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(続)湯西川にて 16~20

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(続)湯西川にて (20)未明のクジラ解体場



 午前3時を少し過ぎた頃、清子の運転するクラウンがクジラの
解体作業が始まる和田漁港の駐車場へ、ようやくその姿を見せました。
運転席から降りる浴衣姿の清子を確認して、漁港の事務所から、
作業着姿のさちが飛び出してきました。


 「わぁ・・・・素敵。今日はお揃いの浴衣ですね。
 俊彦さんも格段に素晴らしいのですが、本日の
 清子さんはまったくの別格です!
 病院で初めて見た時には、女としてのジェラシーなどを感じましたが、
 今日はもう、感嘆のため息しか出てきません。
 うわぁ、ほんとうに素敵・・・・
 うふふ。父が見たら、たぶん卒倒をしてしまうかもしれません」



 和田漁港は、まだ夜明け前の闇に包まれています。
ただ一か所だけクジラの解体を待つ作業所だけが、こうこうと灯る
多数のライトによって、作業が真近に迫った緊張感を漂わせています。
20人ほどの漁師たちはクジラが浮かぶドッグに、
すでに勢ぞろいをしています。


 作業場内では床が清められ、大量の水が撒かれています。
腹と腸を切断しガス抜き処理をしてから、海に繋がれ一晩かけて熟成をされた
ツチクジラは、ウインチで引き上げられるタイミングを、今や遅しと
静かに待ちかまえています。
この日、加工されるのは房総半島沖合い約20㎞で捕獲した体長が13m、
体重が11トンを越える、きわめて大きなツチクジラです。


 くじらは海面近くのプランクトンやおきあみ等を捕食する髭くじらの
グループと、水深数千メーターまで一気に潜り、イカなどを
主食とする歯くじらのグループに分類をされてます。
ツチクジラは歯くじらの仲間です。
髭くじらなどのグループに比べると、肉色も味わいも濃く深くなるのが、
その特徴と言われています。

 

 最初の合図となる笛が鳴り響くと、クジラが係留されているドッグと、
解体をする作業場を中心に、さらに多くのライトが一斉に点灯を
されていきます。
お~というどよめきが、周囲の闇の中から沸き起こります。
明かりが照らしだす空間のほとんどには、多くの見物人の顔が
ひしめいています。


 見物人たちよりも数歩以上も前に出て、自由に動き回るっているのは、
昨日から在留をしているテレビ局の撮影隊と、あらたに駆けつけてきた地元の新聞記者たちの一団です。
笛の合図以降、早くも会場全体にはむんむんとした熱気などが
充満をしてきました。


 「ずいぶんと沢山のギャラリーの数ねぇ・・・・」


 「鯨の解体は、このあたりでは夏を代表するイベントのひとつさ。
 解体そのものにもすこぶる関心をもつが、なんといっても、
 その後の即売会に人気が集まる。
 それにしても、久々の獲物とあって、今日はいつにもまして
 すごい人の数が集まったもんだ。
 その中でも俺たちは、極めて目立つ存在のカップルのようだぜ」


 「あら、目立つのはお嫌い?
 女将が選んでくれた、渾身ともいえる晴れ着の結城紬の浴衣ですもの。
 目立って当然です。
 ねぇぁ・・・・それはいいけど、それよりも・・・・」


 先ほどから俊彦の右手を、固く握りしめていた清子が、
そこまで語りかけてから、体重を預けるような形で柔らかく身体を
密着をしてきました。
俊彦の耳元で、赤い唇がひそひそとささやきをはじめます。


 (あなた。とっても似合っています。その浴衣。格好いいわよ。
 今頃になって、あの日に別れてしまった事を、
 もうひとりの清子が後悔をし始めています。
 私ったら、今さらになって。まったく、
 何をわけのわからないことを言い出しているんだろう・・・・)


 そう小声でささやき続けている清子に、なにやら異変が目立ってきました。
呼吸が小刻みとなり、握りしめている清子の指もわずかずつ
小刻みに震えはじめます。
やがてかすかに、清子の手のひらが汗ばんできます。


 「大丈夫かよ、清子・・・・
 少し変だぜ。汗びっしよりじゃないか」

 「ねぇ、どうしましょう、あなた。
 もう、足の震えがさっきからどうしても止まらないの。
 残酷なことや、虐待を見るのは、もともと大嫌いなはずなのに、
 なにかが私の中で、ザワザワ、ワクワクと怪しく動き始めているのよ。
 いやだわぁ。何が私の中で騒いでいるのかしら。
 たぶん恐いもの見たさでもう、私の全身は、
 ドキドキとして喜んでいるのよ。
 頭のてっぺんから足のつま先まで、抑えようがないほど
 熱い血が騒ぎまくっているだもの。
 ねぇ、これって、みんなが放っている此処の熱気のせいなのかしら・・・・
 胸のドキドキが、停まらないのょ。
 ねぇねぇ、触ってみる?、ドキドキしっぱなしの、私の胸を」



 「馬鹿も休み休み言え。触れるかよ、こんなところで。
 ほらほら、落ちつけよ。
 初めてクジラの解体を見る時は、みんな似たような感覚を持つもんだ。
 相手が魚では無く、俺たちと同じ『哺乳類』という部分に、
 なぜか不思議と、共感の血が騒ぐようだ。
 ほら、水産庁の担当者たちが、計測作業の準備を始めた。
 もう、まもなくはじまる」


 「私って実は、本当は、残酷なものが大好きなのかしら・・・・。
 ねぇぇ。もっと傍に寄ってもいい?
 息が苦しくなってきたし、誰かの傍に思い切り寄り
 添いたい気分になってきた。
 お願い。もう少しだけ、こうしていてもいいでしょう」
 

 二度目の笛が高らかに鳴って、解体作業の開始が告げられます。

 漁港の担当者がウインチ係に合図を送ると、モーターが
うなりをあげはじめます。
大きなどよめきが鯨のドッグを揺さぶる中、ウインチに繋がれたロープが、
波に揺れているクジラを、ゆっくりと作業場へ手繰り寄せはじめます。
ドッグの手前でそれぞれ待機をしていた漁師たちが、
それぞれの道具を手に各持ち場へと移動をはじめます。

 最初のどよめきの声がすっかりと途絶えるころ、
ふたたび和田漁港には、作業前の緊張した静寂が戻ってきます。
漁師たちはそれぞれの持ち場に立ったまま、巨大な刃物を手に構えたまま、
クジラが近づくのを、無言で待ち構えています。
見物人たちもただただ固唾を呑んだまま、なりゆきを見守り続けています。

 
 ウインチ操作の合図の声だけが、静かな作業場内を響きわたります。
厳粛ともいえる静かさが漂よい続ける中、準備がすべて整った場内では、
この夏、3度目となるツチクジラの解体作業が、
今まさにはじまろうとしています。

(21)へ、つづく



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