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何度でも、あなたに恋をする~後宮悲歌【ラメント】Ⅱ

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明姫は立ち上がった。
「失礼なヤツとは一緒にいたくないでしょ。私は先に戻ります」
 出ていこうとしたその手を掴まれた。
「待てよ」
「何をするの?」
 悲鳴じみた声を上げた明姫はハッとした。まるで棄てられようとする子犬のような瞳が無心に彼女を見つめていた。
「そんな眼で見ないでよ。まるで私があなたを苛めているようじゃない」
 そして、その瞳は告げていた。行かないでくれと、ここに自分を一人、置き去りにしないでと。
 こんなのは反則。明姫は内心、叫びたい想いでその場に踏みとどまった。こんに切なげなまなざしで見つめられて、到底、一人にしておけるはずがない。やはり、この男、根っからの天然に見えて、その実、凄腕の女タラシかも?
「悪かった。私が言い過ぎた」
 恐らく人にかしずかれることに慣れ、謝罪などあまり自らしたことのない立場に生まれついた男なのだろう。
 言い方は少しぎごちなく、語尾が震えていた。
 本当に、何で私がこんな罪悪感を感じなきゃいけないんだろう。明姫は理不尽すぎるこの状況に半ば憤慨しつつ、再び腰を下ろす。
「判ったから、その手を放して。そんなに力を込めて掴まれたら、痛いわ」
 手首を握る力の強さはやはり、男だ。それは幾らこの男が線が細くて軟弱そうに見えても、やはり力のある男―自分の抵抗などあっさりと封じ込めるだけの腕力を持つのだと示していた。
 あまりに邪気がないし真面目そうだったから、さして疑いもせず、二人きりになることにも抵抗はなかった。だが、本当にこんな場所までついてきて、良かったのだろうか。今更ながらの不安と後悔がよぎる。
「ごめん」
 男はまた謝り、慌てたように手を放した。
「その、また膝枕して貰っても良い?」
 物凄く恥ずかしそうに言うので、かえって毒気を抜かれて、腹立たしさも霧散してしまった。見かけどおりの甘えん坊なのね。
 自分より六歳も年上の男がまるで年下のように感じられて、少しおかしい。
 また膝枕してやると、男は本当に心から嬉しそうに笑った。ああ、この笑顔も反則だわ。
 と、心で思う。恐らく、この見るからに人の好い男は駆け引きなどしない―というより、できないのだろう。素直に思ったままに感情を露わにする。それが彼をして時々、酷く子どもっぽく見せるのだ。
 それは先刻、ソル老人やマル、マルの美しい母の前で見せた分別ある大人の男といった表情とはまったく違うものだ。別人かとすら思ってしまうくらいの変貌ぶりだ。
 相手によって見せる顔が違うのは、本人はそれを意識してやっているのかどうか。もし、故意にやっているとしたら、とんだ食わせ者だけれど、多分、彼自身はまったく意識していないはずだ。それは今の無防備すぎる彼を見ていれば、よく判る。
 幾ら自分をさらけ出すといっても、ここまで素の自分を露わにするのは故意にできることではない。
「眠らないの?」
 明姫が優しく問うと、彼は首を振った。
「眠りたくない」
「どうして眠りたくないの?」
「そなたと話がしたいのだ」
 膝枕をしての状況でのこの科白は、聞きようによっては意味深だ。こういう科白をここで囁かれると、男が自分に気がある―もしくは少なくとも興味があると勘違いをする女もいるかもしれない。
 色事に疎いといわれているこの自分がここまで見事に心理・状況分析できるのだから、やはり、この男はある意味、油断大敵の食わせ物なのかもしれない、まったく意識せずに女心を動かし落とすすべを心得ているという点では。
 しかし、この天然のお坊ちゃんはそこら辺の微妙な空気を読めていないらしい。
「何から話しましょうか?」
 それならいっそ姉に徹してしまえと、明姫はいっそう優しげな声音になる。
「そなたは既に両親がいないと言っていたが、私には母がいる。父は七年前に亡くなった」
「そう、お母さまはどのような方?」
「何と言えば良いのだろうな。自分の母親をひとことで言い表すのもなかなか難しいが、強くて脆い女(ひと)だろうな」
「強くて脆い―、何だか矛盾してない?」
「確かに」
 彼はそこで、ひっそりと笑った。また、儚げな微笑。その哀しげな微笑みは、いつも明姫の心までをさざめかせ、震わせる。
「でも、そうとしか言いようがない。私の母は強いのに、とても脆くて弱い一面を持っているんだ」
「どういうところを見て、そんな風に思うの?」
「父が亡くなった時、私はまだ十四歳だった。そなたは幼くて知らなかったかもしれないが、九年前に都を震撼とさせた事件があった。誰が考えても不審な火事で、たくさんの生命が失われたんだよ。その火事で、父は信頼する部下を失った。父が精神を病んだのは、その直後だ。一説には、その部下を火事に見せかけて殺した輩が父をも毒殺したのではないかと囁かれている」
「―」
 明姫は声がなかった。九年前の火事、たくさんの生命が失われた不審な事件。それだけ聞けば、何を意味するか判らぬはずがない。
 では、この男の父親というのは、捕盗庁を統率する更に上の部署―その長官だったのだろうか。思い悩む明姫の耳を真摯な声が打つ。
「その火事が起こって、二年後、父は狂い死にした。済まないと今わの際まで亡くなった部下たちに詫びの言葉を繰り返していた。誰が見ても明らかに事件性がある火事なのに、愕くべきことに、何の調査も行われなかったんだ。もちろん、ひととおりの形式的な取り調べだけはやるにはやって、後は誰もその夜のことについて口を閉ざした」
「それほどまでに不審な火事なのに、どうして、入念な調査が行われなかったのかしら」
「それは決まっている。火事を起こした首謀者が時の最高権力者だったから」
 明姫はやはりと息を呑んだ。間違いない。彼の言わんとしているのは九年前の夜、明姫から一瞬にして、すべてのものを奪い去ったあの火事のことだ。
「私は父の死後、家門を継いだ。母は幼かった私の後見として、よく私を支えてくれた。そのことには感謝している。だから、強い女だと言った。だが、近頃、思うんだ。母が懸命に家門を守り続けてきたのは、私のためではなくて、自分のためではなかったのかと」
 動揺している明姫の心中など知らないように、男は淡々と続ける。
「最早、私は十四歳の子どもではない。家門を継いだばかりの当時は母の命令を何でも受け容れて従ってきたが、今は到底、そんなことはできない。私には私の考えがあるし、母とは物の見方も違う。母には、それが我慢ならないらしい。私が母の手を離れて一人歩き始めた頃から、母もまた父のように精神に変調を来たすようになってしまってね。急に上機嫌になったかと思うと、いきなりふさぎ込んでしまったり、些細なことに怒り出したりする。子どもの頃は強い女だと思っていた母は、もしかしたら、とても脆い人だったのではないか、最近はそんな風にも思えてならない」
「何て言ったら良いか、よく判らないけど。あなたも色々と大変だったのね」
 返す言葉もなく、逃げを打つしかなかったが、男は明姫から応えを引きだそうとは考えていなかったようだ。ただ長らく自分の中にわだかまっていて吐き出せなかった想いを誰かに聞いて欲しかったのだろう。