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雲は遠くて

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僕は、ニーチェ の言う 超人のように 生きたいと心から思いますから。
あっははは。

竹田 青嗣 さんと いえば、1990年には『 陽水 の 快楽 』という本を
書いています。『 おもしろい 内容の本を 書く 人だなぁ 』と
僕なんか思って、それ以来のファンなんです。
竹田さんは、一貫(いっかん)して、人生 や 芸術 や エロス、すなわち、
恋心 とか 性 とか 愛 とか 情熱 とかを 考え 続けていますよね。
今日では 日本を 代表するような 哲学者であり、早稲田の 名誉 教授 です 」

「 あの 本は、ミュージシャンの 井上 陽水(いのうえ ようすい)論ですよね。
私も その 文庫本を 持ってます。裏 表紙にある 竹田 さんの お写真は
サン グラスをしていて、バイクの ライダーのようで、
哲学者には 見えないでした ! 」

そう 言って、美有(みゆ)は 笑った。みんなも 陽気に 笑った。

「 えーと、竹田 青嗣(せいじ)さんは、『 新・哲学 入門 』の
311ページ で こんなこと 言っています。
『 ニーチェ と バタイユ、この 二人の 哲学者は、人間 存在の 本質を
《 生の エロス 》への 欲望として 洞察した はじめての 哲学者と
みなしてよい。ニーチェの 本質 洞察は 以下である。

芸術は、美や 恋愛が 人間にとってもつ 意味と 本質を 共有している。
さまざまな 生の 不遇(ふぐう)、酷薄(こくはく)、
軋礫(あつれき=不仲)、困苦(こんく)、
艱難(かんなん=苦労をすること)、悲惨、絶望、災厄(さいやく)
などにも かかわらず、生を 是認(ぜにん=よいとして認めること)、
肯定(こうてい=積極的に 意義を 認めること)し、
生の 享受(きょうじゅ)と 憧(あこが)れを
支(ささ)えるもの としての 芸術。』

この『 ニーチェの 本質 洞察 』は、竹田さんの『 陽水 の 快楽 』で
探究した 哲学 と 方向性 が みごとに 一致 している と 僕は 感じます。

さて、ちょっと お話しは 変わりますけど。
『 欲望 』とは、『 快感 』とは、同じような 意味でもあり、
密接な 関係が ありますよね。それで なんですけど。

経済 人類 学者 の 栗本 慎一郎(くりもと しんいちろう)さんは
『 パンツを 捨(す)てる サル 』という 本の16ページで、
『《 快感 》が 人を 支配する 』と 題して 次のように 言ってます。

『《 快感 》が 鍵(かぎ)である。快感 こそが、ヒトの 生きる 意欲や
形態上の 変化の もととなる エネルギー を 絞(しぼ)り 出せる 根拠だ。

はっきり 言おう。快感が セット されれば、ヒトは なんでも やって
のけるでは ないか。私は カンボジアの ポル・ポト政権 が 400万 とも
500万人 ともいわれる 大量 虐殺 を 行なったのは、政府 中枢 から
末端の 兵士までが、人を 殺すことの ある種の 快感に 導(みちび)かれた
結果ではないかと、と ある 根拠(こんきょ)に したがって 考えている。

思想や 理想や 正義などと いったものは、快感に 導かれて
行(おこな)った ヒトの 行動に 対して、学者が あとから
言葉による 説明を 与(あた)えたものに すぎない。

快感によって セット された 行動は、ヒト だけのものではない。
じつは、すべての 動 植物 が、おのおの の 快感の 方向に 向かって
生命 反応 をしながら 生きている。

快感は、すべての 生命の 生きる 意欲を 決定している。
快感ではなく、苦しみながら 生き抜くのが 好きだという人は、
苦しみを 快感に 変える マゾヒズム 的 な 人 なのだ。
でなければ、いつかは 快感に 到達 できると 空(むな)しく
もがく 哀(あわ)れな 人である。もし あなたが 後者なら、
すぐに 快感を 求める 方向を とりなさい。
与(あた)えられた 生命は 長くはない。』

次は この本の 210ページの 栗本さんの 言葉です。

『 生きる 意欲は どこから くるのか。
生きる 意欲は、生きること それ自体、または 生きることによって
可能になるが、生きている 個体に《 快感 》をもたらす ことによって
生み だされる。私たちは、腹が 減ったから 食物を 口にすると
考えがちだが、それは 単純にして まちがっている。
飢(う)えを 感じても、それが 何かを 食べることの 快感の 予感と
結合しなければ、ヒトは 食べ物に 向かわないのだ。
したがって、拒食症とは、かなり 深刻な 病(やまい)である。

異性が 好きであっても、セックスの 快感が 予感されなければ、
話をするだけに とどめておこうと するだろう。 あるいは、
逆に それに溺(おぼ)れることを恐れて、遠ざかることもある。
学問にせよ、スポーツにせよ、普通の生活にせよ、ヒトは、
快感の 導(みちび)くようにしか 活動しない。
となると、快感、充足感(じゅうそくかん)、
それらの 真 の 姿は、いったい 何なのだろう。
< 中略 >
私は《 パンツを はいた サル 》のなかで、もともと なくても
生きていけるものだが、それがないとヒトではなくなるものを、
まとめて《 パンツ 》と表現した。なくても いいものとは、
つまりムダであり、過剰(かじょう = 多すぎて あまること)である。
私たち ヒト の 行為は、95 % が むだである。95 % ?
せめて 60 % ぐらい だろう、という 人は 甘(あま)い。
< 中 略 >
どうしても 捨てなければならない パンツとは。

しかし、無駄(むだ)なことにも かかわらず、ヒトが そこに 猛然
(もうぜん)と 邁進(まいしん)するのは、その 方向に 突進すると
快感が 増大するように、ヒトの 脳が セット されているからだ。
何のかんのと言っても、ヒトは 自分が 嫌(きら)いなことは
たった ひとつでも やらないのである。
< 中 略 >
集団的 暴力 が 快感 として セット されている。これは 大きな パンツ
の なかでも、もっとも 怖(こわ)い ものの ひとつ である。
私たちは、何を 排(はい)してでも、この パンツ を
捨てねば ならぬのでは ないか。
< 中 略 >
要するに、人殺し でなくても、ほかの 快感なら いい のではないか、
というのが 新しい方向である。新しい 快感 を、快(こころよ)い 快感
にするか、それとも 集団 殺戮 にするかは、
まさしく ヒト 自身の 選択に かかっている。
< 中 略 >
21世紀は、人類が、すべてを 自分で 決めるか どうかという
岐路(きろ)に 立つ 世紀 になるだろう。
人類 である あなたは、ひょっとすると、はじめて 自分で
進化の 選択に 参加 できるように なるかも しれない。
< 中 略 >
いずれにしても、結局はあなたの問題なのである。
これで、私はまた、温泉に行くぞ。では。 』

と、これで、『 パンツを 捨(す)てる サル 』は、終わっています。
作品名:雲は遠くて 作家名:いっぺい