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フィルムの無い映画達 ♯02

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産声が告げる真実



私は分娩室でいきんでいる。産婦人科の先生の掛け声。

「はい、いきんで!」

 「いきむ」……思えば「いきむ」という動詞は、出産の枕詞とも言える動詞だ。日常生活において、これほど激しく意識的に「いきむ」事は、皆無といってよい(便秘時を除いて)

 「いきむ」……「いきる」という言葉に似ている……いきむのは私だが、いきるのは誰?それは多分赤ちゃん……私がいきむ事で、いきる存在を捻り出すのだ。

「ひーひーふー」

 ラマーズのリズムで、私はため息を吐いていた。生まれてくる赤ちゃん……その父親の事を想って……

****

 当時。

 私は、同時に二人の男性と交際していた。

 一人目――同僚の佐藤くん――忘年会、新年会と一緒に飲んだり歌ったりしているうちに、自然の流れで付き合う事になった人。年は私と同じ、27。

 そして、二人目――名古屋から単身赴任の杉浦課長代行――妻帯者。お子さんはまだいない。単身赴任の寂しさ……それを紛らわせたいという杉浦さんの思惑と、その寂しさに付け込みたいと思った私の謀略が、見事に一致して、交際に発展したケース。

 オフィスラブ……と呼び習わすほど、素敵な恋ではないです、これらの恋は。佐藤くんとは流れでそうなっただけだし……杉浦課長代行とは……不倫なのだし……

 私は悪い女だと思います。だが分かって欲しいのですが、悪い女というのは、大体が弱い女なのです。私は悪くて弱くてそしてズルい女です。三拍子そろったダメ女です。
 私の弱さは、誰よりも大きく虚ろな心の穴――そして私のズルさ、その穴を埋め合わせようとして、二人の男性と同時期に交際していた鉄面皮……

*****

「赤ちゃんが出来たの」

 ドラマでしか聞いたことのないセリフ。遡ること、約八ヶ月前、私はドラマじみたセリフを言った。二人の男――佐藤くんと杉浦課長代行に。

 佐藤くんの反応は――

「……そうかい……で…………………………………どうする?」

 だった。

 「どうする?」と問われて私の心はバリンと割れた。「どうする?」って……どうして私に聞くの?それは私が決める事なの?
 「どうする?」――つまり、産むか、堕ろすかという二択。それを問うているわけだ彼は私に。自分の意思を保留して、私に命の選択を委ねようとしたのだ……この赤ん坊の父親……いや、父親かも知れない目の前の男は!

「産む」

 即答した。彼は押し黙ってしまった。私はきっぱりとこう言葉を継いだ。

「心配しないで、一人で育てるから。認知とかしなくてもいいし」

 もともとそのつもりだった。赤ん坊に罪はない。この世に産まれる権利を剥奪されるような痂皮もない。まだ生まれてさえいないほど無垢なのだ私の赤ん坊は。

「……そう……俺にできる事があったら言ってくれ」

 私は幻滅した。こんな男と交際していた自分自身に対して。

「何もないわ。貴方が私に出来る事なんて何もないの。さようなら」

 私は彼と別れた。彼のアパートを出ると、雨が上がっていて、アスファルトから立ち込める独特の匂いが深呼吸に吸い込まれてきて……流石に虹は見えなかったけども、なんだか私は。とても清々しい気持ちになった、のを覚えている。

*****

「赤ちゃんがね……出来ちゃったの」

 杉浦課長代行に、その事実を告げるのは、なんだか後ろめたかった。私は、課長の家庭を壊してまで、自分の存在を主張しようとは思っていなかった。それに、この交際はもともと、私が一方的に杉浦さんの事を好きになってしまったのがきっかけで始まったものであり、彼は私の誘惑に負けてしまった憐れな単身赴任の一サラリーマンに過ぎない――と私は思っていた。

 杉浦課長代行の反応は――

「そうか……産んでくれ」

 だった。

 決済を貰うために書類を持っていった時のリアクションと同じトーン、明朗な声で杉浦さんは言い切った。

「君さえよかったら、産んでくれないか……僕の子を」

 杉浦さんは、私を気遣いながら、優しく言葉を継ぐ。

「僕には妻がいる……正直な気持ち、妻とは別れるつもりはない。だけど……だからといって君との交際、決していい加減な気持ちで付き合っていた訳ではないんだ……都合のいい事を言っているのは分かっているけど、それだけは信じて欲しい」

 かつてない真剣な眼差しが、悪くて弱くてズルい私のハートを貫く。

「産んで欲しい……赤ん坊には罪はない。正しい責任の取り方……今は分からないけども、僕は、君と産まれてくる子のためなら、なんだってするよ……」

 私は泣きそうになった。「産んでくれ」そう言われてとても嬉しかった。きっとお腹の中の赤ん坊もうれしかったに違いない。

「僕、産まれていいんだね?」

 そんな鼓動が聞こえてくる気がした。

*****

 私は、去った。会社から、そして、交際していた二人の男の前から……去った。

 何も告げずに、杉浦さんとの前から消えてしまうのは、とても辛かった。だけど、きっぱりと「妻と別れるつもりはない」と言い切った愛妻家の杉浦さんに対して、何も言わず消えてあげることが、実は一番の思いやりなのではないかと、私は思った。

「一人で育てられるもん」

 両親にはそう言った。最初はガミガミ言っていてが、規格外の私のポジティブさに根負けしたのか、しまいに両親も納得してくれた。

「それがお前の幸せだってんならぁ、そうするがええ」

 そう言ってくれた。私はまたしても泣いてしまった。お腹の中で、赤ん坊も多分泣いているだろう。その涙は羊水の塩分濃度を上げてしまったりしないのだろうか?

*****

「いきんでーーー!」

 分娩室、今まさに、私はクライマックスを迎えようとしている。

「ヒーーーー」

 ヒーヒーフーのヒーがそのまま絶叫となって天井にバウンドした。

「う……産まれる……」

 私は実感を言葉にした。

「頑張って香織」

 立ち会ってくれた母さんの声、私を限りなく元気づける。

 心残りがあった――この子の父親は……どっちなのだろうか?

 堕ろせとは言わないまでも、「どうする?」と態度を決めかねていた佐藤くん。彼がこの子の父親なのだろうか?

 それとも――

 「産んでくれ」と力強く言ってくれた杉浦さん……彼がこの子の父親なのだろうか?

 分からない……血液型……私そういうの気にしないタイプなので、二人が何型なのか知らない。もちろんDNA鑑定なんてするつもりもない。

 だけど……杉浦さんの子供であって欲しいな……今頃彼、単身赴任を終えて、名古屋に帰ったことだろう……愛する奥さんのいる愛知県名古屋市に……

 なんてとりとめもない事を考えている隙に。

「元気な男の子ですよ。お母さん」

 赤ちゃんは生まれていた。

 私は感涙。赤ん坊の産声を聞いて、私は止めどなく涙を流していた。

「ダギャー、ダギャー」

 あゝ

 この子はきっと……杉浦さんの子供だ……