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拝み屋 葵 【弐】 ― 余暇見聞録 ―

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(一)Dish on the Chou-cream


 休日の商店街を疾走する影が一つ。
 長引く不況によりシャッター商店街が増え続ける情勢にありながら、歩行者天国であるアーケード街は『そんなことは知らない』とばかりにごった返していた。
 駅を中心とした半径二百メートルにも及ぶ商店街は、週末ともなれば通りに敷き詰められた色煉瓦を目にすることが叶わなくなるほどの買い物客が集まる。
 そんな混雑の中、疾走する影は決して速度を緩めることなく、また、誰とも接触することなく移動を続ける。ブーツが煉瓦を蹴る際に発する足音には、総じてスタッカートが効いている。

 疾走すること百メートル。
 一軒の店の前に到達した影は、弾む息もそのままに自動ドアの開閉スイッチを押し、それが完全に開く前に身体を捻じ込む。
 影は、外気より幾分低く保たれていた室温を若干上昇させた。


「数量限定“玉露シュー”! 買いに来たで!!」



 氏名 三宮 葵
 年齢 二十三歳
 性別 女
 職業 拝み屋

 彼女は現代に生きる陰陽師。
 祈祷祭祀なんでもござれ。オカルティックな依頼があれば、日本全国津津浦浦どこであろうと訪問するのが彼女の流儀だ。正確には彼女の師匠の流儀であり、彼女はそれに従うだけだ。

 今回彼女の師匠が持って来た仕事は、ない。
 従って、葵はのんびりとした休日を過ごしていたのだが、何とはなしに捲った手帳によって、期間限定販売“玉露シュー”の最終販売日であることを知り、慌てて飛び出したのだ。

 シュークリーム[chou-cream]
 発祥はフランスであり、『choux a la creme』(シュ・ア・ラ・クレムまたはクレーム)という名前が正式名称である。
 十六世紀頃、フランスに嫁いだイタリアのお偉いさんが連れていた料理人が作ったものが原型とされている。
 その当時はお菓子ではなく料理だったが、徐々にクリームなどの甘い物を使用するようになり、現在へと続いている。
 英語圏でシュークリーム[chou-cream]を注文すると靴墨[shoe-cream]が出てくるという笑い話があるが、靴墨は[shoe polish]または[boot polish]である。
 シュークリームは、英語でクリームパフ[cream puff]という。

 全く以ってどうでもいい話。

 *  *  *

「あら、葵ちゃん。遅かったやないの」
「気付くの遅かってん。せやから気付いてすぐ電車に乗って飛んで来たんや」
「電車じゃ空飛べへんやろー」
 ぴし、と裏手によるツッコミが入る。
「オバちゃん、玉露シューや! 玉露シュー!!」
「それが、たったいま売り切れてもうたんよ」
「な、なんやてーー!!」
 葵の背後で落雷が起こる。
「もう材料も残ってへんから、作ってあげられへんわー」
「アカン、ウチ泣きそうや」
「葵ちゃんの悲しい顔を見てまうと、オバちゃんも泣きそうになるわー あっはっはっ」
「笑とるやんけっ」
 ぴし、と裏手によるツッコミが入る。
「またきたってなー」

 大阪府大阪市阿倍野区。西田辺駅を中心として広がる商店街。
 葵が息を切らせて駆け込んだ洋菓子店は、その一画にあるこじんまりとした小さな店だ。
 東に少し進めば世界有数の家電メーカーであるシャープの本社があり、その隣には長池という大きな池がある。
 限定販売の玉露シューを買いそびれてしまった葵は、その池の畔にある小さな公園で哀愁を背負っていた。

「るーるーやで」
 子供用の遊具の上で膝を抱いて座っている葵は、長池の水面に映る流れ行く雲を眺めていた。
「ちょっと、そこの人」
「そこの人やあらへん、葵や」
 唐突に背後から声を掛けられても、葵は微塵も動じない。振り向くどころか、視線さえも動かしていない。
「じゃあ、アオイ」
 声は十代前半の少女のものだったが、大人びた、というよりはむしろ、大人ぶって背伸びした口調だった。
「話しをするときは、顔を見るのが礼儀なのではなくて?」
「ウチ、いま忙しいねん」
「何かしているようには見えないけど?」
「ほんで、ウチに何の用ですやろ?」
「これをあげようと思って」
 少女が手を差し出す気配を感じて、葵は初めて少女を振り返った。
 染めたのではない長い金色の髪、透き通るようなブルーの瞳、そして目元にはそばかす。
「な、なんやてー!?」
 葵は驚きの声を上げる。
 葵が驚いたのは少女の容姿などではない。
 少女はその手に葵が買えなかった“玉露シュー”が包まれた袋を握っていたのだ。
「これ、食べたかったのでしょう?」
 少女は、背伸びをした口調とは違った、歳相応のあどけない笑顔を見せた。

 *  *  *

「おー、ふわふわやなー。しっかりとした玉露の甘味とコクがあって、鼻腔に抜ける香りがたまらへんわ」
 恍惚とする葵を、少女はまじまじと観察していた。
「ん? もしかして一個まるまる食うたらアカンやった?」
「いいえ、私はもう食べたから」
 少女の顔からは、先程のあどけない笑顔は消えている。
「何処のどなたかは存じまへんけど、見ず知らずのウチに過分な施しを与えてくれはってホンマにありがとさんですわ」
 葵は顔の前で両手を合わせて、礼の言葉を並べた。
「サラよ」
「さら?」
「私の名前よ。サラ・ダブーラ」
「サラダアブラ?」
「何か引っ掛るものを感じるけど、そうよ」
「ウチは……」
「もう聞いたわ、アオイ。それよりこのシュー、本当に美味しかったの?」
 サラは玉露シューが入っていた袋を指差す。
「文句なし! やったで?」
 葵は、びっと親指を立てて片目をつぶる。
「これを美味しい思う日本人の味覚が理解できないわ」
 ふぅん、と一瞬考え込んだ葵は、遊具から降りてサラの正面に立ち、じっと瞳を覗き込んだ。
「な、何よ?」
「そらーなぁ、本場フランスのんと比べたら、別モンかも知れへんやろけどなー」
「そーよ、フランスにいた頃はもっと……私がフランスにいたって何で知ってるの?」
 きょとんとするサラに、葵は腕組みをしてニヤリと笑い返す。
「教えたってもえぇけど、ウチの質問にも答えてくれはる?」
「いいわ。先に答えてあげる」
 サラは表情をほんの少し強張らせる。本人が気付かない負けず嫌いの特徴だ。
「なしてウチが玉露シューを買いそびれたんを知ってはったのかーちゅうのんと、なしてウチに玉露シューをくれはったんかーいうことや」
「簡単よ、見てただけ」
「そらまた単純明快や」
「切符を失くして立ち往生していたほとんど日本語が話せない外国人と駅員との間に立ってやりとりしていたことや」
「あーー」
「駅の構内で親と逸れてしまった子供を連れて母親を探していたこととか」
「あーー」
「子供を見るなり叱り出したその母親を説教したりとか」
「まだあるんか」
「お婆さんが乗り遅れたバスを止めるために車道に……」
「……もーえぇやろ」
「私がシューを買って店を出たとき、残りは二つだったから、入れ替わりで入った客が買って行ったみたいね」
「そんで、その後やってきたウチが」
「この世の終わりみたいな顔して出てきたのも見てたわ」
 サラは、どうだ、と言わんばかりに胸を張り、フフン、という鼻息と共に勝ち誇った笑みを漏らした。