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Grass Street1990 MOTHERS 完結

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 「……だって、大変だったでしょ……それに、ホントに……危なかったし……」
 声が、少し涙声になった。
 「……ごめんなさい……」

 俺は、何と言って良いのかわからず、けれど左横にいる川本がどうにもいとおしく思えて、左手を彼女の肩に置いた。
 川本は、そのまま俺の左手に沿って身体を近付け、俺の肩にしがみつき、泣いた。

 「……危なかったのは、俺のせいや……それに、二人のヨシミさんが助けてくれた……」
 俺は、右手を彼女の背中に回した。これで保護者に見えなくなったが……構うものか……
 ……おまえはきっと、俺を助けて銃を撃ったあの時、自分が銃を撃ったことがあると思い出した……だから、さっきの俺の、高木が言っていたという説明にはまるで納得していない……そうやな?」

 川本はただ静かに泣いていた。俺も、実は返答など期待していなかった。また理屈だ。けれど何か言わないことには、俺は川本を強く抱いてしまいそうだ。

 「だから、おまえが決めればいい。」

 川本の動きが止まった。

 「……真実は、もうわからない……谷岡は責任をとってしまった。おまえの母親は、おまえが撃ったと思ってかばった。平田芳美は、おまえが撃ったと思って責めた。高木の母親は、自分が撃ったと言っている。おまえには、撃った記憶がある……けれど4歳の女の子に、自力で銃を撃つことはできない……わかったのは、これだけや。そして、俺ができることも。

 ……だから、おまえが決めればいい。」

 川本は、おそらくもう泣いてはいない。ただ、俺の肩にしがみついている。

 「おまえはもうこのことで誰にも責任をとる必要はない。
 必要どころか、とることはできない……きっと今はそれがつらいのだろうが…

…でも、おまえにはもうできない……14年は長すぎる。
元からいなかったのかもしれないが、純粋な被害者なんてものは、いない…
…純粋な加害者もな…

…おまえも、もちろんそうじゃない……」

 川本はゆっくりうなずいて、言った。

 「……先生は……先生はどう思うの?」


 「おまえが決めるんだ。おまえにしか決められない。」


 川本は、うなずいたのと同じくらいにゆっくり、俺の肩から離れ、そのままのスピードで顔を上げた。

 一度目をつぶって、それからしっかりと俺を見つめ、言った。

 「……私、撃ったわ。」

 今まで生きてた中で、これほど人を強く抱きしめたいと思ったことはない。川本は、信じられないほどきれいだった。望まれれば、何でもしてあげたいと真剣に思った。

 ……けれど、彼女にキスでもしそうになってから気付いた。
 彼女は、俺とは関係のないところで、こんなにきれいなのだ。俺には関わる資格などない。俺の今の役目は……
 「あなたはきれいだよ。」

 何だ? ……まだまだだ、俺は。俺の煩悩がどうしてもこの気持ちだけは言わせてしまった。

 ……川本はきれいさを微塵も崩さず、少し、俺に顔を近づけた……

 負けそうだ……言ってから気付いたが、俺は川本を、「おまえ」とは呼べなくなっていた。彼女は目下の人間ではない「おまえ」では失礼だ……

 ……負けそうだ……

 ……とにかく、俺は続けた。
 「あなたが決めたことに、文句を付ける人間がいたら、俺が戦う。」

 だめだ! ……なんて奴だ、俺は……これじゃあ、愛の告白だ……俺の役目は……

 「……先生……」
 ほとんど唇が触れそうな程近くで、川本は言った。

 「……本当に、これでいい?」

 俺は、彼女から目を離すことができなかった。

 「ああ、最高の答や……すばらしい。」心底そう思った。

 川本は、笑った。これも信じられないくらいきれいな笑顔だった。
 「よかった……」
 そうして俺にしがみついた。
 背中に手を回すと、彼女は震えていた……


 ……「……ありがとう、先生……」

 数分後、川本は身体を離して、明るく言った。

 数分間彼女を抱いている間に、俺は、自分でも似合わないと思うのだが相当反省していた。これでは、俺は不安定な少女に付け入るセクハラおやじだ。

 彼女の明るい声を聞いて、まだ、保護者の位置まで戻れるかもしれないと思った。

 「これからどうする?」
 彼女は、さらに現実に戻った表情になって言った。
 「……どうしたらいいかはわからないけど……ママや、よっちゃんや、高木さんや……みんなに会ってみる……話になるかどうかは……でも……
 ……私が決めたことだから。」

 「無理するなよ……つらかったら、こんな頼りないスケアクロウでよければ、頼ってくれ。」

 今度は少しはマシに言えた。俺にではない、スケアクロウに頼れ、と。

 川本は、はっきりとうなずいた。
 「うん……
 ……そうだ、さっき……リーダーさんだっけ、好奇心って言ったの、」

 ……そうか、あのおやじ、ズボの台詞はなぜか女性の印象に残ることを知っていて使ったな……やはりあなどれん……

 「え、ああ……」
 「この間英語で習ったよね……猫が、なんとか……」
 「直訳だと、『好奇心は、猫も殺す』っていうの?」
 「そうそう、そんなの……」
 「で、英語は覚えてるんやろうな?」

 川本は、困ったように目をつぶってから、俺の左側に戻った。
 そして、突然俺の頬にキスした。
 俺は腰が抜けるほどびっくりして……もちろん、気分が良かった。

 「忘れた。今度また教えて。」
 教師の仕事って永遠にこれだ。生徒が忘れることを、教える。それも毎年。
 「……ああ……テストにも出そう。」

 「ダメ!」
 強い口調で、悲しい表情だった。
 「猫でも、死ぬのは、ダメ……」
 ……ああ、そうだった……
 「すまん……」落ち込んで謝った。
 「……ううん……いいの……」

 川本は俺の腕に触れて言った。
 「先生って、大人か子供かわからないね。」

 ……こっちの台詞だ、それは……

 ……でも大人なのに子供みたいなのと、
子供なのに大人みたいなのとでは、

きっと天文学的な開きがあるんだろう……

 川本は俺から腕を離して、きっぱりと言った。

 「行くわ。」
 そして歩き出した。

 俺は、少しの間川本の後ろ姿を見ていた。少し歩けば、タクシー乗り場がある。今度こそ、ここまでが俺の役目なのかもしれない。川本はこのまま一人でも母親の所に行き、一人でも自分の気持ちを整理できるだろう。俺なんかもう必要ない。事務所に戻ろうか……

 ……待てよ……リーダー、楽器出してた……ということは……戻ったら、練習だ……

 俺は早足で川本に追い付いた。

 川本は俺に笑いかけると、俺の斜め後ろに下がった。
 そして、俺の左袖に軽く指をからませて歩いた。

作品名:Grass Street1990 MOTHERS 完結 作家名:MINO