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動物園

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とある男が恋人を連れ立って、とある動物園にやってきた。

「さあ着いたぞ。ここが今巷で話題の動物園だそうだ。なにやら、他にはない『珍しい見世物』があるらしい。」
「ふうん。でも、なんだかあまり賑わっている感じはしないわね。」
「まあ、とにかく入ろうじゃないか。」

とても繁盛しているとは思えない、煤けた看板の隣に、入り口らしきものがあった。そこには、所々インクの剥がれたゴシック体で、

『ただいま入場料は無料です。どうぞご自由にお入りください。』

と書かれていた。

「今時こんなところがあるものなのね。いったいどうやって儲けているのかしら?」
「むしろ、今だからこういうのがあるんじゃないかい?たとえば、広告料とか、それかフリーミアムっていうの。入場は無料だけど、別のところでお金を取っているとかね。」
「何かを見る度に、お金をとられるなんて、嫌よ。落ち着いて見て回れやしないじゃない。」
「まあ、そんなにひどいということはないだろうさ。この情報収集家の僕が見つけてきた、穴場中の穴場だからね。」

無料という響きに、怪しさを感じないということはなかったが、せっかくやってきたのだからと、二人は足を踏み入れた。

「なんだか、閑散としてるわねえ。私たちの他に、お客さんが見当たらないけど……」
「まあ、なんてったって、穴場だからね。ちょっとした情報通の僕は、静かなるブームってやつをいち早く嗅ぎつけることが出来たのさ。混雑になる前に来られたことを、僕に感謝してくれよ。もう少し奥の方まで行けば、きっと他の客も居るはずさ。」
「そうかしらねえ……」

鈍色の不信感を露わにしながらも、女は奥へと歩を進めた。動物園は、一見したところによると、いたって普通の構造をしていた。屋外には大型の動物を展示するための、いくつかの檻があり、奥の方には室内で飼育されている動物を展示していると思しき建物があった。

「ふむ、ここはキリンの檻らしいぞ。」
「そうなの?何も見当たらないけど……」
「何か看板に書いてあるな。なになに、『現在キリンは睡眠中です。どうぞお静かに。また別のお時間にお越しください。』だって。」
「キリンって、こんな昼間に眠るものなの?」
「さあ、どうなんだろう。他の動物園のキリンは、無理をさせられているのかもしれないね。」
「ふうん。つまんないの。まあ、いいや。次行きましょ。」

男は、キリンが夜行性などという話を聞いたことはなかったが、そうではないということを知っているわけでも、別段なかった。そもそも、男はキリンに特別の興味があったわけではなかったし、それよりも、むしろこの状況がおもしろいのではないかと考えていた。

「何やってるの?早く次ぎ行きましょうよ。」
「ちょっと待って、もうすぐ終わるから……よし、待たせたね。」
「……あなたってそればっかりね。そんなに楽しい?」

男は、使い終わったスマホを、ズボンのポケットに仕舞おうとしていた。

「なんだってキリンが見られなかったんだ。せめて、これぐらいのネタはいただいておかないとね。僕は、転んでもただでは起きないタイプの人間なんだ!」
「へえ、それで、SNSに写真を投稿して満足したの。どう、みんな面白がってくれた?」
「ちょっと待てよ。そんなすぐには……おっ、来た来た。」

仕舞ったばかりのスマホを慣れた手つきで尻ポケットから取り出すと、男はいかにも満足そうな表情を浮かべた。

「それにしても、ソーシャルってのは、すごいもんだよな。世界中の何千もの人間に、すぐに情報発信ができて、反応が返ってくる。しかも、結構上手いこと返してくるやつらも多くてね……」
「へえ、それは良かったわねえ……」

興味のないことをわかりやすく伝えると、女は歩き始めた。男もまた、またそれを気にする様子はなかった。しばらく歩いて、今度はライオンの檻の前に到着した。

「やっぱり動物園と言えば、ライオンだよな。なんと言っても百獣の王だ。男はいくつになってもライオンの強さには憧れるもんだ。」
「そういうのだから、男は子供なのよ。それで、肝心のライオンさんは、いったいどこに居るのかしら?」

二人は、さほど広くもないライオンの檻をぐるりと見渡してみたが、看板の主は、またしても不在のようだった。

「どうしたんだろう。ああ、看板に何か書いてあるぞ。ええと、『ライオンは現在体調を崩しており、展示を中止させていただいております。楽しみにしていただいていた皆様にはご迷惑をおかけいたしますが……』」
「体調を崩してたんじゃあ、百獣の王も形無しね。」
「どんなに強いやつでも、病気と歳には勝てないものなのさ。」
「そんなものかしらねえ。それにしても……」

動物園に来てしばらく経っているにもかかわらず、まだ一度も動物を見られていない。女の顔には、先からの不信に加えて、赤黒い不満の表情も滲み始めてきていた。

「……まあ仕方がないさ。たぶん、まだ楽しめるところはあるはずだよ。なにせ、情報通の僕が見つけてきた、穴場中の穴場のデートスポットだからね。」
「本当かしらね、怪しいもんだわ。あなたの情報源ってどこなの?いつも何かしら書き込んでいる、あのSNSのことかしら。」
「なんだと!僕が信用できないって言うのかい?まあいいさ、信用に足るものかどうかなんて、じきに分かることだからね。」

けれども、他の檻を見て回っても、一向に動物の姿は見えなかった。パンダの檻には『ただいま繁殖の準備のため、ストレスを与えないよう屋内で飼育しております』、象の檻には『隣町の動物園にお嫁に行きました。現在当動物園に、象はいないゾウ!』、挙げ句、屋内展示用の建物には『現在改装中のため、関係者以外の立ち入りを禁じます』と書かれ、鍵が掛けられていた。

「どういうことなのよ、これは!動物が見られない動物園なんて聞いたことがないわ!こんなのだから、無料で開放しているのよ。まったく、呆れてものが言えないわ!」
「ははぁん、なるほど、そういうことか。『珍しい見世物』ねえ。動物の居ない動物園、これはある意味新しいのかもしれないな。」

そういうと男は、スマホを取り出し、しきりにいじくり回し始めた。

「あなた、そればっかりね。こんなの面白くも何ともないじゃない。もうたくさん。帰らせてもらうわ。」

怒りをあらわにし、ついには女は一人で帰ってしまう。

「お、おい。ちょっと待てよ。良く確認もせずに、連れてきたのは悪かったよ。今度、埋め合わせするからさ。良い店の情報なら、いくらでも手に入るはずだよ。」

そういう男は、しかし、スマホを手から放すことはなかった。

作品名:動物園 作家名:tanakh