D.o.A. ep.44~57
水の音がする。
ぼんやりとした頭が、すこしずつ自分の行動を思い出させる。
黄金の獣と共に、滝壺へ身を投げた。
無我夢中だった―――自らのことなど忘れるほどに。
ライルがとどめを刺そうとしているのがわかって、それはイヤだ、と、頭より先に体が動いていた。
戦いを見届けようなどと思ったくせに、レオンハートが死ぬのもイヤだった。
自分など生きているべきではないと、そう自らを呪う孤独に寄り添いたいと願った。
伝えたいことはたくさんあって、上手く言える気がしなくても、10分の1でいいから訴えたい言葉があった。
―――目を開く。
頬が温く濡れていて、泣いていたのだと気づいた。
視界には木々が生い茂り、木々の隙間に白んだ空が見える。
滝の音は聞こえないので、かなり流されたであろう川辺に、仰向けで倒れていた。
感覚としてはついさっき滝に飛び込んだつもりでいたが、あれは確か夕刻だ。
日をまたぎ、太陽が地平線で出番を控えている。夜明け前らしい。
「…ソル…?」
そう、声に出して、意識がはっきりしてきた。
ズタズタに傷ついている、あの黄金色の巨躯を目が探す。
果たしてそれはすぐに見つかった。
彼より少し離れた場所で、それは傷だらけでもしっかり立っている。
それなのに、儚い姿に見えたのは、きっと気のせいではない。
がばっと身を起こし、ジャックは獣に駆け寄った。
「………」
そして、あるところで足を止めてしまう。
ネイアを救出に行く前の晩の、浜辺でのことが脳裏をよぎる。
黄金の獣が神聖で、近寄りがたいと感じていた自分を―――頭から放り出して、静かに歩み寄る。
あの時、遠慮なく近寄って話しかけていたら、何か違っていただろうか、などと考えながら。
琥珀はこちらを映していないが、拒絶の意思も感じなかった。
一歩、また一歩とすすんで、ついに手を伸ばせばその毛並みに触れられるところまで来た。
「…な、また、助けてくれた?」
『………』
「ずっと礼、言おうと思っててん。ありがと、な」
ひとつきちょっと前から。
そう、口に出さずに、微笑んで見せる。
『…あまり寄るな。じきに消えるとはいえ、身体に障るかも知れん』
「え…?」
『あの少年を消すには、最後の機会だった。そして敗北した。
意味の無い生を、最期で挽回する腹積もりだったが…』
頭の中に響く低い声色は、穏やかな凪のようだ。
『結局私の生は、多くの者に悲しみを撒き散らしただけだった』
憎悪は無い。悲嘆も、痛みも、激情も、遥か遠い。
空っぽであろう胸中が、なによりジャックには耐え難かった。
「…そんなこと、言わんといて…」
琥珀に、涙声をふりしぼる青年が映りこむ。
「出会った人、誰も彼もみんな幸せにできんかったら、…それで、生きてる意味ないって、そう言うん?」
『お前に、私の生は、理解できまい』
「…お前がどんなふうに生きてきたかなんて、関係あらへん。俺…俺と出会ってからのお前しか知らん、から」
『多くの人を不幸にし、国を滅ぼした。物言わぬ生き物だけがいる島を幾つも食い潰した。私さえいなければ』
「もう、いい!もう自分のことこれ以上悪く言うんやめてくれ…っ!」
最後の一歩を、つめた。
黄金の体をぎゅうと抱きしめ、毛並みに顔をうずめて、咽び泣く。
温かいはずの毛並みは、予想と違って頼りないほど冷たい。
この世のものではなく、もうすぐ消えるという事実を、その冷たさでまざまざと理解し、また涙が溢れた。
それを拒むでもなく、しゃくり上げる背をレオンハートは見つめていた。
『お前は、いつも、そうだな』
ふと、レオンハートが語りかけてくる。
自分だけで完結する言葉以外に、ジャックという相手に話しかけたのだ。
『そのように泣く。必死になる。…お前にとって、私は、いったい何だ?』
顔を上げ、流れる涙にも構わず、レオンハートのことを思い返す。
あの日、乾きながら人知れず死んでいくのだと何もかもを諦め、絶望したとき、救いの手を差し伸べてくれたことを。
明日を諦めた自分に、生きろと、二つの琥珀色が訴えてくれたことを。
「明日は…誰にも、わからへんって、せやから、生きろって…教えてくれた」
誰もいない島で、たとえこの先一生誰にも会えないとしても、諦めまいと思った。
「海から、俺の心ごと、引き上げてってくれた。
あの一ヶ月、死にとうならんかったのは、お前が、明日をくれたからや」
『…ほんの気紛れで、ずいぶん恩を着せてしまったものだな』
ジャックはその声にかぶりを振る。
そう、恩があるとか、そういう理由で泣きたくなるのではないし、必死になるわけでもない。
作品名:D.o.A. ep.44~57 作家名:har