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深夜2時の居場所

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 もしもこのコンビニでアルバイトできたなら、わたしの人生少しは変わるだろうか。
 窓ガラスの端っこに貼られたアルバイト募集の張り紙に今日もまた目をやり、わたしは肩を落とした。
 『高校生不可』の文字は健在。書き換えられている、なんてこともない。
 両手の中で転がしていたペットボトル入りのコーラが、すっかりぬるくなっていた。
 深夜のコンビニに行き着いて、しんと静まり返った駐車場の車止めブロックに座り込んだのは一体何時だっただろう。ぼんやりと星の数を数え始めてからまだ一度も時計を見ていない。
(のど、渇いた……)
 それになんだかお腹もすいてきた。
 大きなわりにぺたんこのリュックサックに飲めなくなったコーラをしまい、わたしは重たい腰を上げた。唾液で舌を湿らせつつ、入口のドアを押し開ける。
 再び入った店内は相変わらずガランとしていて、わたし以外に客の姿は見えない。有線から流れてくるやけに明るい最新のヒット曲が、どこか白々しく聞こえていた。しかも、客が入ってきたというのにアルバイトの青年はこちらには目もくれず、カウンターの上に広げた参考書に悠々と視線をそそいでいるという始末だ。
 まあ、べつにいいんですけどね。
 冷たいコーラを求めてすたすたとレジ前を通り過ぎようとすると、
「おかえり」
 不意に、ぼそりとした呟き声。
 反射的にぴくりと揺れるわたしの肩。つんのめるようにして止まる足。
 さっきまで参考書を眺めていた青年の視線が、わたしの横顔をかすめたのが分かった。
「……、……ただいま」
 喉の奥でいったん引っ掛かった言葉を、どうにかこうにか外へと吐き出す。たったそれだけで、わたしの心臓はバクバクと大暴れする。
 青年の顔を見返すことがなんだか急に難しくなって、わたしの視線は青年の首もとからずるずると下がっていき、胸ポケットに安全ピンで留められた名札に辿り着いた。
 はるもと、と簡素な書体で印刷された彼の名前。たぶん『春本』と書くのだろう。下の名前は知らない。春本さんに至っては、わたしの名字すら知らない。だってわたし達は、コンビニ店員と客という、ただそれっぽっちの間柄なのだから。



 頭が悪かったわけじゃない。だけどわたしの母はいわゆる『教育ママ』と呼ばれるタチの悪い人種だった。小さい頃から好きでもないピアノ、書道、スイミング、体育教室、英会話なんかを習わせられ、そのどれもが満足な結果を出せないと分かると今度は学習塾に放り込まれた。中学では成績表のオール5を求められ、高校に上がってからは模試の上位に入ることを厳命され、母の理想に及ばない場合はわたしの人格を全否定するかのような勢いで罵倒されるのが常だった。
 だからこそ、わたしは家出を企てた。
 家も学校もアルバイト禁止をうたっていたので、たかが知れている私の財力では、どちらかというと夜遊びに近かったかもしれない。深夜に家を抜け出しては、二十四時間営業のコンビニをハシゴして時間を潰すというのが、わたしにできる最大限の家出だった。一回目、二回目くらいの家出は、案の定怒り狂った両親にすぐさま見つかり、家まで引きずり戻されて、頬が腫れるほどの力でひっぱたかれたりもしたけれど、それがかえってわたしの反抗心に火をつけた。やめ時を失った家出は何度となく続き、母がわたしを見る目は日に日に哀れむようなそれに変化していった。
 そんなある日のこと。
『あんたは失敗作だわ……』
 母は言った。今までに聞いたこともない、恐ろしく低い声だった。
 その日、わたしはいつも行っているコンビニとはべつの、もっとずっと遠くのコンビニまで足を運んだ。自転車のペダルを無心で踏み込み、電車で二駅ほどの距離を走り抜けた。
 そして、春本さんに出会った。



『きみ、家出してきたんでしょ』
 春本さんの第一声は、今でもよく覚えている。あの日のわたしも今日と同じように、車止めブロックに座り込んでいた。
 声は背後からだった。振り返ると、気だるそうな表情の店員が入口のドアから頭をひょっこりと覗かせていた。警察にでも連絡されるのだろうかと身構えたら、予想に反して春本さんは突然何かを放って寄越した。放物線を描いてわたしの両手におさまったそれは、ペットボトル入りのコーラだった。表面に浮いた水滴が、乾いた手の平に染み込んでいく。
『……なに、これ』
『差し入れ。水分補給にどうぞ』
『…………なんで家出って分かったの?』
『知りたい?』
 こくりと頷いて見せる。すると春本さんは頬にえくぼを作って、人差し指をぴんと立てた。
『日本には、類は友を呼ぶっていうことわざがあってね』



 そんなことがあって以来、わたしの家出には、このコンビニまで自転車を走らせコーラを買い、車止めブロックに座り込んで星空を眺めるという一連の流れができた。家出の回数も、いつの間にか二桁を超えていた。
『きみってさ、何歳なの?』
 あるときふと、春本さんが切り出した。
 深夜のコンビニというものは本当に暇らしく、春本さんはたまにこうして外の空気を吸いにやってくる。そしてわたしの隣に並び、制服姿のまま大きく伸びをしたり深呼吸をしたりするのだ。こんなところを通行人に目撃されたら店の評判に関わるんじゃないかとわたしなら不安になってしまう行動を、春本さんはさらりとこなす人だった。
『……十六』
 口に含んだコーラをごくりと飲み込み、少しだけ間を置いてから、答える。
 春本さんは『十六かー』と繰り返して、一つ隣の車止めブロックに腰を下ろした。
『高一?』
『ううん、高二。遅生まれなんだ』
『じゃあ三つ下だ』
『春本さんは大学生?』
『うん。K大学って知ってる?』
『えーと……名前だけ』
『そっか』
 わたし達の会話はいつも淡白だ。区切りがついたところでぷつん、と簡単に途切れてしまう。けれどもそこに気まずさはなく、少しだけ無言の時間を挟んで、またどちらからともなくぽつりと口を開くのだ。まるで寄せては返す波のようなこのリズムが、今は不思議と心地いい。
『テスト勉強とかしなくていいの』
『いいの。今んとこ行きたい大学があるわけでもないし』
 膝を抱えた手を解いて、両足を前へと投げ出す。ペットボトルの真ん中辺りを親指の腹で押してぺこぺこ鳴らしながら、空白の数秒を満喫する。
『話変わるけど、からあげとたこ焼きだったらどっちが好き?』
『からあげ、かな』
 ちら、と春本さんのほうに目をやると、ちょうど視線がかち合った。
 春本さんの頬に、えくぼが刻まれる。
 本当に、ただそれだけなのに、次はわたしから話しかけようと思っていたのに、口から出かかった言葉は回れ右をして胸の奥に引っ込んでしまった。
 後になって思い返してみると、わたし達の間に交わされた会話は実りのないものばかりだった。春本さんはわたしが家出をしている理由はおろか、名前すら訊いてこなかったし、わたしもそれにならってあまり突っ込んだことは訊かなかったからだ。
 にも関わらず、春本さんいつしか〝いらっしゃいませ〟の代わりに〝おかえり〟と言うようになった。ずるいと思う。春本さんの中にどんな心理があって〝おかえり〟なんて言い出したのかは分からない。
作品名:深夜2時の居場所 作家名:はまち