拝み屋 葵 【弐】 ― 余暇見聞録 ―
* * *
サラ・ダブーラ[SARAH DABULLA]
アルバニア人の父と、フランス人の母を持つ。フランスの最南東、地中海とイタリアに面するプロヴァンス地方で生まれ、幼少期をマルセイユで過ごす。
六歳になると同時に、マルセイユ大学で助教授をしていた母親が単身日本へと渡る。夫婦間では了承済み。父子家庭となったことが原因で重度のファザコンが発症。
七歳になり、父娘二人だけの店を開くという夢を持つ。
父は嬉しい反面、娘のファザコンを危惧し、大学卒業後という条件を提示して時間を稼ぐ。その間に別の夢を見つけてくれることを期待してのことだった。別の夢とは、恋愛感情に置き換えても良い。
九歳になり、コレージュ(中学校)を飛び級で卒業。
十歳、日本の高校にあたるリセを卒業。
十三歳、大学卒業に必要な単位取得の目途が立った頃、パティシエールになることに反対される。逆上したサラは、父娘二人だけの店を開くという目的と、実現のためにパティシエールになるという手段が入れ替わり、母のいる日本で修行するために渡日を決意する。日本語習得のためだけに、故意的に一単位落とす。
半年後、日本語を習得し、卒業に必要な単位を取得。
十四歳、エックス・マルセイユ大学卒業と同時に日本へ渡る。
尚、ダブーラ夫妻の夫婦関係はすこぶる良好である。
「ウチは思うねやけどな」
葵はそう前置きして話し出した。
二人は長池公園を離れ、商店街を駅方面へと歩いている。
「なぁんにもせえへんことが修行になる場合もあるんや」
「それは嘘ね。そんなことあるわけないもの」
サラは葵の言葉を笑い飛ばす。
「技術や感性を磨くんだけが、修行やないねん」
正体不明の重みを宿した葵の二の句。
サラはそれを感じ取りながらも、受け入れるまでには至らず、聞こえないフリをした。だが、葵の言葉は確実にサラの隙間を埋めていく。
「おとはんは、サラと一緒に働くのんが嫌やったわけやないんやと思うで。勿論、パティシエールに反対やったわけでもない」
「そんなこと」 サラは言い掛けて飲み込む。
「同年代の子とは全く違った生き方をしてるんを見て、つらいっちゅうか、不安やったんやと思うで」
「だとしたら、遠回りをしてしまったのね」
「どうやろか? 『すべての道はローマに通ず』言うやんけ」
葵は未来を見定めるように通りの向こう眺めていた。
「Tous les chemins menent a Rome.」
(すべての道はローマに通ず)
「さすがオートクトンは違うわぁ」
「ローマ、イタリア、ナポリタン。何て安直」
目の前でたっぷりのトマトソースが絡んだスパゲッティをつまむ葵をみて、サラは遠慮のないため息を吐いた。
商店街にあるパスタ&ランチに入り、葵は遅い昼食としてスパゲッティ・ナポリタンを、サラは文句を言いながらもキッチリとフルーツパフェを注文している。
「ナポリタンやあらへん、イタリアンや」
葵は箸を止めて訂正する。
一部関西ではナポリタンをイタリアンと呼び、葵はスパゲッティを箸で行く派である。
「でも、また驚いちゃった」
「ん? 箸で食べるんは失礼やったかいな?」
「違うわ、葵がフランス語を知ってるってことよ」
「さっきの“コトワザ”やったら、誰でも知ってるで?」
「それも違う。“native”じゃなくて“autochtone”って」
「あーー」
「六十番」 サラがぽつりと呟く。
「それは分からへん」
「嘘ばっかり。教えて、どうして教養のない素振りをするの?」
「ウチはおバカさんやで?」
「教えてくれないとパフェを追加するわよ?」
既にサラはパフェを完食している。
「そら敵わへん」
葵はからっぽになったパフェの容器を指で弾いた。チン、と鳴ったその瞬間、サラの耳から店内の雑踏が遠のく。
「オン・ザ・シュークリーム」
葵は大口を開けて、ズル、とスパゲッティを詰め込んだ。
店内の雑踏がサラの耳に戻る。
その後、しばらく考え込んでいたサラは、「あっ」と声を漏らして葵を見た。
シュークリームは、中身が入っていない状態で膨らむように焼き上げ、そのあとにクリームを注入する。上下に切って、挟み込む手法もあるが、シュー生地の内側はどちらも“からっぽ”だ。
からっぽであることによって、豊富なバリエーションが生まれ、多彩な味わいを楽しめる。
英語の『on (the) 〜』には、『〜の上』という意味だけではなく、『〜の状態にする』という意味もある。
補足として、サラが口にした『六十番』とは、『交響曲六十番(ハイドン)―愚か者―』のことである。
―― 頭“からっぽ”やったら、ぎょーさん詰め込めるやんか
葵と視線を合わせたサラの目に、そんな葵の言葉が届いた。
「フランスには『待つことを知る者には、万事が適当なときに訪れる』という“コトワザ”があるの。私は待つということを知らなかったから、上手く行かなくなってしまったのね」
葵は何も答えない。それは答える必要がないからだ。サラは自分に言い聞かせているだけであり、それが分からない葵ではない。
「一つの思考に固執せず、頭の中をからっぽにしてその都度詰め替えることが出来れば…… シューのように? いま私が持っているものは、誰でも得ることが出来る紙上の知識だけ……」
いつまでも続くサラの言葉を。葵はにこやかに聞いている。
「他の誰も持っていない、“自分だけの経験”を得ること。アオイが言ってた『何もしないことが修行』というのは、そういうことなの?」
「さぁて、どうやろな?」
葵は、にっと白い歯を見せて笑った。
それはそれは嬉しそうに。
― Dish on the Chou-Cream 了 ―
サラ・ダブーラ[SARAH DABULLA]
アルバニア人の父と、フランス人の母を持つ。フランスの最南東、地中海とイタリアに面するプロヴァンス地方で生まれ、幼少期をマルセイユで過ごす。
六歳になると同時に、マルセイユ大学で助教授をしていた母親が単身日本へと渡る。夫婦間では了承済み。父子家庭となったことが原因で重度のファザコンが発症。
七歳になり、父娘二人だけの店を開くという夢を持つ。
父は嬉しい反面、娘のファザコンを危惧し、大学卒業後という条件を提示して時間を稼ぐ。その間に別の夢を見つけてくれることを期待してのことだった。別の夢とは、恋愛感情に置き換えても良い。
九歳になり、コレージュ(中学校)を飛び級で卒業。
十歳、日本の高校にあたるリセを卒業。
十三歳、大学卒業に必要な単位取得の目途が立った頃、パティシエールになることに反対される。逆上したサラは、父娘二人だけの店を開くという目的と、実現のためにパティシエールになるという手段が入れ替わり、母のいる日本で修行するために渡日を決意する。日本語習得のためだけに、故意的に一単位落とす。
半年後、日本語を習得し、卒業に必要な単位を取得。
十四歳、エックス・マルセイユ大学卒業と同時に日本へ渡る。
尚、ダブーラ夫妻の夫婦関係はすこぶる良好である。
「ウチは思うねやけどな」
葵はそう前置きして話し出した。
二人は長池公園を離れ、商店街を駅方面へと歩いている。
「なぁんにもせえへんことが修行になる場合もあるんや」
「それは嘘ね。そんなことあるわけないもの」
サラは葵の言葉を笑い飛ばす。
「技術や感性を磨くんだけが、修行やないねん」
正体不明の重みを宿した葵の二の句。
サラはそれを感じ取りながらも、受け入れるまでには至らず、聞こえないフリをした。だが、葵の言葉は確実にサラの隙間を埋めていく。
「おとはんは、サラと一緒に働くのんが嫌やったわけやないんやと思うで。勿論、パティシエールに反対やったわけでもない」
「そんなこと」 サラは言い掛けて飲み込む。
「同年代の子とは全く違った生き方をしてるんを見て、つらいっちゅうか、不安やったんやと思うで」
「だとしたら、遠回りをしてしまったのね」
「どうやろか? 『すべての道はローマに通ず』言うやんけ」
葵は未来を見定めるように通りの向こう眺めていた。
「Tous les chemins menent a Rome.」
(すべての道はローマに通ず)
「さすがオートクトンは違うわぁ」
「ローマ、イタリア、ナポリタン。何て安直」
目の前でたっぷりのトマトソースが絡んだスパゲッティをつまむ葵をみて、サラは遠慮のないため息を吐いた。
商店街にあるパスタ&ランチに入り、葵は遅い昼食としてスパゲッティ・ナポリタンを、サラは文句を言いながらもキッチリとフルーツパフェを注文している。
「ナポリタンやあらへん、イタリアンや」
葵は箸を止めて訂正する。
一部関西ではナポリタンをイタリアンと呼び、葵はスパゲッティを箸で行く派である。
「でも、また驚いちゃった」
「ん? 箸で食べるんは失礼やったかいな?」
「違うわ、葵がフランス語を知ってるってことよ」
「さっきの“コトワザ”やったら、誰でも知ってるで?」
「それも違う。“native”じゃなくて“autochtone”って」
「あーー」
「六十番」 サラがぽつりと呟く。
「それは分からへん」
「嘘ばっかり。教えて、どうして教養のない素振りをするの?」
「ウチはおバカさんやで?」
「教えてくれないとパフェを追加するわよ?」
既にサラはパフェを完食している。
「そら敵わへん」
葵はからっぽになったパフェの容器を指で弾いた。チン、と鳴ったその瞬間、サラの耳から店内の雑踏が遠のく。
「オン・ザ・シュークリーム」
葵は大口を開けて、ズル、とスパゲッティを詰め込んだ。
店内の雑踏がサラの耳に戻る。
その後、しばらく考え込んでいたサラは、「あっ」と声を漏らして葵を見た。
シュークリームは、中身が入っていない状態で膨らむように焼き上げ、そのあとにクリームを注入する。上下に切って、挟み込む手法もあるが、シュー生地の内側はどちらも“からっぽ”だ。
からっぽであることによって、豊富なバリエーションが生まれ、多彩な味わいを楽しめる。
英語の『on (the) 〜』には、『〜の上』という意味だけではなく、『〜の状態にする』という意味もある。
補足として、サラが口にした『六十番』とは、『交響曲六十番(ハイドン)―愚か者―』のことである。
―― 頭“からっぽ”やったら、ぎょーさん詰め込めるやんか
葵と視線を合わせたサラの目に、そんな葵の言葉が届いた。
「フランスには『待つことを知る者には、万事が適当なときに訪れる』という“コトワザ”があるの。私は待つということを知らなかったから、上手く行かなくなってしまったのね」
葵は何も答えない。それは答える必要がないからだ。サラは自分に言い聞かせているだけであり、それが分からない葵ではない。
「一つの思考に固執せず、頭の中をからっぽにしてその都度詰め替えることが出来れば…… シューのように? いま私が持っているものは、誰でも得ることが出来る紙上の知識だけ……」
いつまでも続くサラの言葉を。葵はにこやかに聞いている。
「他の誰も持っていない、“自分だけの経験”を得ること。アオイが言ってた『何もしないことが修行』というのは、そういうことなの?」
「さぁて、どうやろな?」
葵は、にっと白い歯を見せて笑った。
それはそれは嬉しそうに。
― Dish on the Chou-Cream 了 ―
作品名:拝み屋 葵 【弐】 ― 余暇見聞録 ― 作家名:村崎右近