放課後シリーズ
的前に立つ森野は、一瞬にして別人の目となる。どこにそれほどの集中力を隠していたのか、何ものも寄せ付けない姿に、上芝は畏怖せずにいられなかった――自制心が保てない。その射に挑みたくなる欲望が、上芝本来の射を奪って行く。だから彼の射から逃げた。もともとのムラっ気を隠れ蓑にして、なるべく同じ空間にいることを避ける。自分の射を取り戻すために、大阪に帰ることを決めた。
「俺はあのイメージをずっと追いつづけてんだ。いつかああいった弓を引きたいって。止めないで続けたら、俺も引けるのかなって」
森野の射を変えたのは、自分の射だったことを上芝は知った。あの『射』を生み出した本人が、知らずにその『射』を恐れていたとは、なんて滑稽なんだ…と、上芝は肩の力が抜けたことを覚えている。
この、心身を包む静寂はとても懐かしい。大丈夫、そう遠くない将来、自分は『射』を取り戻せる――矢道を進む森野の『気』を感じながら、上芝は思った。
気が熟して放たれた矢は、空気を割いた。
離れてなお、残る感触を忘れがたく、射手は『射』を反芻する――幾度も、幾度も。
的を射抜き、安土を超え、見えない空間を永遠に走り続けよとさえ、願いながら。
小橋裕也(こはし・ゆうや)は前で引く上芝を凝視する。射が変わった。『射』と言うよりも『気』。以前のピリピリとした緊張感を伴ったそれとは違う。
森野と同じ空間で引く時、上芝はいつも緊張していた。淡々と行射するものの、明らかに的中率は低下した。上芝は弓道場で森野を避けている――小橋はそう思っている。
「力任せに引くだけの、威圧する射ぁやんけ。見てるだけで疲れるわ」
小橋が一年の時、冗談まじりに上芝が森野の射を評したことがあった。その言葉が心に残り、時々、漠然とした違和感となって思い出された。それが何かを小橋なりに理解したのは今年のGW合宿。森野の射に威圧され、上芝は平常心を保てないのではないかと。
なのに今の上芝からは、独特の緊張感が感じられない。代わってしなやかな気を、その身に纏う。的を見据える横顔の、眼鏡の奥に見える瞳は、水のように静かだった。森野とはまったく違う射と気を持ちながら、同じく周りを圧する。誰をも寄せ付けない。こんな彼を見るのは初めてだと、小橋は思った。
「あいつの本当の射をもう一度見るために、俺は引いてんだよ」