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イミテーション・ビューティー

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 その街は小さな海に包まれたなだらかな丘を切り崩すようにして造られた。段々状に揃えられた街並みには一様の暮らしが溢れていた。
 ただ、その町を抱く丘のテッペンはその限りではない。
 丘の頂には大きな屋敷がそそり建ち、眼下に広がる景色を睥睨していた。
 その広く豪奢な屋敷に住むのはとびきり美しい女主人と彼女に仕える下男のみ
であった。

 ***

 絶世の美女である女主人は道行く人々の視線という視線を手繰り寄せ、それを縒って投げ縄をこさえ、数多の人々を捕捉せしめた。つまり彼女は一流の広告塔であったのだ。

 ***

 街にはある程度の規模の経済があり、港とそれに連なる商業地は概ね活気に満ちていた。
 だれもが、だれよりも幸せを掴もうと躍起になり、あの手この手で彼女を広告に利用したがった。
 そのため、街からぽつねんと外れた辺鄙な丘の頂にある女主人の屋敷へみな足繫く通ったが、大概は下男に門前払いをくらい引き返すばかりであった。

 ***

 「本日は仕立て屋と缶詰工場と学童募金協会から申し入れがありましたが、すべてお断り致しました」
 下男は淡々と述べた。
 「あら、ひとつくらいは受けても良かったのじゃない?」
 女主人はその言葉とは裏腹にいかにも気怠るそうな調子で応えた。引き受ける気などさらさらないことは下男にも先刻承知のことである。
「主様。時計屋の宣伝を請け負ったのはほんのおとついでございます。どうかその御身、御労りくださいまし」
 下男はこうべを垂れた。
「ふふ。心配してくれてありがとう。頭でも撫でてあげようかと思ったけれど、そうね、私もう腕がないのだったわね」
 女主人は冗談めかして愉快そうに笑った。

 ***

 女主人は持ち前の美貌を振り撒いて莫大な金を稼いでいたが、それに引けを取らぬほどの浪費家でもあった。
 彼女は様々なものを欲したが、なかでも特に執心したのが花であった。彼女の屋敷のそこここには生き花が溢れかえり、吐き気がするほどに甘ったるい匂いがむうわりとたちこめていた。芳しき匂いに包まれた恍惚の彼女曰く、その瞬間にこそ至福の所在を暴き出せるのだという。
 「花というものはね、生きているのよ。たとえどれほど美しく咲き乱れようといつかは必ず枯れて爛れて乾涸びる。悲しいでしょう。でもね、刹那で揺らぎ久遠で崩れる儚さがなければ、花はただゝくどいのよ。失われることが前提の美しさなのよ。いえ、そもそもすべての美しさはいつかは失われてしまう。でなければ、「美」である資格も価値もありはしないわ。だってそんなの、ちっとも惜しくないのだもの。愛おしくないのだもの。狂おしくないのだもの」
 ベッドに横たわる彼女はまどろみと現の狭間で、傍らに控える下男にそう呟いた。
 ならばあなたという存在にも、価値はないとおっしゃるのですか?
 寸でのところで舌の先に引っ掛かった言葉を、下男はなんとか呑み込んだ。それは、ずっしりと重く下男の胆の底へと沈んでいった。

 ***

 女主人が広告によって得る巨額の報酬のわりに、彼女がこなす仕事はそう多くない。丘の頂の屋敷から町へ下りてくることはごく稀に気が向いたときだけであり、町の人々がその傾城をご覧ずる機会は滅多にない。その突発性は宣伝媒体としてあまりにも安定感に欠けたが、それが逆に絶大なる効果をもたらしたため事業主たちにとっては痛し痒しといったところでもあった。
 ところがある時、宝石屋が勝負に出た。惑星的行動で何者にも縛られることのない女主人をいっそのこと買い取ってしまおうとしたのである。宝石屋は彼女の右腕を手に入れるため、空前絶後の大枚をはたいた。その金があれば、宝石屋がもう三軒はできるであろうというほどの額であった。それでも交渉が成立した時、宝石屋は人生の勝利を確信した。たとえ多額の借金を背負ってでも、彼女の右腕さえあればどこまでも昇りつめることができると考え、そして実際その通りであった。

 ***

 隻腕となった彼女は、その金で街中にある花屋の花という花すべてを買い込んで丘の頂の屋敷へと帰った。下男はしこたま花を抱えて屋敷へせっせと運びいれた。

 ***

 「ご覧。私の右腕がすっかり花に変わってしまったわ」
 「ええ、見ておりますとも」
 「こんなに素敵なことほかにないわね」

 ***

 宝石屋のもっとも大きく豪華な飾り窓の中には、これまた大きく豪華な指輪やブレスレットが嵌められた腕が燦然と煌いていた。街路を行き交う人々は、その美しい腕と宝石にことごとく魅入られ、わらわらと吸い寄せられるのだった。
 宝石屋の向かいに店をかまえる時計屋は、道行く人々がみな宝石屋ばかり凝視し、時計屋を一瞥もせず通り過ぎてゆくのが面白くなかった。
 そこで時計屋も丘の頂の屋敷の女主人の腕を買い付けようと考えた。
 これまた時計屋がさらに3軒建てられるくらいの金を支払い、念願である女主人の腕を手に入れた。店主は早速その腕に店で一番極上で絢爛たる腕時計を巻きつけた。
 その日、街の花屋は早々に店じまいすることを余儀なくされた。無論、売り切れ御免である。

 ***

 「腕がなくなるともっと不便になるかと思ったけれど、案外そうでもないわね」
 「私が貴女様の手足でございます」
 「そうね。でも足はまだ自分のがあるわよ」
 「言葉の綾です。……、まだ……?」
 「ええ、まだ。」
 「さいですか」
 「そうよ」
 「その時もまた、私がおります」
 「当然よ」

 ***

 「ねえ、すべてが花に埋め尽くされた世界って、みたことある?」
 「はい。見ておりますとも。たった今、まさにそれです」
 「私も、みたいわ」
 女主人の首を抱えた下男が、屋敷とそこから見下ろせるすべての景色をみせるべく、彼女を高く掲げた。
 「ふむ。悪くないわね」
 そっけない台詞のわりに彼女の表情はえらく満足気であった。自身の、頭部以外のすべての部位と引き換えに手に入れた、つけいる隙のない完膚なきまでの絶景であった。

 ***

 あれはいつのことであっただろう。たしか彼女は車椅子に乗る五体不満足の身にわずかな木漏れ日を浴びていた。そして彼女が咥えたシガレットに火を点じようとする私に、滔々と語ったのであった。
 「私は美しい。けれど、朽ちも腐りもしない美しさなど所詮はまがいものよ。私はどうしても、『美』の境地へ到達したかった。作り物の人形では絶対に適わない境地へ。だからその身を花に変えるのよ。私が感じる『私』をすべて花に変換する。その時私は花に生まれ変わる。私は『美』の境地へ踏み出すのよ。」
 
 ***

 遠い昼下がりにわずかに思いを馳せたのち、私はおもむろに真っ赤なアマリリスを一輪とりだした。
「お願いがあります。恐れ多いことですがこれで貴女様を売って頂けませんか?」
 女主人は一瞬だけ思案するようなフリをしてみせてから、朗らかに笑って言った。
「ええ、いいわよ」

 ***

 丘を撫で回す風は芳醇かつ濃厚な花の香りを孕んでいた。その風にあおられ、一輪のアマリリスが揺れている。
 やがてその丘をぽつぽつとくだる人影が見えた。