冬至
例えば、もしも根府川を恨むことが出来れば、何か違ったのかもしれない。徹底的に根府川を悪者にして、私はかわいそうな女という物語を生きることにしてみたり。しかし私は妙に冷静であり、自分がまるで閉じた世界に生きていたのだなぁと思うばかりで、ただ情けなさが募るばかりであった。 私と根府川は、何か特別な、のんびりとしたスピードで進展してゆくような、そんな思い込みに私は陥っていた。しかし根府川は、五年の間にいろいろな女を渡り歩いた末に、彼女の元へ落ち着いた。何より虚しいのは、私がその、渡り歩いた女の中の一人にすら入らないことであった。私は根府川と付き合っても居ないし、根府川に捨てられてもいない、結局は全く何もなかったという実に情けない結末であった。おそらくこのような女には、物語を生きる資格などないのだ。そうは言っても私は、やはり怒りや嫉妬が湧いて来るのを抑えることができなかった。しかし感情を表現する場所も方法も知らなかった。そんな様々な鬱屈、地味な女の怒りの表現方法として現れたのが止まらない過食だったのだと思う。
五年前の冬、当時住んでいた街で、すれ違った女の人が言っていた。寒いからホットワインが飲みたいなと。綺麗な人だった。
私はその時、駅前にあるドーナツ屋で細長い箱いっぱいにドーナツを買い込み、帰宅する途中だった。それはもはや習慣になっていた。私は毎日身体に油を注ぎこんでは、心を濁らせていた。
ベージュのダウンコートを着た女性は、同じ年頃の男女数人と連れ立って歩き、そのまま駅の方へ消えた。その女性は私のかつての友人である、根府川の妻に似ていた。一瞬本人かと思うほど、その女性は彼女に似ていた。
そういえば、一度だけ根府川と映画を見に行ったことがある。見に行った、というか散歩の途中でふらりと映画館に入ったのだった。
それは陳腐な恋愛映画であった。暗闇の中でその物語に照らされながら、私は根府川が隣にいるのだというこということにすべての神経を傾けていた。ただそれだけ。それだけが今の時点における、私の恋愛の記憶の全てである。