(続)湯西川にて 11~15
(続)湯西川にて (15)係留ドッグのツチクジラ
ウィンチから長く伸びたロープの先には、
内臓の一部が取り出され、しっぽの部分を切断されたツチクジラが、
ドッグ内の波に洗われながら、静かに巨体を横たえています。
「え、・・え。
想像をしていたよりは、はるかに大きいわ・・・・」
堤防上から見るその大きさに、清子が思わず目を見張っています。
ツチクジラの明るい灰色の背中には、至るところに白い
ひっかき傷が見えます。
南洋に生息をしているミナミツチクジラと、北洋を生息域とする
ツチクジラの外観は非常によく似ていると言われています。
ツチクジラは成長すると12mから13mに達し、体重は11トンほどになりますが、
体型は全体的に細長く、胴回りは体長の50%程度に過ぎません。
体色はほぼ一色で、個体による違いはありますが、
明るい灰色から黒色の範囲です。
胸びれは比較的小さ目で、先端は丸くなっています。
同じく背びれも小さく、丸くなっており、全長の3/4くらいの位置に
ついています。
特徴でもある全身の白い引っかき傷は、加齢とともに増えていくために、
年齢の大雑把な見積もりに利用することもできます。
「なんだか・・・・
とても大きくなった、イルカのようにも見えますね」
麦わら帽子を片手で押えたさきが、清子の耳元へささやきかけます。
「イルカもクジラも、私たち人間と同じ「ほ乳類」の仲間です。
たしかに、イルカとクジラは見た目にも、非常によく似ている
動物だと思います。
ほとんど、区別が無いと言っても過言ではありません。
クジラとイルカを区別する唯一の基準は、体の大きさです。
イルカもクジラと同じ仲間ですので、大人に成長した時点で、
体長が4メートルを超える種類をクジラと呼び、
4メートル未満の体長の種類を、イルカと規定しています」
「あら、同じ仲間なの。・・・・
どうりで似ているはずですねぇ」
「生物分類上では、イルカとクジラに違いは一切ありません。
ちなみに、クジラもイルカは「ほ乳類」ですので、
水中での呼吸が出来ないために、
水面に上がってから背中にある鼻で呼吸をしています。
クジラの中で、体長が一番大きい種類はシロナガスクジラですが、
シロナガスクジラが潮を吹くと、その高さは
10~15メートルまで上がるそうです。
クジラは、その種類によって呼吸をする背中の鼻の
大きさや形が異なりますので、
クジラの種類ごとに、潮吹きの大きさと形に特徴が出るそうです。
ベテランの漁師さんたちは、クジラが吹いた潮も形を見ただけで
クジラの種類が分かるそうです。
と言ってもこれらの知識は、実はすべて
クジラ漁師の父からの受け売りです。
あ、言っているそばから、父があちらで呼んでいるようです。
ご免なさい。ではまた、のちほどに」
麦わら帽子を片手で押ええながら、さきが元気に駆けだしていきます。
肩へしっかりともたれかかり、満足そうにツチクジラに見いっている俊彦へ、
清子が、小さな声で耳元へささやきかけます。
「テレビ局や、地方新聞社の取材がたくさん見えています。
あまり接近をし過ぎて仲の良い姿などをお見せしてしまうと、
ヤキモチなどを妬かれて
ツチクジラではなく、私たちのイチャつきぶりが
撮影をされてしまうかもしれません。
あなた、ほら、鼻の下が伸びきっていますよ、
はしたない。うふふふ」
「馬鹿を言え。
今日の主役は、ツチクジラとそれを獲った、あのクジラ漁師の連中だ。
漁師連中の真ん中に、真っ白い頭で、鬼瓦みたいな顔をした男が
立っているだろう。
あの男が沿岸捕鯨の船団長で、長い歴史を持つクジラ漁師の元締めだ」
「まさに赤銅色に日焼けした、海の男そのものという風貌だわね・・・・
で、それを引き継ぐべき息子というか、後継者はどこにいるの?」
「良い質問だ。
その点だけが、クジラ漁師の柿崎さんにとっての、一番の悩みで泣き所だ。
残念ながら子供は一人。それがあの一人娘の、さきさんだ」
「うわ~。絵にかいたような親子の確執のドラマが始まるわを。
後継ぎで漁師の婿をとるはずの一人娘に、
不良の岡本さんが心底惚れぬいているなんて、ただ事ではすみません。
まあさに、”お家騒動”の幕開けですね」
「その通りだ。しかし事態は既に深刻だ。
実は彼女のほうも岡本にゾッコンで、二人は今や、
相思相愛の間柄になっている。
どう見ても、ここからは大波乱を含んだ芝居の幕があくことになる」
「なるほど・・・・
言うならば、房総のロミオとジュリエットの始まりか。
悲劇的な結末にだけは、ならないことを祈りたいわね」
「俺もその巻き添えを食ったが、どうやら君にも
その災難が降りかかってきそうな気配もある。
だがそれもまた、まだまだ先の話だ。
今から、あれやこれやと心配をしたところで始まらないさ。
そんなことよりも、今は、こっちのほうがよっぽども
居心地が良い・・・・」
そう言いながら、また気持ち良さそうに清子の肩にもたれかかり、
きわめてのん気なそぶりを見せている、俊彦です・・・・
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作品名:(続)湯西川にて 11~15 作家名:落合順平