行くと少しひらけた場所に出た。
「すごい、池がある。」
「良く見たら魚がいるんだ。」
 池の向こうに作業着を着てこちらに背を向け花壇を手入れする人の姿が見えた。
「いたいた。こんにちは!」
 作業着の人が彼の声に振り向いた。優しそうな白髪まじりのおじさんだった。
「君か。友達かい?」
「そう、転校生。花が好きみたいだから佐藤さんと友達になれるんじゃないかと思って連れてきた。」
「それは嬉しいね。」
 佐藤さんと呼ばれたおじさんが僕を見て微笑んだ。どうしたらいいかわからず僕はぺこりと頭を下げた。
「じゃ、僕は先に帰るよ。また学校でね。」
 ぱっと手首を離される。
「え、帰っちゃうの?」
「野球の練習があるんだ。」
 彼は僕の肩を掴んで佐藤さんのほうに体を向けさせるとランドセルをがちゃがちゃ言わせながら走って行ってしまった。
「相変わらず忙しい子だ」
 佐藤さんはそう言うと笑って僕を見た。
「こっちへおいで。ちょうどいいのがある」
 言われるままに付いて行く。佐藤さんの細い背中は猫背で手にはめた軍手は土で汚れていた。
「あいつには秘密だぞ?」
 立ち止まってそう言うと彼は軍手をはずし一本の木の枝へ手を伸ばした。見上げると枝には小さなオレンジ色の実がたくさんなっていた。彼は実をひとつもぎとり、僕の手のひらに乗せた。
「ビワだよ。ちょうど食べごろだ。食べたことあるかい?」
 首を振ると彼はもうひとつ実をもぎ、皮を剥き始めた。
「こうやって皮を剥いて食べるんだ。大きな種が入っているから気をつけて。」
 剥き終わったビワの実を佐藤さんは美味しそうに頬張った。見よう見まねで皮を剥き、実を口に含む。甘くて柔らかい。
「美味しい」
「それはよかった。お近づきの印だよ。よろしくね。いつでも好きなときに遊びに来たらいい。」

 でも、と佐藤さんは続けた。
「ここでビワの実を食べたことは誰にも言ってはいけない。秘密だよ。」
 
 僕はそうして、秘密を手に入れてしまったのだった。