鳴神の娘 第三章「吉備の反乱」
少彦名は考え深げに呟く。
そして、言った。
「そんなものには、ならぬほうがいいのじゃ」
斐比伎の室を退出した磐城は、その足で大王のもとを訪れた。
人払いした室の中で、大王は眼下に座した息子に向かって語りかける。
「……どうだ、新しい妃の様子は」
「お元気でいらっしゃいますよ」
磐城は澄まして答える。
大王は、そんな息子の様子を一瞥し、皮肉をこめて言った。
「思惑が外れたな、息子よ。加夜王は、思ったよりもずっと腰抜けだったようだ。--おかげで、一気に吉備に攻め込むこともできなくなった」
「……確かに、建加夜彦王は冷静で賢明な長です。思ったよりも手強い。--ですが、父上。予定が狂った訳ではありません。今回のことは、私の打った布石の一つ」
「ほお?」
大王は楽しそうに口元を歪めた。
「では、無論、次の手があるのだろうな?」
「はい。賢明な者の次は、愚かな者をたきつけるのです」
「--と、申すと?」
「……吉備上道の王、田狭(たざ)の妻・毛媛(けひめ)は、たいそうな美女だそうです。以前、宴で本人がいたく自慢しておりました」
そう言うと、磐城は含みのある笑顔を父に向けた。
「大王、お召し上げ下さい」
「……田狭?」
大王は面食らったように言った。
「しかし、吉備からは斐比伎姫を妃入りさせたばかりだぞ。……しかも、田狭からは、昔そなたらの母を……」
大王は困惑気味に呟く。
「立て続けだからこそ、よいのです。--大王、田狭は短気で直情的な男だそうですよ」
磐城は父である大王を説く。大王は息子の瞳を睨みすえ、ゆっくりと言った。
「……勝算は、あるのだろうな」
「無論」
磐城は自信に満ちて答える。
しばしの沈黙の後、大王は息を吐きながら言った。
「……では、思うようにするがいい」
「--御意」
磐城は、父に向かって頭を下げた。
……吉備上道の王・田狭は、常日頃より、さかんに妻・毛媛のことを友人達に誉め語っていた。
「天下の麗人でも、我が妻に及ぶものはない。にこやかで明るく輝き、際だって美しい。化粧でつくろう必要もなく、久しく世にも類希な美女である。今の世に在っては、最も優れた者だ」
大王はこの話を遙かに聞こし召して、心中よろこんだ。毛媛を求めて自らの妃にしようと思ったので、田狭を異国・任那の国司に任じて遠ざけた。大王はそれからしばらくして、毛媛を召し入れた。
毛媛は田狭との間に、二人の男子を生んでいた。田狭はすでに任地に行ってから、大王が毛媛を召された聞き、助けを求めて新羅へ入ろうと思った。しかし、その時新羅は豊葦原と不仲であった……。
任那で事の次第を知ったとき、田狭は持っていた杯を投げつけて、こう叫んだ。
「吉備はすでに、日嗣の妃として加夜の姫を差し出したではないか! なのに、なお我が妻を召し上げるとは、どういう了見だっ。しかも、わしは以前にも一度、妻・稚媛を取り上げられておる。二度も妻を勝手に奪われて、これ以上黙っていられようか!? 吉備は大和の属国ではない。もはや、奴らの思うままにはさせられぬ!」
田狭は、任那を去って、大王と敵対していた新羅に入った。大王は、田狭の次男である弟君(おとぎみ)に「新羅を攻撃し、それと供に百済から匠を連れてくるように」と命ずる。
弟君たちは、百済経由で新羅を討とうとしたが果たせず、その手前でとどまっていた。
この時、新羅にいた田狭は、弟君に使いを送り、「大王を裏切り、父につけ」と説得する。
弟君には樟媛(くすひめ)という妻がいたが、実は彼女は大和から吉備へ送り込まれた女人だった。田狭の思惑を知った樟媛は、夫の弟君を殺してその陰謀を阻止し、百済の匠を連れて大和へ戻った。
--結局、田狭の反乱は失敗に終わり、彼は異郷の地で客死した。
しかも、この乱を契機に、吉備は大和に「反意あり」と断定され、大王軍の本格的な侵攻を許すこととなる。
--全ては「大和の皇子」の思惑通りだった。
(第三章終わり 第四章へ続く)
作品名:鳴神の娘 第三章「吉備の反乱」 作家名:さくら