かわいそうだぞう
タカシはとても賢い象だった。
賢すぎる象だった。
質問をするとイエスかノーで答えるのだ。
答えるといっても。勿論喋る訳ではない。じゃあどうやって意思表示をするのかというと、あの長い特徴的な鼻を使って意思表示するのだ。
イエスの時は鼻を縦にぶんぶん。
ノーの時は鼻を横にぶんぶん。
タカシの座布団ぐらいもある大きな耳に向かって問いかける。
「ご飯が欲しい?」
縦にぶん。
「林檎が欲しい?」
横にぶん。
「じゃあ唐辛子が欲しい?」
激しく横にぶんぶん。
「じゃあ……バナナかなぁ?」
縦にぶんぶぶん。
タカシとの会話はこんな感じだ。私は、女性飼育員。ほとんどタカシ専属と言っても良いほど、タカシにつきっきりの飼育員。タカシは、私が傍に居ないと、問いかけに答えないのだ。私は、タカシにとって一番信頼できる人間であるらしい。自惚れではない。だって、タカシがそう言ったのだ。鼻を縦に振ってね。
タカシは、人気者だった。それはそうだろう。イエス・ノー会話に限定されるとは言え、タカシは人語を完璧に理解する世界唯一の象なのだ。
タカシをモチーフにした、スマートフォンのアプリ、キーホルダー、ぬいぐるみ、枕(イエスノー枕?)タオルやハンカチやコップやフォトグラフィーや、オリジナル饅頭、とにかくタカシ関連のノベルティーはすごい売り上げ、そして勿論、タカシのショーも世界的な人気。インターネットの動画配信では、一億回以上の再生数を記録した。またそれがニュースとして流れた。
私とタカシは、最高のコンビだった。
あの夏までは……
*****
「癌です」
動物園に常在している獣医師が、タカシを定期健診した後、私に言った。
「……あの……」
私は言葉を失ってしまった。獣医師は、悲しそうに首を振り。
「末期です。全身に転移しています。……もう、手遅れです」
「そんな……」
絶句、途絶えた文句が、何処かで嬌声を上げているホエザルによって、悲痛な絶叫と化して引き継がれる。
「もって後……1ヶ月でしょう」
獣医師は、まるで自分が病死してしまうのではないかと見て取れるほど、憔悴した面持ちで、つぶやいた。彼だって、タカシの事が好きなのだ。
いや、彼だけではない。もはやタカシは世界中に愛されている象なのだ。そのタカシが、あと1ヶ月の命だなんて……
「……タカシ」
私は泣いた。コップを逆さまにしたように涙が零れた。そんな私を見て、獣医師は言った。
「告知しますか?」
「告知?」
「タカシは……賢い象です。多分、自分が何らかの病に罹っている事は、彼も薄々感じているのではないかと思います。どうします?彼に真実を告げますか?」
「真実……」
「……そうです。このまま、何も告げずに、彼の最後を看取るのか、それとも、彼に病状を告げて、最後の1ヶ月を過ごさせるのか……貴女が選んでください」
残酷な選択肢だった。私は……イエスともノーとも言えず、ずっと黙っていた。考えてみれば、タカシは凄い。どんな質問に対しても即座にイエス、ノーを返す彼……私にはとても真似できない……
「……しばらく考えさせてください」
「駄目です」
獣医師は力強く私を否定する。
「貴女が考えている時間は、タカシにとってとても貴重な時間なのです。考えている暇はありません。即決してください……いや即決してあげてください、タカシのためにも」
私は……決めた。
「タカシに真実を告げます。それが……彼との約束だから……」
タカシを騙すような真似は出来ない。だって、彼と私とはこう約束したのだ。「お互いに嘘はよくないよ」って……
*****
「タカシ……」
ぱおーん。
鼻を振り上げて、応えるタカシ……とても元気に見える。でもその分厚い皮膚の下では、確実に癌細胞が分裂をして、刻一刻と彼の命を脅かしているのだ。
「聞いてタカシ……」
タカシは私に駆け寄ってきて、膝を曲げて座った。私も座り、タカシの首筋に手を置いて、耳元に話しかけた。
「もしも……貴方が病気だとしたら……貴方は、自分の病気の詳細を知りたいと思う?」
縦にぶん。
「……それが、どんな結果であっても?」
縦にぶん。
「……本当に後悔はしない?」
縦にぶん。
「……癌って分かる?」
縦にぶん。
「タカシは……」
駄目だ……涙が止まらない……でも…ちゃんと伝えないと。
「タカシは……癌なの」
タカシは鼻をだらりと下げた。
「後どれくらい生きられるか……知りたい?」
タカシは鼻を小さく揺すった。始めての反応だった。
「タカシ……どうなの?」
タカシは暫く考えているようだったが、暫くして、ハッキリと鼻を縦にぶんと振った。
「そう……じゃあ聞いて……貴方は……後、1ヶ月の命なの」
タカシは動かなくなった。
「ゴメンなさいタカシ……私、毎日側にいて……全然気付いてあげられなかった……獣医さんも謝ってた……ゴメンね……」
私はまた泣いてしまった。そんな私を見かねて、タカシは鼻をそっと私の肩の上に置く。
「ゴメンねタカシ」
タカシの鼻を抱いて、私は泣き崩れた。
*****
タカシのショーは、相変わらず盛況だ。動画も世界中に配信されている。これは彼の選んだ事だ。私は止めたのだ。残りの1ヶ月は、ショーを止めて、やりたいことをして過ごそうって、そう言ったのに、タカシは頑として鼻を縦に振らず、最後までショーを続けると言い張った。
私は辛かった。
タカシとショーをしている間は、泣くことも悲しむ事も出来ない。
タカシは、今日も鼻をぶんぶんと振り、私の質問に答える。以前にも増して元気な反応でショーをこなしていく。仕方なく私も、前よりも元気に大声を上げて、タカシに質問をする。
そんな1ヶ月が過ぎた。
私にとっては、世界中の人達を騙し続けた1ヶ月だった。
*****
「タカシ……」
バックヤードで、タカシは横たわっている。側には、私しかいない。獣医さんは、さっき部屋を出て行った。
「最後に何か……言いたい事はある?」
タカシは鼻をぶんと振る。そしてよろよろと立ち上がる。私は下敷きになっても構わないと思い。タカシの体を支える。
タカシが、寝藁をかき分けて、地面に何かを書いた。それはぐちゃぐちゃな文字だった。でも私にはそこに、何と書かれているのか分かる気がした。
書き終えるとぐったりとタカシは沈み込み。
動かなくなった。
*****
私は考えている。
イエスとノーでしか、自分の意思を表明できなかったタカシについて。
賢すぎる象だった。
質問をするとイエスかノーで答えるのだ。
答えるといっても。勿論喋る訳ではない。じゃあどうやって意思表示をするのかというと、あの長い特徴的な鼻を使って意思表示するのだ。
イエスの時は鼻を縦にぶんぶん。
ノーの時は鼻を横にぶんぶん。
タカシの座布団ぐらいもある大きな耳に向かって問いかける。
「ご飯が欲しい?」
縦にぶん。
「林檎が欲しい?」
横にぶん。
「じゃあ唐辛子が欲しい?」
激しく横にぶんぶん。
「じゃあ……バナナかなぁ?」
縦にぶんぶぶん。
タカシとの会話はこんな感じだ。私は、女性飼育員。ほとんどタカシ専属と言っても良いほど、タカシにつきっきりの飼育員。タカシは、私が傍に居ないと、問いかけに答えないのだ。私は、タカシにとって一番信頼できる人間であるらしい。自惚れではない。だって、タカシがそう言ったのだ。鼻を縦に振ってね。
タカシは、人気者だった。それはそうだろう。イエス・ノー会話に限定されるとは言え、タカシは人語を完璧に理解する世界唯一の象なのだ。
タカシをモチーフにした、スマートフォンのアプリ、キーホルダー、ぬいぐるみ、枕(イエスノー枕?)タオルやハンカチやコップやフォトグラフィーや、オリジナル饅頭、とにかくタカシ関連のノベルティーはすごい売り上げ、そして勿論、タカシのショーも世界的な人気。インターネットの動画配信では、一億回以上の再生数を記録した。またそれがニュースとして流れた。
私とタカシは、最高のコンビだった。
あの夏までは……
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「癌です」
動物園に常在している獣医師が、タカシを定期健診した後、私に言った。
「……あの……」
私は言葉を失ってしまった。獣医師は、悲しそうに首を振り。
「末期です。全身に転移しています。……もう、手遅れです」
「そんな……」
絶句、途絶えた文句が、何処かで嬌声を上げているホエザルによって、悲痛な絶叫と化して引き継がれる。
「もって後……1ヶ月でしょう」
獣医師は、まるで自分が病死してしまうのではないかと見て取れるほど、憔悴した面持ちで、つぶやいた。彼だって、タカシの事が好きなのだ。
いや、彼だけではない。もはやタカシは世界中に愛されている象なのだ。そのタカシが、あと1ヶ月の命だなんて……
「……タカシ」
私は泣いた。コップを逆さまにしたように涙が零れた。そんな私を見て、獣医師は言った。
「告知しますか?」
「告知?」
「タカシは……賢い象です。多分、自分が何らかの病に罹っている事は、彼も薄々感じているのではないかと思います。どうします?彼に真実を告げますか?」
「真実……」
「……そうです。このまま、何も告げずに、彼の最後を看取るのか、それとも、彼に病状を告げて、最後の1ヶ月を過ごさせるのか……貴女が選んでください」
残酷な選択肢だった。私は……イエスともノーとも言えず、ずっと黙っていた。考えてみれば、タカシは凄い。どんな質問に対しても即座にイエス、ノーを返す彼……私にはとても真似できない……
「……しばらく考えさせてください」
「駄目です」
獣医師は力強く私を否定する。
「貴女が考えている時間は、タカシにとってとても貴重な時間なのです。考えている暇はありません。即決してください……いや即決してあげてください、タカシのためにも」
私は……決めた。
「タカシに真実を告げます。それが……彼との約束だから……」
タカシを騙すような真似は出来ない。だって、彼と私とはこう約束したのだ。「お互いに嘘はよくないよ」って……
*****
「タカシ……」
ぱおーん。
鼻を振り上げて、応えるタカシ……とても元気に見える。でもその分厚い皮膚の下では、確実に癌細胞が分裂をして、刻一刻と彼の命を脅かしているのだ。
「聞いてタカシ……」
タカシは私に駆け寄ってきて、膝を曲げて座った。私も座り、タカシの首筋に手を置いて、耳元に話しかけた。
「もしも……貴方が病気だとしたら……貴方は、自分の病気の詳細を知りたいと思う?」
縦にぶん。
「……それが、どんな結果であっても?」
縦にぶん。
「……本当に後悔はしない?」
縦にぶん。
「……癌って分かる?」
縦にぶん。
「タカシは……」
駄目だ……涙が止まらない……でも…ちゃんと伝えないと。
「タカシは……癌なの」
タカシは鼻をだらりと下げた。
「後どれくらい生きられるか……知りたい?」
タカシは鼻を小さく揺すった。始めての反応だった。
「タカシ……どうなの?」
タカシは暫く考えているようだったが、暫くして、ハッキリと鼻を縦にぶんと振った。
「そう……じゃあ聞いて……貴方は……後、1ヶ月の命なの」
タカシは動かなくなった。
「ゴメンなさいタカシ……私、毎日側にいて……全然気付いてあげられなかった……獣医さんも謝ってた……ゴメンね……」
私はまた泣いてしまった。そんな私を見かねて、タカシは鼻をそっと私の肩の上に置く。
「ゴメンねタカシ」
タカシの鼻を抱いて、私は泣き崩れた。
*****
タカシのショーは、相変わらず盛況だ。動画も世界中に配信されている。これは彼の選んだ事だ。私は止めたのだ。残りの1ヶ月は、ショーを止めて、やりたいことをして過ごそうって、そう言ったのに、タカシは頑として鼻を縦に振らず、最後までショーを続けると言い張った。
私は辛かった。
タカシとショーをしている間は、泣くことも悲しむ事も出来ない。
タカシは、今日も鼻をぶんぶんと振り、私の質問に答える。以前にも増して元気な反応でショーをこなしていく。仕方なく私も、前よりも元気に大声を上げて、タカシに質問をする。
そんな1ヶ月が過ぎた。
私にとっては、世界中の人達を騙し続けた1ヶ月だった。
*****
「タカシ……」
バックヤードで、タカシは横たわっている。側には、私しかいない。獣医さんは、さっき部屋を出て行った。
「最後に何か……言いたい事はある?」
タカシは鼻をぶんと振る。そしてよろよろと立ち上がる。私は下敷きになっても構わないと思い。タカシの体を支える。
タカシが、寝藁をかき分けて、地面に何かを書いた。それはぐちゃぐちゃな文字だった。でも私にはそこに、何と書かれているのか分かる気がした。
書き終えるとぐったりとタカシは沈み込み。
動かなくなった。
*****
私は考えている。
イエスとノーでしか、自分の意思を表明できなかったタカシについて。