ビッグミリオン
『制御室』とプレートのかかっているドアを開けると、その中は無人だった。都合のいいことに、施設を上空から見た見取り図が大きなモニターに映しだされている。ただその画面には、侵入者を知らせるエマージェンシーシグナルが所々で忙しく点滅していた。
「俺の大切な仲間が監禁されているんだ。すぐに助け出さないと」
そう言うが早いか、東側の電子ロックから順番にOPENにしていく。
「ほう、友達ができたのか? 仲間ってのはいいもんだからな。よし! 急いでここを出るぞ。この島の北東に、俺を乗せてきたクルーザーがあるはずだ。足はかなり速い」
「親父、ありがとな。あんたが来なけりゃきっと、俺の血液は大出血サービスで抜かれてたよ」
小さな電燈が灯る廊下を早足で歩きながら、息子は春樹の顔をじっと見つめた。
「なんか照れんじゃねーかよ。礼は逃げ切れた時に言ってくれ」
その時、施設中に響き渡るほどの音でサイレンが鳴り響いた。手足を縛られていた所長が、机の下まで這いずって行き非常ボタンを押したのだ。
次の角を曲がると同時に、複数の足音が二人の耳に飛び込んできた。
「おーい、ひょっとしてそこにいるのは紫苑か?」
声をかけてきたのは謙介だった。謙介の後ろに守られるように歩いているのは……あずさだ。
「良かったあ! 連絡がとれないから心配してたのよ。あれから謙介さんがスタッフをやっつけて私を助けに来てくれたの。マッチョな敵はあっちの廊下でのびてるわ」
あずさは、走って紫苑の元に駆け寄るとジャンプしながらハイタッチする。
「おいおい、謙介さんもやるじゃないか。ところで、リーマンさんたちは?」
「さっき会ったわ。追っ手がいるらしいから、二手に分かれて中庭に集合することになってる」
「OK。じゃあ俺たちも中庭に向かおうか」
「ごほん。おい紫苑。俺のことをこの可愛いお嬢さんに紹介してくれないのか? おまえを助けた武勇伝とかをほどよく織り交ぜてだな」
春樹が口をへの字にして言った。
「これ、俺の親父。みんなよろしく!」
「おまえ、俺の話の後半聞いてなかっただろ」
謙介とあずさは、やっぱりという顔をしながら軽く頭を下げた。
「顔が似てらっしゃるから、そうじゃないかとは思っていました。よろしくお願いします」
「君たちが息子の大切な友達か。おっと、向こうから誰か来るようだ。よし、走ろう!」
四人は、姿勢を低く保ちながら音を立てない様に走り出した。だが、春樹だけは少し遅れ気味だった。電燈の光に照らされている彼の顔色もあまり良くないようだ。
「おじさん、大丈夫?」
あずさがひそひそ声で、後ろから春樹の背中を心配そうにつっつく。
「ありがとう、お譲ちゃん優しいな。どう? 息子の嫁に」
振り向いたその笑顔は、本当に紫苑にそっくりだった。無理して強がる表情も。
駆け足で四つほど角を曲がると、やがて中庭に出る赤いドアが見えてきた。ドアを急いでくぐると、中庭の中心に水を高々と噴き上げている噴水があった。廊下からの小さな明かりに反射して、なみなみと水が湛えられている様子が伺える。その台座に駆け寄ると、闇に潜むようにばらばらに座っていた複数の人影が、今来た四人を警戒するように一瞬身構える。。
「よお、遅かったな。やっぱり俺の言った通り、この施設は胡散臭かっただろ?」
「しっ!!」
あつしの言葉を遮るように、リーマンが警告した。リーマンの見ている方向には、軍服を着た一団が乱暴に部屋のドアを蹴り破っている姿が見える。手に持っている自動小銃の影が、廊下の壁にまるで影絵のように不気味に映っていた。
「何なんだ、あいつらは。誰かを探しているようにも見えるな。まあ、敵か味方かっていうと物凄く敵っぽいけど」
謙介の言葉に、全員が黙って頷いた。
その時、中庭に響き渡るような雑音に続き、男の声で館内放送が流れ出した。
「あーあー、この放送を聞いている諸君。ここは私の部隊が制圧した。まだ隠れているものは、速やかに出て来るように。特に篠崎紫苑くんに聞いて欲しい。先ほど、君がある権力から狙われているという情報が入った。彼らは君の血液を独り占めする気でいる。仲間の安全は私が保障するから、安心して出てきたまえ。そうそう、ここの研究の要とも言うべきエドワード博士はこちらで拘束した。仲間を助けたかったら、我々のチームに加わるんだ。私はブライアン。繰り返す……」
謙介たちには聞きなれた声だった。一同は耳をこらして内容を聞き取っていたが、誰一人「出て行こう」と言うものはいない。
「何かおかしいわね。彼が協力したのは、この島に私たち、いや紫苑さんを隔離するためなのは分かる。あれから何かあったのかしら。……でもエドワード博士がいないとワクチンのコピーは絶望的ね」
リンダは深く長いため息をついた。
「お金で博士を取り戻せるなら、俺が小切手を持って行って交渉してみようかな」
モヒカンが、噴水の台座に複雑に絡まるツタをいじりながら提案する。暗闇の中のそれは、まるで人間の血管のようでかなり不気味だ。繰り返し続く呼びかけを無視して、中庭では激しく意見が交差していた。
「紫苑は絶対出ていっちゃダメよ。ブライアンたちもあなたの血を抜いて、自分たちが助かろうと必死なんだから」
あずさが紫苑の耳元でささやく。
「最初から信用してないよ。信用できるのは謙介さんとおまえだけだ」
小さな声で、そっとつぶやいた。
「おいおい、俺も信用してくれよな」
ちらっと親父を見る紫苑の眼は「あたりまえだろ」という風に笑っているように見えた。
「みんな、よく聞いてくれ。この島の北東に船があるらしい。俺がおとりになって注意を引くから、その隙に裏口から逃げろ。北に逃げれば深い森になっている。迷うかもしれないが、GPSで探せばきっとたどりつけるだろう」
小さいがきっぱりした声で、謙介が作戦を提案する。
「ダメよ! 危険すぎるわ。あたしは断固反対よ!」
さっき見た軍人たちの銃を見て不吉な予感がしたのか、あずさが叫んだ。
「しっ! 声が大きい。大丈夫だって。俺はこういう時は運がいいんだ。約束する、絶対に無理はしない。それに……まだおまえに伝えてない大事な話もあるしな」
手を伸ばして、あずさのサラサラの頭を軽くなでる。
「俺もいくぜ。一人より二人の方が、何かあった時に安心だろ?」
ゴリラが太い腕を挙げた。今まであつしに頭から押さえつけられ、自分の存在価値が見出せなかった反動なのか、その眼は死の覚悟さえできているように見えた。
「よし、じゃあ二手に分かれよう。クルーザーの操縦は俺にまかせてくれ」
「ちょっと待て。おっさん、誰だよ?」
ここに来てあつしが、初めて春樹の存在に気付いたように質問する。
「このハンサムな息子の父親だ。よく見りゃ似てるだろ?」
暗闇で分からなかったが、ウインクしながら答えた。
「似てるかどうかは知らねえけどよ、足手まといにだけはなるなよ? その時は容赦なく置いていくからよ」
ぎらついた眼で春樹を睨んだ。あつしの言うとおり、敵だらけのこの施設から逃げるのは命がけだろう。
「気をつけてね。絶対に死なないで!」