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Grass Street1990 MOTHERS 27-36

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27

 誰かが俺をはがい締めにした。そして、俺は自分が次に投げようとしていたソファに押し倒された。

 「……おい! おい! しっかりしろ! おい!」
 大きな声で叫んでいるのはリーダーだった。
 俺は我に返って首を上に曲げた。

 見回すと、俺を抑えつけているおっしょはんと、覗き込んでいるリ-ダ-と、それから、少し離れたところで店内の様子と俺を見比べているズボと大工が見えた。
「どうしたんや、これは?」
 リーダーは俺に聞きながらおっしょはんの肩を軽く押さえた。
 一拍置いてから、おっしょはんはかなりつまらなさそうに力をゆるめた。
「何があった?」
 俺は涙が出るほど嬉しくなった……自分はこんなにスケアクロウのメンバーを待っていた。そのことに初めて気付いた……

 ……そう、俺はソファを投げながら、時江を撃ち殺すことを考えながら、それでも、自分を止めてくれるものが欲しかったのだ。スケアクロウの奴等が来るまで誰もいなかったのだ。俺を止めてくれるものは。

 ……ジブンヲ、トメテ、クレルモノ……

 ……あ……

 ……そうか! ……だから、川本は…俺を…でも、それなら……もう、遅いかもしれない……

 やっと、自分が取り返しのつかない時間の浪費をしていたことがわかった。俺は跳び起きてリーダーに言った。
 「電話を……谷岡が……」
 そして石川を見た。
 石川は、一つ大きく息を吐いてからゆっくりと声を出した。彼にしては全力で急いでいるつもりに違いない。
 「……みなさん……は……外で電話をして……もう……そのまま戻ってこないでください……谷岡も……言ったとおり……これ以上迷惑は……かけられません……」
 石川の声は苦痛で小さかったが、俺達にはとても逆らえないものがあった。
 「でも娘さんは、連れて行きますよ。」
 すぐに全員が、といっても意識のあるものだけの5人だが、言った俺を通り越して、その台詞の登場人物である、隅の床に横たわったままの川本を見た。
 「どこ……へ……」
 石川は、一瞬、反論するような目で俺を見て何か言いかけたが、すぐにあきらめたように顔を伏せた。
 「リーダー達は先に出て、早く電話をお願いします。」
 俺は言いながら足早に川本に近づいた。なぜ足早にかというと、リーダーに話す暇を与えないようにするためである。与えれば、彼等をこれ以上危険な事に巻き込まなければならなくなる。石川同様、俺もそれは避けたい。
 危険の可能性がある事態に俺が連れて行く奴は10年前から決まっている。

 「ズボ、お前はこっちを頼む。」
 俺と、危険物処理班のズボは、横たわったままこちらを見ている川本の前に立った。彼女の目には、半分以上はおびえの色が、そして残りの少しだけ、俺に対する怒りの色が感じられた。
 「……川本、行くぞ。」
 リーダー達が急ぎ足で琥珀を出ていくのを背中で確認してから、俺はできるかぎり感情のこもらないように努めて声を出した。
 「……どこへ?」
 思ったよりしっかりした返事が返ってきた。
 「父と子の時間は終わりや。」
 「え?」
 「これから、母と子の時間になる。」
 後ろでズボが息を飲む音が聞こえた。
 「……おい、そんな……」

 一瞬の間を置いて川本は立ち上がった。そして俺を力のない目でにらんでから、まっすぐドアを見て歩き始めた。彼女は、倒れている人間達を、つまり父親と、姉のように慕っていたはずの女の子を決して見ようとしなかった。
 どうしてそんなことができるのだろう。

 強い子だからだろうか、それとも、逆なんだろうか。
 いや、そういうことではないのだろう。

 川本が最初にドアを開け、ズボがすぐ後に続いた。
 ドアは俺の1メートル前でゆっくりと閉まった。
 俺は、取り残されたような気持ちで自分がさっきムチャクチャにした店の中を振り返った。

 ……3人の人間が倒れていた……それと、カウンターの向こうにソファとテーブルが積み上げられていた……それだけだった。あの時の自分の感情の昂ぶりを思えば、あまりたいした荒れ方ではなかった。振り返る時に予想したような、廃虚、と呼ぶには程遠い、間抜けなものだった。

 俺は、どういうわけか少し寂しい気持ちになった。
そう、俺ごときがどんなに怒りを見せても、琥珀などという小さな店一つ叩き壊すことすらできないのだ。

 ……けれどそれは、目に見える部分のことだけかも知れない。人の命をなくすパワーなら……
 ……そして、心を壊すパワーなら……

 外はうるさかった。車の音を中心に、シャッターの閉まる音、人の声、足音……おそらく、中が静か過ぎたのだろう……いや、そうではない。違うのだ。表現しようもないくらい決定的に違うのだ。琥珀の中と、ここの音は……

 俺はどこにも視線の定まらない自分を感じながら考えた。恐ろしいことだ。何って、平日の夜中でさえも、人はこんなにも多くの音の中で生きているのだ。
 きっとそんなものには気付かないだけなんだろう。
気付いたら、生きていけなくなるのかもしれない……俺がソファを投げる音、高木の罵声、それに、時江の撃った銃声……あのくすんだ音……それが、芳美に、谷岡に、石川に、高木に……当たった音……叫び声……そんな音に気付いてしまったら……

 ……他人の悲しみに裂くことのできる心のスペースは、一体どれだけあるのだろう?……

 こちらを不安そうに見下ろしているズボの視線で、俺はどうやら落ち着きを取り戻した。やらなければならないことはまだある。
 答えは、もう少し後でもいい。もう少しだけなら……

 「……行こう。」
 俺はズボの顔と、それから川本の背中に向かって小さく声をかけ、南に向かって歩き出した。

 一本目の角を右へ曲がる、

 ……それから……

 ……そう、母と娘の時間のために……
 ズボは、珍しく遅れずについてきた。
川本は俺とズボの間を歩きながら、決して俺に顔を向けようとはしなかった。
 ……『PS』に向かって……

 


28

 角を曲がったところで、リーダー、おっしょはん、大工の3人が俺達を待っていた。

もちろんリーダーの指示だとは思うが、3人共がこちらを向いて、なんとスケアクロウのステージでの並び方と同じ順で立っていた。大工が一歩後ろにいるところまで同じである。『形から入る人』とは彼のような人のことを言うのだろう。
 俺、川本、ズボの順に角を曲がった我々はといえば、当然のことながらその順で立ち止まった。

 「水くさいですよ」
 俺の予想に反して、最初に声を出したのは何と大工だった。その途端、リーダーは少し不愉快な表情になった。原因は誰にでもわかる。自分がまず話すつもりだったに違いない。
 台詞の練習もしてきたのかもしれない。
 「そうや、気を遣い過ぎやで。」
 あろう事か、今度はおっしょはんがしゃべった。リーダーの表情は不愉快を通り越して、明らかに焦りの色が見えるようになった。しかし言わせてもらえば、だいたいがおっしょはんと大工の2人に段取りを期待するのが間違っているのだ。毎回のライブであれだけ思いしらされているというのに、懲りない人である。
作品名:Grass Street1990 MOTHERS 27-36 作家名:MINO