罪子、困惑する。
そういって首をかしげ、頬笑みをみせる《平良凛子》の前で、男性教師は思わず身震いをした。その妖艶な笑みは、およそ十五、六の娘が見せる表情ではなかった。まるで、男に求められるためだけに生まれてきたような、そんな生き物。男性教師は、自分のペニスが痛いほどに勃起していることに気づいた。俺はおそらく、この娘にすべてを持っていかれる。生物としての本能が、身体の奥底から全力で警告を鳴らしているのに気が付いていたにもかかわらず、男性教師は目の前にいる女生徒から目を離すことができなかった。
例えるなら、それは蝶の羽化だった。物言わぬ蛹としてそれまで生きていた《平良凛子》は、この時を以て女としての変身を遂げたのだ。
《平良凛子》の愛は激しく、強く、そして猛毒のように相手の身を滅ぼした。
男性教師と《平良凛子》の男女としての関係は、そう長くは続かなかった。初めのうち、若い愛人とその肉体を手に入れたことで男性教師は浮かれ、日々の蜜月に溺れていたのだが、行為を繰り返すうちに《平良凛子》の愛が自分一人で担うのにはあまりにも重すぎることに気付いた。
《平良凛子》は、初めの言葉通りに男性教師の全てを求めた。いかなる日、いかなる時間であっても自分と共にいることを男に望み、男が自分以外のものに興味を持つことを徹底的に拒否した。男性教師の場合、既に男女としての関係は終わっている妻と、ほとんど会話することのない子供が一人いたが、いくらその関係が既に形骸化されたものであると説明しても、《平良凛子》は男性教師がその二人がいる家に帰って行くことを嫌がり、男の家族への強い憎しみを口に出して荒れた。
帰ろうという素振りを見せると、自分の肉体を使って誘惑することで引き止めようとするのだ。男性教師も、その蠱惑的な《平良凛子》の誘いを断ることが出来ず、結局いつも夜を共にした。
そうしているうちに、当然のように二人の関係は男の妻に知られてしまう。既に冷え切っていた家庭は、これをきっかけに崩壊し、男は家族を失った。また、その事実は男の職場、学校にも伝えられる。成績優秀で将来有望な女子学生と、評判の悪い中年教師。問題の対処に追われた学校側が切り捨てたのは、男性教師の方だった。
職と家族を失い、最後に男に残ったのは《平良凛子》だけだった。男は狂ったように《平良凛子》を求めた。その艶やかな唇、みずみずしい肌、豊満な肉体を求めた。しかし、男が本当にすべてを《平良凛子》に捧げてしまったその時には、既に《平良凛子》はその男に対する興味を失って、また別の新しい男にその偏愛を向けていたのだ。
《平良凛子》の偏愛は、なぜか年上の、既婚者の男に多く向けられた。父親の姿を知らない彼女が、無意識に父親のような男を求めていたのかもしれない。
しかし、その不貞を誘う《平良凛子》の愛の形は、罪子の帳簿に「罪の行為」として着実に記録されていた。罪子が付けるのは行為の記録だ。何度も何度も肉体による行為を男に迫る《平良凛子》の場合、一晩で何十、何百というポイントが減算されることがあった。
また、《平良凛子》がその偏愛を向けた時には、不貞の性行為だけでなく、男を独占しようとするが故の、他の様々な行為もポイント減算の対象になることがあった。すなわち、男の家族、妻への嫉妬からなる、嫌がらせ行為である。
無言電話に始まり、怪文書や、異臭物を家のポストに投げ込んだり、男の近所に妻に関する変な噂を流したりとその行為は多岐に渡った。そんな行為の中でも、特に異質で、罪子が判断に困っているのが、この「丑の刻参り」という《平良凛子》の行為だった。
カーン、という音とともに、五寸釘がまた少しスギの幹に食い込む。スギの幹に打ちつけられている藁の人形には、現在《平良凛子》が偏愛を向けている男の妻、その名前が書かれた札が貼ってある。
これは呪詛であった。対象の相手に呪いをかける、古からの儀式。
この呪詛における罪の判定については、罪子たち観察者の間で一応のルールが定められていた。すなわち、「観察対象者の行った呪詛が、相手にそうとおぼしき形で影響を及ぼせば減算の対象とする」というものである。
人を呪う呪詛は、いわばまじないの一種に属する。まじないは、人が暮らす中でそうとは知らずに生活習慣の一部として行っている場合もあり、それそのものを罪の行為と判定することは難しい。
加えて、この呪詛というものは術者の思う形で効果が表れるものと、そうでないものがある。おおよその場合、術式に誤りや抜けがあったり、必要な条件が整っていない時に失敗が生じる。罪子たちの基準では、「相手に影響を及ぼしたとき」に減算は発生するので、失敗してしまえばこの行為はポイントとしてはカウントされないことになる。
《平良凛子》は新しく別の男と関係を結ぶ度に、その妻に向けてこの「丑の刻参り」を行ったが、今まで一度も相手に影響を及ぼすに至ったことはなかった。おそらく、条件が不十分だったのだろう、と罪子は最初考えていたのだが、よくよく観察してみればそうではなかった。
時間、月齢、方位、術式。そのどれをとっても、儀式に不十分なところはなかった。むしろ、よくここまで完璧な条件を揃えることができた、と少し感心してしまうほどに《平良凛子》の儀式に不十分なところはなかった。
では、なぜ儀式は失敗したのか。真相に興味を持ち《平良凛子》の意識に潜り込んだ罪子は、驚愕した。
《平良凛子》の儀式に足りなかったものは、呪いの原動力となる《平良凛子》自身の「憎悪の思念」、そのものだった。
本来呪いとは、それを願う強い感情のものに成り立つ。術式はあくまでその感情のエネルギーが相手に適切な形で向かうための方向を指し示すものにすぎない。
《平良凛子》には、そのエネルギーがなかった。そんな馬鹿な、と罪子は思った。あれほどまでに男を求め、その周囲を徹底的に排除しようとする《平良凛子》に強い嫉妬や憎しみの感情が存在しないなんて。
槌を振り下ろす《平良凛子》は、薄く笑みを浮かべている。罪子はその笑みを、対象の女に降りかかる不幸を想像してのものだと考えていたが、どうやら違っていたようだった。
《平良凛子》は、男を思って女を呪う、その自分の姿、そのものに愉悦していた。彼女にとって必要だったのは、実際に男を手に入れることや、その妻に危害を加えることではなく、そうしようとする自分の姿を見つめることだったのだ。
はじめ、「求められる」ことを望んだ《平良凛子》は、まず自分が求め、相手に肉体を与えることによって、結果的に報酬としてそれが与えられることをしった。自分は、とにかく肉体の味を男に覚えさせればよい。そうすれば、じきに男の方から求めるようになる。
そうしているうちに、《平良凛子》は、ただ求める、という事自体に快楽を覚えるようになっていった。ただ、ただひたすらに求め続ける。相手の全てを欲しがり、奪い尽くしてしまう。殉教者のように、ただひたすらに、それだけを見つめて。