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阿佐まゆこ
阿佐まゆこ
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ある、春の日

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私は今年で、一体何歳になるのでしょうか。私が自分の年齢を数えていたのは、だいたい二十三歳くらいまでです。それからというもの、転がり落ちるように年月が過ぎていって、一年は形を失い、ただ暑くなったり寒くなったりを繰り返しているうちに私の手の甲には細かい皺がたくさん刻まれていました。きっと私の顔にも、たくさんの皺が刻まれていることでしょう。きっと、というのは、私が現在の自分の顔を見ることができないからです。私が鏡を覗くと、二十三歳くらいの時から変わらない私の顔が見えます。だから不思議なことに、私は顔だけは年を取らないという、特異中の特異体質なんだとすっかり思い込んでいました。そんな私ですが、一度だけ現在の本当の顔を見たことがあります。だから私は今、私自身のなんらかの精神のゆがみによって本当の顔が見れなくなっているのだと知っています。私の本当の顔。それは私の母にそっくりでした。

 あれが何年何月のことだったのかは、もはや曖昧です。だいたい、いつであったのかなど、正確に覚えておく必要はないのだと思います。でも、子供の頃はそんなわけにはいかなかった。幼い頃の私は、母が過去の話をする時に、去年と一昨年の区別もつかないということに驚き呆れたものでした。当時の私にとっては、一年はとても大きな大切な一区切りでした。特別に起きていることを許されていた元旦の深夜には、私の前に横たわる一年はまさに真冬の夜の闇のように黒々と濃くて沢山の未知を含んでおり、当時の私はとても厳かな気分で年始を迎えたものです。それが今となっては、いつ年が暮れたり明けたりするのかもわかりません。昭和時代が平成時代になったことは覚えています。でも、あるときカレンダーの千の位が一から二に変わって、それからはもう違いがわかりません。なので、私が過去を振り返るときは、今ではないいつか、それだけで十分なのです。
 
 私はその日、久しぶりに外へ出ました。そうそう、私はある時から長い長い間、どこかへ閉じ込められているのです。私の人生に起こったあらゆる物事のきっかけなど忘れてしまいましたが、閉じ込められる少し前までは、私は会社員をしていました。その前はというと、ごく短い間ですが、若い女ばかりが通う学校へ通っていました。私も当時は本当に若くて、手の皺がありませんでした。閉じ込められたきっかけを今少し思い出していました。会社員だった頃、同僚の女がいました。彼女はその、女ばかり通う学校で私と同級生だったのです。だから、卒業して同じ会社へ通うことになってからもよく一緒にいました。あるとき、私は彼女に灯油をかけました。でも、灯油だなんてどこから持ってきたのだろう。とにかく灯油をかけて、火をつけようとしたところ、沢山男が来て取り押さえられた。皆会社の男たちでした。取り押さえるときに聞こえた言葉は今でもはっきりと覚えています。ひとごろしおまえが死ねブス、でした。私は彼女を見上げました。彼女は私がライターを灯した瞬間ものすごく、なんとも言えない怯えた表情をしていたのに、そんな表情は消え去ってまた勝ち誇った顔をしていた。いつもどおりにというか、地面に押さえつけられた私を見下ろして、前髪から油を滴らせて本当に美しかった。私は地面に額をつけました。彼女の形のいい足首と、華奢なヒールの靴が目の前にありました。私は目を閉じて涙を流しました。その時私は二十三歳でした。その後長く閉じ込められ、私は年をとらなくなりました。そしていつの間にか、手の甲が皺皺になっていました。
 
 ある日のこと、それは全く突然だったのですが、私は外出を命じられました。しかも一人で外出することになったのです。閉じ込められてからというもの、外出の時には私の妹が来て、私の手をひいて歩きました。しかし、妹とは当時、長い間会っていませんでした。ある日面会に来たときに、彼女はずっと泣いていました。お母さんは、とそのとき妹は言いました。あんたのせいでものすごく苦労をすることになった。あんたのせいで早く死んでしまった。あんたが路上で死ななくても済むために、ただそのためだけに力を使い果たしてしまった。そう言っていつまでも泣いていました。
 私は、妹の言うことがよくわかりませんでした。母は今でも牛込の家で、ハンバーグやコロッケを作って、余ったら冷凍保存なんかして、元気に暮らしているはずなのです。そのことを妹に伝えると、彼女は黙って私をまっすぐに見つめました。吸い込まれそうに大きな目でした。静かな目でした。鏡みたいな湖みたいな、冷たくて静かな目でした。顔色は白く、唇がぶるぶると震えていました。そのうち、目から大きな涙が流れました。私は、自分を含めてですが、人が泣くときは喚いたり嘆いたり嗚咽したりするものだと思っていたのですが、妹はただ私を見つめて、黙って涙を流し続けました。それから長い間、妹と私は会わなくなってしまいました。

 一人での外出は、私にとっては気の進まないものでした。しかしその日は長い長い冬が終わって、ようやく春の兆しの見えてきた美しい晴天でした。だから私も、冬眠から醒めた生き物や草木の芽が土の中から這い出すかのように、太陽の光を求めて外へ出たのです。外出の際、いつも世話をしてくれる女性が、携帯電話を私に持たせました。とにかく何かあったら、と彼女は言いました。いち、のボタンをおしてください。いちのボタンですよ。すると私に繋がります。すぐに迎えにいきますからねと。はい、と素直に携帯電話を受け取ったものの、私は腑に落ちませんでした。なぜここまでして外出をしなければならないのかと。しかしそれは必要なことなのだと医者が言うのでした。だから数ヶ月前から、あの日に外出をすると決められていたのです。本当は天気が悪ければ、体調が悪いだのもう生きていたくないだの言って外に出ないつもりでいました。しかし私は誘われました。四月の美しい太陽に、良い香りのする風に。おまけに病室の窓からは、満開の桜が枝を揺らしているのが見えました。という訳で私は、手袋を嵌め、一番好きな服を着て外へ出たのです。

 何度も言いますが、私の顔は若いままなのです。少なくとも私にはそう見えます。でも、身体は老いています。だから私は、顔と身体の違和感を隠す為に、外出の際には肌を全て隠すようにしていました。閉じ込められてからというもの、夏は外へ出ていません。肌を完全に隠せば、私はいつまでも若い女なのです。

 しかし一人で外出するとは、何と頼りのないことなのでしょうね。私は妹に嫌われてしまいましたが、実によく私を支えてくれていたわけなのです。私の心も、歩くときも、です。とにかくその日はとても美しい晴天でした。眩しすぎたのです。私は、なんだかリハビリとか治療という名目で外出し、決められた道のりをきちんと歩いて、閉じ込められている場所へ戻るということを成し遂げなければなりませんでした。しかしどうでしょう、とにかく太陽が眩し過ぎたのです。
作品名:ある、春の日 作家名:阿佐まゆこ