この手に届け
主審のホイッスルが雪空に高らかに鳴り響く。試合が始まった。帝陵は兵藤を中心に序盤から中盤を制圧する。三間高はボールに触れることすらできない。ピッチの選手がパニック状態に陥る。DFを統率すべき田中ですら自分を見失っている。そして次第に威力を増す圧力に三間高はDFラインが下がっていく。
「ラインを下げるな!!。上げろ!!。前から当たれ!!。」
俊也が必死な声で味方に指示を出す。一瞬の隙を突き、兵藤が前を向いてボールを持つ。
「詰めろ!!。」
俊也がイレブンに指示を出すも、疑心暗鬼で中途半端な距離感で当たるDF陣は次々をかわされる。最後のDF田中が華麗に置き去りになった瞬間、兵藤の動きが止まる。俊也ががっちりとボールを抑え込んでいる。三間高応援団、ベンチから歓声が沸く。
「しっかりしろ!!。まだ始まったばっかだぞ!!。田中!!、お前がDFまとめなくてどうすんだ!!。」
「す、すまん。よし、みんな行くぞ!!これからだ!!。」
田中が、ピッチのDFに兵藤にマークの指示を出す。(やっぱりすごいや。俊也君。)六郎はベンチでキーパーグローブを握りしめながらピッチの俊也を見つめる。俊也のスーパープレイをきっかけに試合は硬直状態に入る。だが攻める帝陵、守る三間高の構図は動かず、三間高は、体を張ったDFで帝陵に決定機を作らせないのが精いっぱいだった。田中が三人でのマンマーク指示した兵藤だけはボールを持てなくなりそれも奏功していた。
「ピピ!。」
短いホイッスルと共に前半を終える。ボール支配率では劣っているもののスコアは0‐0。三間高がなんとかしのいだ内容だった。
「はー。はー。」
控室ではイレブンの吐く息しか聞こえない。飛びつくように、我先にとスポーツドリンクを飲む。前半が終了しただけなのにまるで試合が終わったかのように皆疲れきっている。スコア以上の実力差を思い知り、その差を埋めるために走り回った代償だった。
「後半も、この調子でなんとか守って一点取ろう。はー。はー。帝陵にも兵藤にも俺達は負けてないぞ。はー。はー。」
息も絶え絶えになり、息を飲みながら田中がイレブンに声をかける。下を向きながら力なく応えるイレブン。帝陵の攻撃はすさまじく、肉体的、精神的にイレブンを追い込んでいた。俊也はイレブンに声ををかける。
「俺は絶対点をとられねえ。みんな一点でいいなんとかもぎとってくれ!!。」
いつもの荒鷲のような目はさらにぎらつきイレブンに激を飛ばす。みな大きくうなづく。
(俊也君しかいないよ。)六郎は汗で煌めく俊也をまぶしそうに見つめる。田中を中心に円陣を組み、ピッチへ飛出ていくイレブン。
後半が始まる。後半開始から、帝陵の弩踏の攻撃が始まった。3人のマンマークを付けた兵藤はその3人すら振り切る場面が増えてきた。前半の守り疲れもあり、三間高の陣地は何度もなくずたずたに破られる。雨あられのようなシュートが三間高ゴールに浴びせられる。シュートの度に三間高応援団からは悲鳴が上がる。ベンチは総立ちで大声でピッチに声援を送る。兵藤の矢のようなシュートが飛んでくる。届かないと思ったところからにゅっと手が出てきてボールをはじく。
「ナイスキーパー!!。」
応援団、ベンチから歓声が上がる。悔しそうな顔を見せ天をあおぐ兵藤。俊也が幾度となくゴールを死守する。その姿は堅牢に鍵をかける門番のようであった。
「今日の俊也当たってるよ。」「これが代表のほんとの実力なんだ。」「ほんとに同じ年か。」
ベンチの選手が興奮気味に話している。
(今日の俊也君は絶対に点は取られないよ。)六郎はつぶやく。
「あと、何分?」「あと5分。」「延長か。」
刻一刻を進む試合を見ながらベンチでは延長に備え、控え選手が準備を始める。刹那、兵藤が三人のマークを力づくではがし、ドリブルを始める。止めに入ったDFも次々と突破される。華麗さが身上の兵藤とは思えない力のこもった、気迫のこもった突進。田中の決死のスライディングもトップスピードで蹴散らし、ペナルティーエリアへ侵入してくる。ゴールの前には俊也だけだ。迷わず俊也は飛び出す。瞬間、兵藤が止まる。俊也は動き始めている。止まれない。止まれない俊也に兵藤はステップを踏みなおしフェイントを入れる。俊也は完全に逆を取られる。どが!!。鈍器を叩くよう鈍い音がピッチに響く。雪と泥が混じった霧が俊也と兵藤の周りに立ちこめる。(どうなったんだ・・・。)六郎は立ち上がり息を止め、目を凝らす。次第に霧は晴れ視界が明るくなってくる。兵藤が倒れている。茫然と見つめる俊也。あっと、六郎が思ったその瞬間主審のホイッスルが鋭く鳴る。
「ピピー!!。」
主審は左手を大きく上げ、右手をPK地点っを指す。
「PKだー!!。」
大きく沸く、帝陵高イレブン、応援団、ベンチ。もはや勝ったような騒ぎである。反対に静寂に包まれる三間高イレブン、応援団、ベンチ。ガッツポーズをする兵藤。うなだれる俊也。うなだれた俊也に主審は胸からカードを出し示す。レッドカード。退場である。田中が主審に詰め寄るも判定は覆らない。反対に激しく抗議をした田中にもイエローカード、警告が出し示される。背中を落とし、グローブを外す俊也。ユニフォームを脱ぎベンチへ戻ってくる。そのまま俊也はベンチにへたりこむ。
「主審!!。GK交代します。」
田中が苦悶の表情を浮かべ主審に告げる。FWを一枚外し、六郎を投入する。三間高には他に選択肢は無い。六郎は顔から血の気が引いてくのが分かった。この場面での投入。俊也がいる限り自分には試合出場など縁の無いものだと思っていた。ましてや勝負を決める瞬間を託されようとは。俊也の目は虚ろで空を見つめている。六郎は俊也のグローブに気付き、自分のグローブをベンチへ放り投げ俊也のグローブをはめようとする。しかし、手が震えて中々グローブがはまらない。六郎は自分の顔をぱんぱんと叩く。口を使い何とかグローブをはめる。心臓が高鳴る。初めての公式戦、初めての出場。試合に出ることを夢見て、俊也に届くことを夢見て走り続けてきた3年間。ピッチの向こう側とこちら側をたった1本のラインは隔てる別世界。こんな形で踏み越えるとは思わなかったその瞬間。
「六さん、頼みます。」「止めてください。」
ベンチの控え選手達が口ぐちに六郎に声をかける。しかし悲壮な表情は隠せない。六郎の体が硬直しきって顔がまともに見れない。ピッチでは帝陵イレブンが集まる。
「あのキーパーでなかったらもらったな。」「兵藤決めろよ。」「まかせとけ。」
帝陵イレブンは勝利したかのような顔でゴールを見つめる。六郎はラインを震える足でまたいだ。雪でぬかるむピッチを一歩づつ踏みしめながらゴールへ向かう。スパイクの一本、一本が地面に食い込む。(これが試合のピッチなんだ。)六郎がゴール前に立つ。
「GK、ボール確認して。」
主審がボールを六郎に投げる。受け取ったボールはまるでボーリングの玉のように重く感じる。六郎は地面に弾ませ、主審へと投げ返す。主審がボールをPKポイントに設置する。兵藤がキッカ―のポジションに入る。ピッチも応援席もベンチも静まりかえる。極限の緊張感が張りつめ、その空気が六郎を覆う。