珈琲日和 その16
「仕事が上手く片付いた帰りは、ここの喫茶店で必ずレモンスカッシュを飲むようにしてました。なんていうか、明日も自己新記録を更新するぞって気になるんです。それに、子どもの頃に母が作ってくれたレモンスカッシュの味を思い出して元気が出るんです。仕事がなくなってからも尚、元気をもらいたくて来てしまっているんですけど、もし、ご迷惑でしたら控えますので」
「いいえ。大丈夫です。むしろ来てください。そして、たくさんレモンスカッシュを飲んで、元気になって下さい。元気になって、以前見つけられなかった大切にするものを探さなきゃいけないんですから」
思いのほか大きな声で、怒鳴るように言ってしまった自分が恥ずかしくなって、僕は真っ赤になりながら、すみませんと付け足しました。彼は今まで見た事がないくらい大きくニッコリと笑うと、ありがとうございますと言って、一気にレモンスカッシュを飲み干したのです。
「また来ますっ!」
彼は勢いよくそう言って帰っていきました。その後ろ姿を見送りながら、僕は安堵のため息をつきました。もう大丈夫。彼の背中で誰かがそっと囁いているように見えたからです。大丈夫。彼はまだ若い。彼はまだ色々と抱え込んではいないから。僕は父を思いました。
自信が打ち砕かれてしまった年老いた父は、もう家族を守る自信すらなかったのかもしれません。僕が成人して間もなく、差出人不明の一通の手紙がポストに入りました。開けてみると、中には父の死亡通知と、色褪せた紙屑のようなものが入ってました。何処かで野たれ死んだらしいと、その時は冷ややかな感情しか湧いてきませんでした。母を苦しませた、あんなろくでなし。むしろ、まだ生きていたのかと、そんな事を思い巡らしながら、そのゴミ同然に見える紙屑を広げてました。そこには、クレヨンで殴り書きのような絵が描いてありました。笑いながらネクタイを絞めて手を振っている父親と思しき人が、母親と思しき人と子どもに手を振って会社に出かけている絵なのです。習いたての平仮名で辿々しく文字がありました。
『はたらく おとうさん』