Grass Street1990 MOTHERS 27-36
「さっき、先生の背の高い友達の人が私に言ったでしょう、『こんな母親と一緒に、この先、生きていけるのか』って。」
あいつはどういうわけか女には印象的な台詞が言えるという男だ。
「……私ね……きっと、それなんだと思う。小さいときから、よっちゃんのママって怖かった。よっちゃん、いつも叩かれて泣いてた。私のママもお店があって夜遅かったから、よっちゃん、毎日ウチに来て、でも、それがわかるとまた叩かれてた。
輝久君のおばさんは、時々ウチに来てくれて、優しくて、よっちゃんが叩かれた後を見つけたりすると、よくよっちゃんのママに注意しに言ってたみたいだけど、私のママはなんにも言えなかったの……今はどうしてかわかるけど……それで、ママはよくお酒を飲んで、
飲むときまって、私の腕につかまって離れなかった……
……変だと思ったの、よっちゃんがパパ……あのひとの短大に行くようになって、琥珀で働きはじめて……それだけで、みんな、人が変わってしまった……ママの帰りがもっと遅くなったし、それまでめったに会うことも、連絡もなかったあのひとからよく電話がかかるようになった……
……よっちゃんも、夏休みに入ったくらいから帰らなくなって、その内に引っ越しまで……
……なんか、わかっちゃったの、このままじゃ、もうダメだって……
……私達の家は、元々父親もいないし……いるって言えないし、母親は水商売だし、ヤクザの人も関係してるし、変な家だけどそれでも、これはダメだって……
もうすぐみんな、いなくなって……
……このままじゃ、私、生きて行けないと思った……」
俺達は並んで路地を左折した。何か言わなければと思ったが、どうしても考えられなかった。
俺の心にあるのは、怒り、だった。けれど、どういうわけか強いものではなかった。低く続いた、どこかもたれる感じの、あくまでも客観的な怒り、だった。
……なぜ、あれだけの大人が揃っていて、こうなった……
一本目の角を左折しすぐ右手にあるビルの一階、白いドアに金色の縁取りをしたジーザスの白い文字。
その前で立ち止まって俺は静かに言った。
「許さない、俺は。」
川本にはわからないのかもしれない。俺に彼女がわからないのと同じように。
だから俺は、俺の思う通りにするだけだ……『川本良美』という女の子が大きく心の中に入っている、彼女を救いたいと思う今の『俺』の思う通りに……
……ただ、娘のためだけに……
誰かが、こんなにも単純で、こんなにも説得力のある気持ちを忘れている。
俺には許せない……だから。
36
「どなたですか?」
これで、今晩俺は3軒の、いわゆる『高級スナック』なるものに入ったことになるのだが、考えてみるとこのような常識的な対応を受けたのはこのジ-ザスが初めてである。世の高級スナックはこの店に感謝すべきだ。ここに来なければ、俺は高級スナックというところは常識の全く通じない異次元だと思い込んで、2度と来る気にはならなかったに違いない……岐阜県の教育公務員などという立場で、たとえ気に入ったにせよそんな店に飲みに来れる日が来るとは思えないが……いや、もちろん立場の問題ではない、それよりも給料の問題である。
これも前の2軒と違ってアイボリ-を基調とした明るい色使いのソファに、やや太めの、濃い茶色のワンピ-スを着た中年女性が座っていた。
泣き腫らした目の、3人目の母親、高木明子。
そのすぐ脇に、灰皿のセ-ラムライトに触れたまま顔を上げた渡辺がいた。この間路上で声をかけた時から、髪を切っていた。
ちょうど川本と同じくらいの長さに。
服装は、シルクの白いブラウスに濃いグリ-ンのパンツ、派手なゴ-ルドのリング……どう考えても、岐阜県の地方公務員よりは確実に金を持っている。
「……良美ちゃん……この人は?」
「さっきあなたを押さえつけた奴等の仲間です。」
俺は率先して答えた。さらに、初めて常識的扱いを受けたお礼として、『しがない地方公務員』という例の自己紹介は省略してあげた。
「……じゃあ……輝久……」
「僕の目の前で撃たれました……」
「……撃たれた?……」
「そうです。」
「撃たれた……」
高木は手で顔を覆った。
渡辺が、肩にそっと手を置いた。
川本が俺の前に出た。
「……おばさん、」
一度、唇をかみしめ、俺が負けそうになるあの目になって言った。
「……あのね……みんな……」
「どうして!」
川本の決意など、今の高木にはどうでもいいらしい。
「……どうして、どうして輝久が……」
「おばさん……」
そう言って近づこうとする川本を、俺は手で制した。
「高木さん、この子がなぜここに来たか、わかりますか?」
高木は表情のない目で俺を見た。
……見つけた……
作品名:Grass Street1990 MOTHERS 27-36 作家名:MINO