架空植物園
県立自然公園となっている風見山へは1時間に1本のバス便があった。しっかり車社会になって一人1台のマイカーとも言えるこの地方の町に路線バスがあるのは、路線の途中に大きな病院があるせいかもしれない。
登山口で降りたのはオレ一人だった。以前登ったのは遙か前なので微かな記憶しか無いので地図は持っている。まあ、地図を見るような複数の道は無い一本道だった筈だが。
車道を少し歩き、横道に入ると水音が聞こえてきた。しばらくは沢沿いに歩く。野鳥の鳴き声、新緑の薄い緑色、沢の水音。まだ風歌い草は見てないが、オレは来てよかったと思った。やや肌寒いと思われたものの歩き始めると丁度良い気温だった。
沢から少し頭痛離れて雪、もう水音は聞こえない。次第に傾斜がきつくなってきて、道は細くなってきている。時々見かける白い花は木イチゴだろう。そう言えば、父と一緒の来た時に実を食べたような記憶がある。この先には岩場がある。それほど大きな規模ではないが奇岩怪石という風景だ。頂上手前のそのあたりに風歌い草はあるのだろうと見当を付けている。
少し息も切れて身体が汗ばんでいる。どこかで一休みしようとオレは思った。しかし都市近郊の山のようにベンチがある訳ではない。切り株も倒木も無かった。ようやく探し出した木の根に座って菓子パンによるエネルギー補給と水分補給をした。
野鳥の鳴き声を聞きながら、都会での便利だが潤いの無い生活を思った。父と同じように妻に去られ、不器用な社交性に乏しい性格の独り暮らしの中年になってしまった自分のこと。オレは木々の間から見える空を見上げた。快晴であった。自分が腰掛けている太い木の枝振りも目に入った。木登り……子供の頃に登った記憶が蘇る。この木にツリーハウスを造って住み込んで見たい。そんなことを思った自分に苦笑した。
汗は拭いたのだが、少し寒く感じてきて、オレは立ち上がった。どこかに山菜採りの人はいるかもしれないが、依然として人には会っていない。
丈の高い木が少なくなって見通しが良くなり、岩場が見えてきた。細い道は蛇行しているので先は見えない。そして片側が崖になってきている。もし滑落してしまったら怪我だけで済みそうもないだろう。父と一緒にここに来た子供の頃は平気だったのだろうかと思い出そうとしたが、記憶が無かった。ここまでは来てなかったのだろうか。
慎重に道を進んだ。全部が危険ということではない。そして要所には鎖が張ってある。
思ってたよりは簡単に危険箇所を渡ることが出来た。だが、道は急坂になっていて、岩に掴まりなら進むことになった。
道というよりは岩を伝ってよじ登るという感じであった。最初のうちは童心にかえって楽しいと思えたその動作も、すぐに苦しいものに変わっていった。つい目的を忘れそうになったが、休憩するたびに辺りに草花が無いか探してみた。父はどこであの花にあったのだろう。まさか、想像の産物というわけではないだろうな、疲れてくると弱気な気分にもなる。
オレは風歌い草の生育環境を創造してみる。風の通り道だろうから、岩と岩の間で土がある場所かあるいは沢沿い。そして程よく日光が当たって水分もある場所。どうもこの岩場ではないような気がしてきた。でも、とりあえず登り切れば頂上だ。そこでもう一度考えてみることにした。
頂上は岩だらけの狭い場所であったが、見晴らしが良かった。童話だったら、ここで風歌い草に出会うのだろうなあとオレは思ったが、花は咲いていなかった。初めて見る景色だった。父と一緒に来た子供の頃はここまで来なかったのかも知れない。発見があった。登ってきた反対側にけもの道のような細い道がある。しかし何処に通じているのか分からなかった。日が暮れるまで充分な時間はあるものの、無事に民家のある所に辿り着ける保証は無い。
下した決断は風歌い草を探しながら、頂上が見える範囲内で降りてみることだった。岩の無い灌木の多い道を降りる。花が咲いているのを見付けたが、スミレのようだ。土がしっとりしてきている。と思う間もなく湧き水のある場所があった。細い流れがあり、下方は沢になっているようだ。手を洗い顔を洗った。そして口に含む。冷たい水を飲み込んだ。疲れがとれたような気分になってきた。
幾つかの湧き水が合わさって次第に沢という流れになっている。沢沿いにしっかりとした道があり、こちらは風見山の裏ルートかもしれない。沢の両側に白い花が咲いていた。二輪草だった。近寄ってみても、音は出ていない。二輪草=風歌い草の図式は無いことになる。
ゆっくりと歩きながら辺りを見渡す。野鳥の鳴く声がする。かすかな沢の水音もする。
オレはカロリーと水分補給のため大きめの岩に座り一休みすることにした。心地よい風が頬を撫でて行く。どこかで草笛のような音がする。もしかしたら……オレはさらに耳を澄ます。どこだ、オレはもう確信の域に入っている。風歌い草だ!