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何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌【ラメント】Ⅱ

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 唾棄するような言い方に少し違和感を憶えないではなかったが、それよりも、明姫はユンの切迫した様子の方が心配だった。
「あなたの憤りも判るけれど、それは仕方のないことだと思うわ。今の国王殿下はまだお若くていらっしゃるもの。先の父王さまが薨去され、ご幼少で王位につかれたでしょう。即位されたとはいっても、大妃さまが垂簾の政を行われ、更にその背後で現実に政治を動かすのは領相大監だったから、国王殿下の出る幕はなかったはずよ。長い間、政治を我が者顔で動かしてきた領相大監が成人された殿下にはい、どうぞという風にあっさりと権力を手渡すなんて考えられないし、今度は搦め手から若い国王さまを取り込もうとするのは当たり前。その手段として、ご息女を殿下の後宮に送り込んだ」
 ユンが笑った。
「明姫は女にしておくのは惜しい人材だな。その愛らしい顔で、どうしてそんなことを考えられるんだ?」
 明姫は得意げに胸を反らした。
「これでも苦労人ですから」
 ユンが吹き出した。
「本当に変わった娘だな、そなたは」
 明姫は真顔になった。
「だから、今はまだ国王殿下をそっと見守ってあげて。あなたたち若い朝廷の臣下が同じ世代の国王さまと次代の朝廷を作って動かしてゆくのよ。私は宮殿の奥深くにいらっしゃる国王さまのことなんて知らないけど、お若いのにご英明であられると女官たちも噂しているわ。きっと、いつまでも領相大監の言いなりなってばかりでもないと思う」
「そうなのか? 国王が英明だと女官たちの間で噂されているのか?」
 何故か嬉しげなユンに首を傾げながら、明姫は頷いた。
「そうよ、大殿(テージヨン)に詰めている尚宮さまや女官たちの話では、二十一歳のお若さでありながら、徳は生まれながらに広く備わり、優しさと厳しさを併せ持たれた紛うことなき聖君(ソングン)だと―」
 明姫の言葉は途中で遮られた。
「気になるのは、もっと他のことだ。女官たちは国王はどんな男だと噂している? 教えてくれ」
「どんな男?」
「その、つまりだな」
 ユンがもどかしげに言った。
「容貌とか、男ぶりだとか」
 明姫は考え込んだ。
「容貌については、あまり聞かないわ。あ、そういえば、誰かが言ってたっけ。竜顔麗しく、凛々しくも輝かしき美貌の君であられるとか何とか」
「そうかそうか、凛々しくも輝かしき美貌とはな」
 ユンは一人でにこにこして悦に入っているようである。
「で、そなたはどう思う?」
「え、私? 私は国王殿下のお顔なんて見たこともないから、判らないわ」
「違う、違う。そうじゃない。私を見て、どんな男だと思うかと訊いているのだ」
 明姫は首を傾げた。
「うーん、そんなことを急に言われてもねぇ」
 真正面からユンを試す眇めつ見て、思ったままを言った。
「男ぶりは悪くはないと思うけど、いかにも甘やかされて育った両班のお坊ちゃまって感じ?」
 ユンが恨めしげに明姫を見た。
「おい。それは幾ら何でも酷くないか?」
 更に言いにくそうな顔で言った。
「凛々しいとか、輝かしいとか、そういう印象は―」
「ないわね」
 きっぱりと告げると、ユンが心底落胆したように肩を落とした。
「そうか」
 明姫は微笑んで、明るく言った。
「仕方ないでしょ。一介の官吏に過ぎないあなたと国王殿下では違うのは当たり前よ。っていうか、比べること自体が畏れ多いかも」
 そこで、明姫はハッと我に返った。
「ちょっと、今、何時かしら」
 ユンとの話にあまりに夢中になったせいで、刻の経つのも忘れていた。急に立ち上がったので、膝枕をしていたユンは放り出され、露骨に顔をしかめている。
 少し開いた小窓から外を覗いた明姫は悲鳴を上げた。
「大変、もう陽が暮れてる」
 背後から、ユンも外を覗いている。
「確かに。これはちと、まずいかな」
 ぼそりと言う彼に、明姫が噛みつくように言った。
「ちょっとじゃないわよ。物凄くまずいわ」
 家の外ははや、淡い宵闇の底に沈み始めている。陽暮れどころか、下手をすれば宮殿の門が閉まる刻限が近くなっているかもしれない。
「すぐに帰らなくちゃ」
 明姫は慌てて傍らに置いてあった外套を掴んだ。
「送っていくよ」
「要らない」
 素っ気ない返事に、ユンが溜息をつく。
「だが、昼間のように、無頼の輩に絡まれたら困るだろう」
「でも、あなたはお屋敷に帰るんでしょ。私は宮殿に戻らなくてはならないから。わざわざ送って貰うほどのこともないし」
「そなたを無事に送り届けてから、宮殿を出ても良い。まだ門が閉まる時刻には十分余裕がある」
 折角の申し出をこれ以上、断れない。しかも、実のところ、明姫はユンと一緒に少しでもいたいのだった。
 小さな一軒家を出る頃には、町は完全に夜の気配に包み込まれていた。二人はただ黙って人気のない路地を歩く。路地を抜けて大通りに出た途端、嬌声が二人を迎えた。
「ちょっと、そこの旦那さま」
 最初、ユンは自分のこととは気づかず、足早に歩いていた。
「ねえ、そこの旦那さまってば」
 後ろから袖を引かれ、漸くユンが振り返ると、二十代前半と見える色っぽい女が佇んでいた。派手な衣装や化粧・髪型から見て、妓生(キーセン)のようである。
「やっぱり。見れば見るほど良い男。どう? 今夜はあたしのいる妓楼に来ない? あたしの敵娼(あいかた)になってよ」
「客引きをしている妓生だな」
 ユンは呟き、愛想笑いを浮かべた。
「済まぬが、今夜は先約があってな」
 極上の笑顔は、女なら一度見れば永遠に忘れられそうにもない魅力的なのものだ。
 ふーん、こんな笑顔もできるのね。
 明姫は醒めた眼で、妓生に爽やかな笑顔を振りまくユンを半ば呆れながら見つめた。
「先約?」
 妓生の視線がユンの傍らにいる自分に突き刺さるのが判った。何だか親の敵を睨めつけるように険のある視線だ。
「そう、見てのとおり、私の許嫁者とね。これから、どこか二人きりになれる場所を探そうと話していたところなのだ。な、お前」
 馴れ馴れしく肩を抱き寄せられ、明姫は慌てて〝違―〟と言いかけた。
 ふいに唇を大きな手で覆われ、明姫はうぐぐと、情けない声を出した。
「早く帰りたいのなら、余計なことは申すな」
 ユンの声が耳朶をくすぐり、刹那、何ともいえない感覚が全身を走り抜けた。
「あ、そう。これはお邪魔致しました。そんな乳臭い小娘のどこが良いんだか」
 妓生は鼻を鳴らした。
「いやいや、これで、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んで、なかなか良い身体をしてるんだな」
 ユンは調子に乗って言いたい放題だ。
「フン、どこの令嬢を拐かしたのかは知らないが、両班のお嬢さんをこんな夜遅くまで連れ回して傷物にしちまったら、旦那、このお嬢さんの親父さんに殺されちまうよ」
「忠告、ありがたく肝に銘じておこう。それでは、我らは先を急ぐので、これにて」
 またも魅惑的な微笑を妓生に向ける。
「本当に良い男。惜しいわぁ。旦那~、今度は必ずお一人で来てくださいね。月琴楼の緑月と指名するのを忘れないでねぇ」
 語尾が異常に甘ったるい。
「ああ、その美しきそなたの面が今宵の月のように淋しさで翳らぬ前に是非、訪れよう」