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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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この心が声になるなら

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 人数は少なくとも笑顔に溢れた披露宴、二次会、三次会のカラオケと来て、酒と喜びにふわふわとした足取りの新郎新婦が無事にホテルに戻るのを見届けたところで、夏芽はふっと気が抜けた。四次会のお誘いももらったのだが、明日も仕事がある旨口にしてタクシーに飛び乗るのが精一杯だった。住所を告げたところで限界を迎え、その後は運転手が話しかけてきても、相槌が空回りした。無視していると思われたら嫌なので、目を閉じて寝たふりをした。
 支倉にちゃんとただいまと言えたことに、心底ほっとした。今でも信じられない、それこそトウヤの妄想のような五日間から半年が経っても――妄想じゃなかった証に今もここに支倉はいるし、クレジットの請求書は、ナナイがいたことを確かめる縁として保存しているが、恐怖が完全に振り払えれたわけではない。親とも連絡を取っていないし、時折であれば「自分の言葉」で話すことができていると思えるのも、支倉の他にはトウヤと湯上と優衣ぐらいだ。
 少しずつ、良い方向へ向かっているとは思う。支倉がいてくれれば、きっと大丈夫だと思える。自分自身で話しても拒絶されない、受け止めてくれている人はちゃんといるのだと実感できるから。けれど、その分自分は、支倉に何をあげられているだろうか。
 寝巻きに着替えてベッドで寄り添いながら、小さな声で修吾君、と呼ぶと、はい、と心地よい声の返事が返ってくる。大好きな柔らかで厚みのある低い声には最近甘さが滲んできて、心から蕩かされるようだ。それは、ふたりのときにだけ聞かせてくれる声。
「なにか僕にできることは、あるかな」
 確かに、五年前のあの日、夏芽は彼を救ったのだろう。トウヤが役者としての自分を、夏芽が作家としてのトウヤを救ったように、或いは、二年前に、支倉が夏芽を受け止めてくれたときのように。だけど、夏芽の長い時間をかけて凝り固まってしまった心が解けるまで、その間もずっと共にいてくれるとするなら、彼に何ができるだろうか。
 暫く、支倉はじっと夏芽を見つめた。支倉と共にこの部屋で眠ることがあるようになってから新たに買った、ベッドサイドランプの灯りだけに照らされたぼんやりとした中でも、彼が幸せそうに微笑んだのが見えた。
「ずっと、俺の近くにいてください」
「……そんなことで、いいの?」
 そう言うと、大きな手が背中に回った。温かくて、疲れと酔いのせいもあって、眠ってしまいそうになる。
「あなたが近くにいてくれないと、きっと俺どんどん手ぇ抜いて、ダメな奴になっちゃいます」
 その言葉に、落ちかけた瞼を必死でこじ開けた。意図が読み切れず、首を傾げる。
「初めてあなたに会った時、俺多分人生で一番格好悪かった頃だったでしょ。彼女には、本当に悪いことしたっては今でも思ってますし。……そんな顔しなくても、大丈夫ですって! 本当に未練全然なくて、結婚したって葉書来た時だって、幸せそうでよかったなって本気で思ったんですからっ! 俺が世界で一番愛してるのは夏芽さんです!」
 そんなに不安そうな顔を見せてしまったのだろうか。付き合ってもう半年になる。その間、夏芽の言葉だけでなく、表情も少しずつ増えてきてはいる。
 ぎゅっと全力で抱き締められて、息が詰まりそうなほどだ。うん、大丈夫。嬉しいよ、そう言って頭を胸にそっとすり寄せると、ほっとしたように腕が緩められた。
「夏芽さんのことは、世界で一番大好きです。恋人としてすごくすごく大切な人です。一緒にいたいし、べたべたしたいし、顔見たいし声聞きたいし、もっともっと、たくさん幸せにしてあげたいです。喜んでもらいたいし、好きでいてほしいから、かっこよくしてようって思うし、やさしくしてあげたいって思います。だから、あなたといるときの俺は、いないときよりかっこいいはずだし、やさしいはずなんです。……多分」
 最後に少しだけ自身がなさそうに付け足すから、きみは凄く格好いいし、優しいよ、と囁く。ほっとしたように彼の表情が緩んだ。
「でもあなたは、俺にとって今でも憧れの人でもあるんです。人としても、役者としても。字が読めないから台本読んでくださいなんて言ったときも、変な目で見ないで、俺を信じて優しくしてくれたとき、俺、凄くまわりの全部を誤解してたんじゃないかって思ったんです。そのすぐ後に、目の前であなたが演じたナナイに引き込まれて、なんて凄い役者なんだろう、って思ったんです。字ぃ読めないから選んだ道とかじゃなくて、こんな風になりたい、この人と共演しても、見劣りしないような役者になりたいって本気であのとき思ったんです」
 支倉とて、言葉数の多いほうではない。けれど、少しだけ照れくさそうに微笑んだまま、穏やかに言葉を紡ぐ。
「あなたの隣にいても、恥ずかしくない人になりたい。そう思えるから、頑張れます。仕事だって、ここまでやってこれたのは、そのおかげです。あなたに憧れるから頑張れるし、あなたが好きだから優しくなれます。好きな人の前では格好つけたいんですよ。で、俺だって格好いい自分でいるほうが、俺を好きでいられるでしょ。だからね、あなたが近くにいてくれれば、大好きなあなたといられるっていうだけでまずもう超幸せだし、もっと格好いい俺になれるし、最高なんですよ。夏芽さんさえいてくれれば、俺はきっと、もうだめになんかならない」
 だから、ずっと俺の近くにいてくださいね。愛しています。そう囁いて、耳に触れるだけのキスをもらった。抱き締める腕と、言葉に、体の髄まで温められて、夏芽はとろんとした幸せな眠気に襲われた。
「ありがとう」
 自分にそんな価値があるのだろうかとか、面倒なことを考えずにただただするりと嬉しさだけが零れたのは、眠気のせいだったかもしれない。それでも。
「愛してるよ、大好き」
 心からの想いを声に換えれば、かけがえのない愛する人が、本当に幸せそうに笑ってくれる。この笑顔を見せたいと思ってくれているのならば、自分にも価値はあるのだろう。そう思えた。
 他の人が当たり前にしていることを、当たり前にできるようになるまでには、まだきっと時間がかかるだろう。それがいつになるかは、たとえナナイであっても知りえない。けれど、きっとその日は来ると信じられる。支倉が夏芽を受け止めてくれ、夏芽が支倉の近くにいる限り。
 だから、そのために、伝え合おう。自分が、何を感じているのかを。何を考えているのかを。ふたりが共に在るために。
 誰にも見えることのないこの心を、確かに聞こえる声にして。