大嫌いな貴方へ
四月
昔から一緒にいるからって仲がいいとは限らない。むしろ関わりが深くなることによって仲が悪くなることもあるのだ。勇太と勝の関係がまさにそうだった。
今年の春から同じ中学校に通い始めた二人だが、仲の悪さは小学校からの友人たちが呆れ果て『いい加減にしたら』と釘を刺すほどだった。
二人の間に会話は無い。だが相手の言葉を一字一句逃さず捕らえるその耳は一体どこで用意してもらった特別製なのかと聞きたくなるほどの性能を発揮した。
小学校時代の六年間、一度でもクラスが離れればまだマシだっただろう。だが最悪なことに二人はずっと同じクラス、『こりゃ中学校もそうじゃない』とからかい混じりで口にした友人たちの言葉通り、中学校でも同じクラスになってしまった。
勇太はクラス分けを見て暗澹とした気持ちに陥った。またあいつと一年同じ教室で過ごさなければならないのだと知って。
勝とは家すら隣同士なのだ、せめて学校でくらい離れたってバチは当たらないと思うのだが。
「あ、勇太ってばまた木山と一緒じゃん」
「すげー。これで七年目だろ?」
「……もう俺死にそう」
クラス分けの紙を握りしめ、掛けられた友人たちの言葉に頭を垂れる。とそこに勇太にとってはこの上なく不快な声が下品な笑い声を立てて近づいてきた。
「まさるー、お前三組だって」
「おー。……っ、よし!飯島さんと同じクラス!」
俺とも同じクラスだよ馬鹿野郎。よく見ろ。
小学校時代からの顔見知り、クラスどころか学年で一番可愛いと早速噂されている飯島晶子の名前を見つけたならば、その真下にある自分の名前にもすぐ気がつくだろう。そう思っていればやはり、『げー!!またアイツと一緒かよ!?』という叫び声が聞こえた。
うるせー馬鹿、泣きたいのはこちらのほうだ。勇太は嘘ではなく瞳を潤ませる。最近なかったと思ったのに、泣き虫はまだ治りきっていないらしい。
勇太と勝の仲の悪さは親の代に遡る。新築されたばかりの家が二軒、そこに越してきた夫婦が二組。最初は和やかに挨拶を交わしていたらしい二人の父親だったが、『うちの家の方がいい』などという子どもの喧嘩のような口論から本格的な不和に繋がっていったらしい。母親同士はそう仲が悪いわけでもないが、旦那同士の喧嘩に巻き込まれるのも得策ではないからと距離を置いた付き合いを続けていた。
とはいえ、性別も年も近い二人がそれだけで喧嘩をするはずが無い。特に小さいころは親の不仲などわからないのだ。幼稚園では朝から晩まで二人でべったり遊んで過ごしていた。
急変したのは小学校一年の夏だ。
『あの子はお前を置いて、さっさと帰ってきたよ』
父親の一言が勇太を絶望の底へと突き落としたのだった。
「……なんでお前」
そういいたいのはこちらのほうだ、と叫びたくなるのを勇太はグッと我慢した。
新しい教室の並び順は五十音順だった。『石動』は前から三番目、『木山』も前から三番目。
隣同士である。
あと一人ずれたら飯島さんだったのに、と小さく勝が呟く。それにカチンときたものの、言い争いをしてもどうしようもないことには気が付いていた。大体もうそんな子どもっぽいことからは卒業するのだ、『犬の子勇太』とからかわれた日々は忘れない。
犬の子勇太、というのはきゃんきゃん騒ぐ様から取られた名前で、命名は勿論勝だ。お返しとばかりに『猿じじい勝』と呼んでやったが、その程度で気持ちが収まるはずもなかった。
落ち着け落ち着け落ち着け。何度も胸中で唱えるそれはもはや念仏のようだ。唱え続ければいつか落ち着けると信じていた。
出来る限りあいつのほうは見ない。言葉も聞かない。その辺のガラクタとでも思ってればいいんだ、そしたら苛立つことも切れることもしないで済む。
なのに勇太の耳は勝の行動なら全て視界に入ってしまうし、言葉だってばっちり拾ってしまうのだ。これはもう、幼なじみという業がそうさせるのだとしか思えない。
「ちっ、根暗なやつ」
「っ!!なんだと」
ぽそり、勝が呟く。明らかな侮蔑の言葉に瞬間的に血が上り、椅子を蹴り倒す勢いで立ちあがる。だがその瞬間担任となった男から『こら、ホームルーム中は静かにしなさい』とお叱りの言葉が。
「す、すみません……」
「ダサ」
おずおずと座りなおすと周りから失笑、原因となった男からは小さな呟き。顔が歪んでいる。畜生、と内心で呟いて、机の下でこっそり拳を作った。
どうして俺はこうなのだろう。
勝とは毎日何かしらで張り合っているといっても過言では無い。四月のスポーツテスト、実力確認テストで張り合った。お互い会話はしないもののなにせ隣の席だ。覗こうと思えば見れる。
スポーツテストでは総合的に負けていた。が、実力テストでは勝っているらしい。開き始めた体力差に焦りつつ、勇太はまだまだこれからだと思い直した。
勝は体格がいい。一年生にしてもう身長が伸び始めている。対して自分はまだまだチビ、このままではいつか取っ組み合いの喧嘩になった時負けてしまうだろう。それだけは絶対に嫌だ、と勇太はこれから牛乳を飲むことを決めた。
ずっと張り合ってきたのだ。そうして引き分けてきた。喧嘩をするときはお互い決着が付くまでとことん殴りあった。なのに成長の速度が違うだけでこちらが不利になるのがどうにも納得いかない。早くあいつに対抗したい、大きくならなければと気を持ち直す。
身長も体重もちょっとずつ差が出てきていた。焦りは募るばかりだ。
「なんだよ、お前まだ百五十ねーの?」
スポーツテストの結果には身長とも体重も載る。それをいきなり奪い取られさらにはまじまじと読み込まれ、勇太は思わず大声を上げてそれを取り戻しにかかった。
「か、返せよ!この猿じじい!」
「あーはいはい。犬はきゃんきゃんうるさいですねー。……えー、握力たったのこんだけ?女子なんじゃねーのぎゃはは」
「っ!」
がむしゃらに手を伸ばす。だが完全に押さえ込まれて届かない。歪んだ笑顔のまま、勝は近くにいた人物に声をかけた。
「聞いてよ飯島さん。こいつったら男の癖に握力女子並なんだぜ」
「ん?……あ、石動君わたしと同じくらいだね」
こ、こいつよりにもよって飯島さんに告げ口しやがった!!
飯島さんといえば小学校時代からのアイドル、勇太だって密かにかわいいなと思っている女の子だ。正直、隣が勝だという現実に堪えているのも目の前にいる彼女の存在が大きい。なのにその飯島さんに、自分の情け無いところをばらすなんて!
鬼か、悪魔か、いやただの根性腐れ野郎かとギリギリした目で睨んでいると、『飽きた』と一言落として勝が紙から手を離す。床に落ちる直前で慌ててキャッチし鞄の中に突っ込む。
「……覚えてろよ」
「あーあ。この犬ちゃんは負け惜しみまで暗いのかよ。うっざ」
馬鹿にされた上に冷たい目まで向けられてその場で涙がこぼれそうになったが、そこは仇敵の眼前である。何よりこいつに泣かされることだけは避けたくて、持てる力の全てをそこに注いで勇太は落涙を何とか堪えた。