何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌~【完全版】
「私にはユンの気持ちが判りません。ユンは私に言いました。私だけを生涯かけて愛し抜くと。でも、現実は違った。ユンには中殿さまがいらっしゃるし、私の出る幕はないんです。私は後宮でたくさんのユンのお妃方と寵愛を争うのはいや。その他大勢もいやなのです」
「そなたの言い分にも確かに一理はある」
崔尚宮はひっそりと笑った。
「女としては、いつも自分だけを見て欲しい、愛されたいと願うのは当然のことだ」
伯母らしからぬ発言に、明姫は眼を見開く。と、崔尚宮は肩をすくめた。
「何を愕くことがある。私だって、これでも女なのだぞ? かつて若かりし頃は男前の内官とひそかに恋を語らっていた時期もある」
「伯母上さまが? 信じられません」
愕きも露わに言い返すと、?失礼な?と伯母がまた笑った。
「だが、明姫。今のそなたの物言いは己れの立場しか見えてはおらぬ。仮にそなたが殿下のお立場であったとしたら、そのように割り切った物言いはできぬはず」
明姫はハッとした。昼間のユンの言葉が甦る。
―私は国と民の父なのだ。たとえ不甲斐なき王だとしても、私はこの国と民を棄てることはできない。
「良いか、よく聞くのだ。明姫。殿下がこの国の王でおわす限り、今の宿命から殿下は逃れることはできない。殿下が中殿さまをお迎えになられたのはご即位されて半年後、まだほんの子どもにすぎない砌の政略結婚だったのだぞ。そなたと出逢うはるか前のことを今更、どうすることもできないのは、そなたも判るであろう。殿下に限らず、王とは一生、孤独だ。先代の王さまもまたそれ以前の歴代の王さま方もそうであった。殊に聖君と崇められる優れた王ほど、より孤独な道を歩まねばならない。その殿下のお寂しさを理解してさしあげられるのは、そなたしかおらぬと私は思っている」
自分の人生でありながら、自由には生きられない。けして思いどおりにはならない運命をユンは背負っていた。彼はまだ二十一歳なのに、あまりにも厳しい茨の道を歩んでいる。
「殿下は、後宮に入れることがそなたを苦しめることになるとご存じであった。お気持ちが真剣だからこそ、そのことを誰よりもよくお判りだったからこそ、ご決断できなかったのだ。殿下のそなたへの並々ならぬお心は、畏れ多いことながら、この私がよく存じておる」
崔尚宮はしばらく明姫の背を撫でていたが、やがて立ち上がった。
「私は私なりの今の気持ちをそなたに伝えた。後は、そなた自身が自分でよく考え、応えを出すが良かろう。だが、私は、そなたに後になって後悔するような人生を歩んで欲しくはない。ご幼少の頃からお心淋しくいらせられた殿下にお幸せになって頂きたいのと同じくらい、そなたの幸せをも願っている。それだけは忘れないで欲しい」
扉が静かに閉まった後、明姫はいつまでもその場に座り込んで宙を見据えていた。
―後になって後悔するような人生を歩んで欲しくはないと願っている。
崔尚宮としてではなく、伯母として与えてくれた言葉が明姫の心を烈しく揺さぶっていた。
ユンの幸せ、私の幸せ。いいえ、私の幸せなんて、この際、どうでも良い。私はユンに幸せになって欲しい。あの孤独で淋しがりやの彼を一人にしておくなんてできない。
でも、国王としての彼についてゆくことはできそうにもない。第一、自分は何の後ろ盾も持たないし、ユンの妃になれたとしても、実家が彼の力になることはできないだろう。
それに、これから彼は更に多くの側室を迎えるに違いない。権門の両班の娘との縁組みは王としての彼の将来に大いに役立つに違いない。また、一人でも多くの御子を儲けて王室の血筋を繋いでゆくのも国王の大切な仕事の一つだ。それはユンが望むと望まざるに拘わらず、国王としての彼の義務でもある。
今後、ユンが新しい妃を迎え、その妃たちに優しく微笑みかけたり、寝所で情熱的に求めたりしているのを想像しただけで、胸が張り裂けそうだ。
明姫は唇を噛みしめた。
やはり、自分にはできない。彼の傍にいて、彼を支える役目は自分には荷が重すぎる。
ひとすじの涙が明姫の白い頬を流れ落ちていった。
別離という選択
王は先刻から何度繰り返してきたか判らない科白をまた口にした。
「母上、明姫のどこが気に入らないと仰せなのですか? その理由を教えて下さい」
だが、大妃は頑なに唇を引き結び、王の方を見ようともしない。王はひそかに溜息をついた。
この日の朝、王―ユンは大妃殿を訪ねた。国王が母を訪ねてくることなど、極めて珍しい。最初に王の訪問を尚宮から告げられた時、とても嬉しそうに見えた。実際、彼が明姫を側室として迎えるという話を切り出すまでは終始、機嫌が良かったのだ。
「母上」
更に呼びかけると、大妃があからさまに吐息をついた。
やれやれ、溜息をつきたいのは、こちらなのに。ユンは内心、辟易としながら、それでも態度だけは丁重に言う。ここで気難しい母を怒らせてつむじを曲げられては困るのだ。
「殿下は私の申し上げたいことがまだお判りにならないようですね」
黙りを決め込んでいた大妃がやっと口をきいたので、ユンはホッとして頷いた。
「申し訳ございませんが、私には皆目見当もつきません」
「理由はただ一つ、殿下の御子を生むのはペク氏の娘でなければならないのです」
大妃はひと息に言い切ると、王の顔を真正面から見据えた。
「中殿はまだ若い。これからまだまだ子が生まれる可能性はありますよ」
そのひと言に、大妃は舌打ちした。
「殿下は私が何も知らないとお思いですか?」
「何のことでしょう? 私は別にお叱りを受けるようなことは致しておらぬと存じますが」
「この際ですゆえ、はきと申し上げまする。殿下と中殿が有り体に申せば、褥を共にせぬようになって、何年になりますか? ただ一人の妻とは別居同然の状態、更に折角、側室を迎えても、いまだにこちらにも一度のお渡りもないときては、御子など生まれるはずもありませんでしょう」
ユンもまた大妃の視線をしっかりと受け止めて応えた。
「それなら私もはっきりと申し上げますが、私は惚れてもいない女を抱きたいとは思いません」
大妃が呆れたようにユンを見た。
「私は殿下をそのように愚かにお育てした憶えはありませんよ。あれほどの大罪を犯した娘をお咎めなしというだけでも正気の沙汰とは思えませんのに、更に側室に迎えるなどと、到底認められるはずもありません。殿下があの娘によほどのご執心とは判りますが、母としては真に情けないことです」
「大罪というほどのことではないではありませんか。たかが花のことです。それに、あれは何も明姫がやったわけではないでしょう。あれだけ大輪の花であれば、花自身の重さに負けて花冠が落ちてしまうことも十分あり得る」
「とにかく、このお話は何度繰り返しても、同じことです。私はあの娘を殿下の側室と認める気は毛頭ありません」
「何故ですか! 明姫の実家は確かに権門ではないが、それでも、れっきとした両班の娘です。家柄に不足はないはず」
あくまでも食い下がる息子に、大妃は冷たい一瞥をくれた。
「何度同じことを申し上げたら良いのです。あの娘はペク氏の一族ではありません。それがすべての理由です」
「―判りました」
作品名:何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌~【完全版】 作家名:東 めぐみ