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鬼蜘蛛女郎

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壱 弦楽師の陽助


弦楽師の陽助が、各地を放浪する旅に出たのは、もう十年ほども前になる。
其の年に、自分の村を訪れた弦楽師の技能に惚れ込み、弟子にしてほしいと頼み込み、同行して村を出たのがきっかけだが、十年も経てば、頼りない小僧だって、一人前の男になる。無論のこと、師匠の域に達することはまだまだ出来ないが、それでも師匠に認められて、独り立ちが出来るくらいにはなっているのだ。
各地を放浪する旅というのは、楽しいものだ。
村によって、様々な習慣があり、その在り方は多種多様だが、陽助の演奏を聞き終えた後の反応は、大方同じなのである。陽助はそれが嬉しくて、それに何処か不思議な気持ちでもあった。人々の笑顔を見る度に、湧いて来る、温かな思いを糧にして、陽助は旅を続けてきた。
今も、陽助は次の村を目指して、山道を歩いている途中なのだが、どうも今日は霧が濃く立ち込めていて、先を透かし見る事は出来そうにない。
 先日、訪ねた村の老人は、山道をしばらく歩いて行けば、すぐに次の村が見えると行っていたが、この霧では、距離の測りようもない。近くに民家も見えない事から、陽助は野宿を覚悟したが、この霧の中で寝泊まりするというのは気が向かなかった。
陽助は、白い霧の向こうへと思いを馳せながら、老人に言われた事を思い出す。
「其ん山には、昔から鬼が棲んでおると言われててなぁ。旅の者を襲うらしいんですわ。何でも、山道に立ち込める霧は其の前触れなんやとか。えらいけったいな話やろ。あんたも、旅をするなら気をつけなはりや」
その時は、老人の言葉に感謝をしつつも、何を馬鹿げた事を言っているのかと、内心では馬鹿にしていたのだが、これだけ霧が立ち込めていれば、否が応にも考えさせられざるを得なくなる。陽助は、どれだけ怪談奇談の類を聞かされようと、生まれてこの方、化け物の類を信じた事はなかったのだが、それでも周囲を覆う、奇妙な霧を目にしていると、段々に怖気がこみ上げて来る。
今がまだ、昼時なのか、それとも陽が暮れ始めているのか、そんな事すらも分からないほどに、彼を包み込む霧は濃かったのである。
もしかしたら、当に陽は沈んでいて、今はもう闇の深い宵時なのではないか……そんな風な想像すらも浮かんで来てしまう。
ここから、前に進む事も気が引けて、立ち往生していた陽助だが、その時不意に、霧の向こうに、何者かの影が揺らめくのを目にした。
陽助は、恐怖しそうになる体を奮い立たせ、着物の裾に手を入れると、護身用にと携帯している小刀を取り出した。
鞘を抜いて、いつでも応戦出来る様に、獲物を構える。
化け物だろうが、鬼だろうが、相手になってやる。
歯を食いしばり、じっと影を睨みつけていた陽助だが、やがてそれが笠を被った女人なのだと気づくと、ほっと胸をなで下ろした。
恐怖が和らいで行くのと同じくして、温かな希望も湧いて来る。
この女人が向こう側から来たのだとしたら、もしかすると村も近いのかもしれない。
 逸る思いを抑え込み、陽助は女人に声をかけた。
「驚かせてしまったのなら、申し訳ない」
小刀を裾の中に仕舞い込みながら、陽助が声をかけると、女は艶やかな着物の裾を振りながら、首を横に振るった。
「いえいえ、あんさんのお気に病むことやありません。こないな霧の中やさかい、顔も見えんで、しゃあないですわ」
そう言って、女は笑って見せる。女の被っている笠には、布が付けられており、その表情の窺うことは出来ないが、微かに覗く口元の動きから、彼女の表情を読み取る事が出来た。
陽助は、相手の鷹揚な態度に感謝をして、言葉を紡ぐ。
「お心遣い、痛み入ります。ところで、霧の中立ち往生してしまい、尋ねたい事があるのですが、貴女はこの先の村から来たのですか?」
陽助が尋ねると、女は首を左右に振るった。やはり、表情は窺がえないが、あの布の奥では、きっと残念そうな表情を浮かべているに違いない。
「すんまへん。うちは、村やなくて、この山の麓の家に住んでるんよ」
「そうですか……」
陽助は、残念そうに言葉を返した。膨らんでいた期待が、萎んでいくのを感じたが、人生なんて、そう思い通りには進まない。陽助は、なるべく前向きに物事を呑み込むと、女に会釈をした。
「ほんま、かんにんね。もしかして、旦那はん、旅の人なん?」
小首を傾げて、女が訊ねる。その仕草が、何とも愛らしく思えて、陽助は表情を綻ばせ、その問いに答えた。
「はい。琵琶の弾き語りをして、様々な村を回っているんですよ」
「へぇ、そらすごいどすね。えらい立派やわぁ」
心の底から感心した様に、女は言った。
そんな女の言葉に、陽助の方も嬉しくなって、弾けた様な口調で、答えた。
「ありがとうございます。この後も、この先の村へ行って、琵琶の演奏をしようと思ってるんですよ」
出来るならば、この女の人にも聞いてもらいたいなぁとも思いながら、陽助は口にする。
しかし、その途端、女は何かに気付いた様に、ハッと声を漏らした。
「どうかしたのですか?」
陽助が訊ねると、女は何かを恐れる様に声を潜めると、周囲に顔を向けて確認してから、そっと陽助に囁いた。
「あんさん、今日はもう止めといた方がええどす」
「それはそうですね。霧も濃いですし」
どうして声を潜めるのか分からなかったが、彼女の言いたいことは何となく分かる。こんな濃い霧の中じゃあ、周囲も良く見えず、危険という事なのだろう。
他にも、思いあたる理由はあったのだが、陽助はあえてその事は口にしなかった。
まさか、「そうですね。鬼が出ますもんね」などとは言えまい。
しかし、女の口にした答えは、もっと現実的で、彼女が声を潜めるに十二分な理由のある物だった。
「違うんよ旦那はん。もちろん、霧も濃いけれど、理由はそういう事ではないんよ。もっと、危険な……」
そこまで言って、女は口にするのを躊躇い、一旦言葉を止めたが、やがて決心がついたのか、陽助の耳元に顔を近づけて口にした。
「……この辺りには、賊が出るんよ。この山には、良く霧が立ち込めるさかい、そこをあんさんの様な人が通るのを狙って、襲うんよ……」
女の言葉を聞いた途端、陽助の体中の戦慄が走った。
鬼なんかじゃない。自分が恐れるべきだったのは、もっと現実的な問題だった。
あの時感じた、嫌な心地は、ある意味では間違っていなかったのかもしれない。
もしも、何も気づかずに、そのまま野宿をしていたら……と考えて、陽助は身震いした。
護身用の、小刀があるとはいえ、旅人を狙う小賢しい賊が、一人で行動するわけがない。たとえ、武器を持っていたとしても、数の差に押され、自分の身ぐるみを剥がされ、大事な琵琶も持ち去られていたことだろう。
そう考えると、この女人との出合いは、天からの助けなのかもしれない。
その危機を知った以上、もう野宿をするというわけにもいかないだろう。この後どうするべきか、陽助が頭を悩ませていると、不意に女が切り出した。
作品名:鬼蜘蛛女郎 作家名:逢坂愛発