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かざぐるま
かざぐるま
novelistID. 45528
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ビッグミリオン

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 その時!
 ニコライの目が『カッ!!』と突然見開かれ、信じられないほど強い力でまどかの手首を掴んだ。
「きゃああああああ!!」
 自分のものと思えないような叫び声をあげる。完全に寝ていると思っていたニコライが、何かぶつぶつと呟きながら濁った目で彼女を見ていた。
 腕を掴んだままぬっと立ち上がり、もう片方の手でまどかの細い首を絞めようとする。
 とっさに持っていたアルミケースでニコライの頭を横から殴った。ひるんだ隙に手錠のぶら下がったままのアルミケースを胸に抱えると、部屋から飛び出し必死にエレベーターに走った。
 後ろを振り返ると、ニコライがふらふらしながら赤鬼のような形相をして追いかけて来ている!
 背筋が凍る思いで廊下を走り抜け、何とかエレベーターに乗りこみドアを閉める事ができた。荒い息を吐きながら震える手でタケシに電話をかけると、冷静な声で「春樹がロビーまで迎えにいく」と言われた。
 エレベータを降りロビーで後ろを振り返ると、ニコライの姿は見えない。足早に出口に向かい歩き出すと、心配そうに自分を探している春樹の姿が目に入る。この時、彼女の眼には友人に向ける親しみとは違う光が灯った。そしてそのまま二人は、まるで恋人同士のように寄り添いながら車に乗り込む。黒塗りのワンボックスカーは、デカいマフラーの音とともにタイヤを軋ませ急発進した。
 逃げる事に神経を集中しているのか、走行中の車内は静かだ。
「もう大丈夫だろ。……ちょっと中身を確認してみようぜ」
 しきりにルームミラーを気にしていたタケシは、安心したのか車を止めるとにやにやしながら後ろを振り返った。太い金のネックレスが、窓からの車のヘッドライトに反射して鈍く光っている。気の毒そうな顔をしたまどかの視線が春樹とケースを繋ぐ手錠に注がれた。これはタケシの考えで前から決まっていたことらしい。彼はひょっとして仲間さえも信用していないのかもしれない。
「すっげー! でも、ドル札ってなんか偽物っぽく感じるよな。まあいいや、行くぞ」
 タケシのその目は子供のように輝いている。
 その様子を見ていた後部座席のふたりは、お互い目を合わせて軽く頷いた。
 立川市内に入り国営昭和記念公園が見えたところで、トイレのためか突然車をコンビニの駐車場に突っ込んだ。
「トイレ行ってくるからちょっと待ってろ。まどか、ちゃんとケースを見張ってろよ」
 ニヤっと笑うと、チンピラの様な歩き方でコンビニに入って行った。
 コンビニに入ったのを確認すると、まどかはすばやく行動に出る。
 後部座席からするりと運転席に行くと、ギアをバックに叩き込み駐車場を飛び出した。
「春樹、うまくいったわね。つか、もうアイツにはまじでウンザリよ。何かにつけて殴られるし、お金も貢がされるし」
 細いタバコに火を点けながら、吐き捨てるように言い放つ。
「ああ。だけどあいつは必ず追いかけて来るぞ。どこかで車を乗り捨てないとやばい。俺の家に寄ってバイクに乗り換えよう」
 優しい目をして後部座席から身体を乗り出すと、まどかの頭を愛しそうに撫でた。
 春樹のアパート近くの路肩に車を捨てる段階で、まどかは手錠の鍵がないことに気付いた。慌てて探したが見つからない。このままでは彼がバイクを運転するのに支障が出てしまうことになる。
「心配するなって。俺は中学生の頃からバイクに乗ってるんだぜ。こんなもんついてたって楽勝!」
 アルミケースの着いた左腕を軽々と持ち上げて見せると、駐輪場から大きなスクーターを引っ張り出してきた。派手な紫色をしたビッグスクーターだ。
「乗れよ。このドル紙幣は、横浜にある伯父さんがやってる暴力団に“洗って”もらう。手数料は半分近く取られるだろうけど、二千五百万円もあったらどこか遠くの土地で一緒に暮らせるぜ。――それにお前のお腹にいる赤ん坊もちゃんと育てないとな。どっちの子供だろうと俺はがんばって育てるから!」
 白い歯を出してにこっと笑ってから、バイクのエンジンをかけた。
 まどかが後ろに乗ると、左手を下ろしたまま器用にバイクを発進させた。アルミケースはちょうど足元にすっぽり置かれる感じだ。とにかく少しでも早く立川から出なければ危険なのだが、まどかは何故かうきうきしているように見える。大好きな春樹とこれからずっと一緒にいられることが嬉しくてたまらないのかもしれない。
 だが同時に心配もあった。エンジン音にかき消されがちだったが、さっきから二人の携帯がひっきりなしに鳴っている。誰からの電話なのかは画面を見なくても分かっていた。
 東京方面に向かって細い道を選びながら、三十分ぐらい走った時だった。後ろに車が一台、また一台といつの間にか増え、その後ろには改造バイクの排気音も聞こえ出した。振り向いてはいけないと思いつつも、まどかはふと後ろを向いてしまった。その時、ちょうど車の運転手の顔が街灯でちらっと見えた。
 タケシだ!! 
 一瞬見えたその表情は、今まで見たことが無いくらいに怒り狂っている。言うなれば殺意さえ伺える表情だった。
 肌が一斉に泡立ち、叫びたくなるのを必死でこらえながら「来たわ。逃げて!」と鋭く叫ぶ。頷くと同時に力をこめて春樹はアクセルをひねる。だが、車はクラクションを鳴らしながらもう一メートル後ろまで迫っていた。もちろん、お互い信号など守っている暇は無い。
「止まれや! 春樹てめえおらあああああああ!!」
 車を左右に振りながら、怒りに歪んだ顔を窓から出し恐ろしい声で叫んでいる。春樹はさすがと言うべきか、片手にも関わらず軽快にバイクを走らせていた。
 もし――もしもだが彼らに捕まったら、死ぬよりひどい目にあわされるに違いない。ヤツらは今どき『オキテ』にこだわる集団なのだ。そのために行う酷い集団リンチは今までに何度も見ている。
 ついにその瞬間がやってきた。
 右カーブに差し掛かる手前で、タケシはあろうことか車のバンパーをバイクの後輪に激しくぶつけてきたのだ。さすがにバイクは左右にハンドルを取られ、まどかを乗せたまま踊るようにガードレールに激しく接触した。
 ごうっと血液の流れる音がしたあと、眼の奥で火花が散ったと同時に、まどかは意識を無くした。

……遠くからパトカーと救急車のサイレンが聞こえて来る。
 肩を揺さぶられて目を覚ますと、まどかはタケシの車の助手席に座らされていた。
「おい!! 手錠の鍵はどこだ?」
 何故かタケシの顔は異常に青ざめている。
 頭がずきずき痛み、左足を見ると道路で引きずられたのかひどい火傷みたいな傷が、腿からくるぶしのあたりまで伸びていた。俗に言うハンバーグ状態というやつだ。不思議と今は痛みは感じないが、骨折もしているかもしれない。
「なくしたわ」
 そう答えると、舌打ちのあと何かが彼女のジーンズの上に乱暴に放り投げられた。

 それは――見慣れた銀色のアルミケースだった。取っ手の先には《ガードレールで切断された春樹のヒジから先》が、ぶらーんと手のひらを上に向けた形で繋がっていた。
「う!!」
 声にならない悲鳴を上げながら目を大きく見開く。やがて黒目が瞼に隠れ、彼女は再び深い暗闇に落ちて行った。
作品名:ビッグミリオン 作家名:かざぐるま