雪だるまの奇跡
「良太くん、知ってる? 雪だるまの奇跡のお話」
「知らない。奇跡ってどういうこと?」
「自分で作った雪だるまの頭のほうにねがいごとを書いた紙を入れるとそのねがいがかなうんだって」
「ほんとうに?」
「うん。それでね、天気予報を見たら今日の夜に雪が降るんだって!明日、積もってたら公園で一緒に雪だるまを作ってねがいごとを入れようよ!」
「うん! そうだね!」
「約束だよ!」
「うん!」
「じゃあ、またね!」
それぞれの家の方向が分かれる交差点で僕はけいこちゃんにお別れのあいさつをして、自分の家の方向に歩いて行った。
その時、後ろでドン!という大きな音が聞こえた。
振り返った自分の目に映ったのは信じられない、信じたくない光景だった。
「けいこちゃん! けいこちゃん! 僕、またあの公園で一緒に遊びたいよ。だから、頑張ってね!死なないでね!」
病院の廊下に八才の僕の悲痛な声が響く。人の生死なんてまだ完全に理解はできないが、いつも一緒に遊んでいた仲良しで大好きなけいこちゃんがいなくなってしまうかもしれない。それはものすごく悲しいことだというのはわかっていた。
二時間たっても、三時間たっても、手術中のライトは消えなかった。
「良太、今日は遅いからもう帰ろう。大丈夫。けいこちゃんはきっと大丈夫だよ」
父親の言葉と神様を信じてその日は家に帰った。
その夜、僕はなかなか寝付くことができなかった。もちろんけいこちゃんのことが心配だったからだ。
布団から出て、カーテンの隙間から見える外の景色を眺めて見る。その時、目に映ったその光景はとても幻想的なものだった。
大粒の雪がしんしんと降っていて、街灯の明かりが一粒一粒の雪を照らしている。暗い空から、身をひそめて落ちてきた雪の粒が明かりに照らされて、一瞬の間とても美しく輝き地面に落ちると溶けて消えてゆく。
寒くなってきたので布団の中に戻り、視線を窓の外に向けて、ただただ祈る。
”けいこちゃんが助かりますように……”
朝になった。夜に降っていた雪はまだ降り続いている。昨日と同じぐらい寒い日だった。
けいこちゃんのことを考えた。助かってほしい。辛い気持ちに耐えられなくなって涙が出てきてしまった。
「良太、けいこちゃんの所に行くぞ。泣き顔なんか見せたらけいこちゃんに笑われちゃうぞ!」
父親にそう促され、飛び起きて着替えをはじめた。
起きてすぐに父親と一緒にけいこちゃんのいる病院へと向かった。外に出ると地面には十センチぐらいの雪が積もっていた。つぼみが少し膨らみ始めた公園の桜の木の枝にも雪が乗っかっている。桜の木全体が雪の重みに耐えて、必死に頑張っているように見えた。
病院に着いて、父親が受付で尋ねると、けいこちゃんは意識が戻らず、集中治療室で危険な状態が続いてるということだった。
でも事故の内容から考えると即死じゃなかったのが奇跡的なぐらいだったらしい。
「良太、神様におねがいしよう。けいこちゃんが助かりますようにって」
「……神様じゃないよ」
「えっ?」
「おねがいするのは神様にじゃない!」
そう言うと、僕は病室を飛び出して、玄関へ向かって走っていった。
「あっ!そうだ。すいません、紙とペンを貸してもらえませんか?」
病院の受付で紙とペンを借りて、ズボンのポケットに押し込んで外に飛び出していった。
雪が積もって、重い地面を必死に走る。五分ほど全力疾走をしてスピードが鈍る。雪は相変わらず降り続いている。
ひと息ついて、またスピードをあげて走り出す。
「けいこちゃん。大丈夫。僕が雪だるまさんにお願いするから」
その時だった。目の前の景色が急激に変化した。視界に映った色は信号機の赤の色から曇り空のグレーの色になりそして真っ黒になった。
五分後、救急車のサイレンの音が微かに聞こえた気がした。
「良太! 良太! お母さんとお父さんだよ! わかる?」
「うん」
「よかった! 意識が戻った」
「僕、どうなっちゃったの?」
「公園の近くで車にはねられたんだ。赤信号なのに渡って行って。なんであんなことしたんだ?」
「けいこちゃん……。けいこちゃんは助かったの?」
「……」
「何で、何も言わないの?」
「良太、残念だけどけいこちゃんは亡くなったんだ……」
***
“今日は関東地方に北から寒気が入り込み、昼過ぎからは雪が降るでしょう”
ラジオの天気予報を聞きながら僕は公園のベンチに座っていた。ちらりと時計を見る。時計には三月二十七日、十二時二十五分と表示されている。
何かを期待するように待ち遠しそうに空を見上げる。今にも降り出しそうな曇り空。あの時もこんなどんよりとした空だった。
自分の黒いコートに直径一センチぐらいの白い点ができた。白い点の数はどんどん増えていき、公園の地面もだんだんとまだら模様になっていく。一時間もすると地面はうっすらと白くなった。
二時間経っても三時間経っても僕は公園のベンチから動こうとしなかった。雪はもう五センチぐらい積もっただろうか?
公園の桜の木の枝にも雪が積もりはじめ、徐々に枝がしなだれていく。
やっと、この日に雪だるまを作ることが出来る。あの時に実行できなかった雪だるまへの願い事。
けいこちゃんはもういないが、あの時の約束を今日、この日に実行する。それがけいこちゃんへの供養にもなる。そう思った。
コートのポケットから小さな紙切れとペンを取り出す。
「何て書こうか……」
小さな声の独り言は降りしきる雪にすぐに飲み込まれた。その時、携帯電話が鳴った。
「あなた! 凛が……凛が交通事故で病院に。重傷なのよ……。命も危ないって」
「えっ! 凛が! わかったすぐにそっちに向かう」
病院の廊下には長椅子に座って憔悴しきった妻の姿があった。
「凛は? 凛はどうなんだ!」
集中治療室の前で夫の問いかけに答えることができない妻の様子が全てを物語っていた。
少しして、妻がつぶやいた。
「明日には雪が積もってそうだから、公園で友達と雪だるまを作るんだって楽しみにしていたのに……」
なんていうことだ。あの時のけいこちゃんの時と同じ状況じゃないか。しかも、今日という日に今度は自分の娘がこんなことになるなんて。人生はなんて皮肉なんだ。
僕の脳裏に二十七年前のあの時の出来事がふたたびよみがえってきた。
「雪だるま……」
そうつぶやくと、あの時と同じように僕は病院の玄関に向かって走り出した。
「あなた!どこに行くの!?」
雪が積もって重い地面を必死に走る。大人になった今では、子供のころのあの時より当然速く走ることができる。
この信号を渡れば公園だ。二十七年前、車にはねられてたどり着けなかった。今度はあの時とは違う。
信号を渡って、公園に入る。公園の中央にはすでに身の丈一メートルぐらいの雪だるまが座っていた。にっこりと笑顔を浮かべているように見えた。
雪だるまに近づくと、頭の後ろの部分に筒状の穴が開いていた。ここに何か入れてくださいと言っているようだった。
「知らない。奇跡ってどういうこと?」
「自分で作った雪だるまの頭のほうにねがいごとを書いた紙を入れるとそのねがいがかなうんだって」
「ほんとうに?」
「うん。それでね、天気予報を見たら今日の夜に雪が降るんだって!明日、積もってたら公園で一緒に雪だるまを作ってねがいごとを入れようよ!」
「うん! そうだね!」
「約束だよ!」
「うん!」
「じゃあ、またね!」
それぞれの家の方向が分かれる交差点で僕はけいこちゃんにお別れのあいさつをして、自分の家の方向に歩いて行った。
その時、後ろでドン!という大きな音が聞こえた。
振り返った自分の目に映ったのは信じられない、信じたくない光景だった。
「けいこちゃん! けいこちゃん! 僕、またあの公園で一緒に遊びたいよ。だから、頑張ってね!死なないでね!」
病院の廊下に八才の僕の悲痛な声が響く。人の生死なんてまだ完全に理解はできないが、いつも一緒に遊んでいた仲良しで大好きなけいこちゃんがいなくなってしまうかもしれない。それはものすごく悲しいことだというのはわかっていた。
二時間たっても、三時間たっても、手術中のライトは消えなかった。
「良太、今日は遅いからもう帰ろう。大丈夫。けいこちゃんはきっと大丈夫だよ」
父親の言葉と神様を信じてその日は家に帰った。
その夜、僕はなかなか寝付くことができなかった。もちろんけいこちゃんのことが心配だったからだ。
布団から出て、カーテンの隙間から見える外の景色を眺めて見る。その時、目に映ったその光景はとても幻想的なものだった。
大粒の雪がしんしんと降っていて、街灯の明かりが一粒一粒の雪を照らしている。暗い空から、身をひそめて落ちてきた雪の粒が明かりに照らされて、一瞬の間とても美しく輝き地面に落ちると溶けて消えてゆく。
寒くなってきたので布団の中に戻り、視線を窓の外に向けて、ただただ祈る。
”けいこちゃんが助かりますように……”
朝になった。夜に降っていた雪はまだ降り続いている。昨日と同じぐらい寒い日だった。
けいこちゃんのことを考えた。助かってほしい。辛い気持ちに耐えられなくなって涙が出てきてしまった。
「良太、けいこちゃんの所に行くぞ。泣き顔なんか見せたらけいこちゃんに笑われちゃうぞ!」
父親にそう促され、飛び起きて着替えをはじめた。
起きてすぐに父親と一緒にけいこちゃんのいる病院へと向かった。外に出ると地面には十センチぐらいの雪が積もっていた。つぼみが少し膨らみ始めた公園の桜の木の枝にも雪が乗っかっている。桜の木全体が雪の重みに耐えて、必死に頑張っているように見えた。
病院に着いて、父親が受付で尋ねると、けいこちゃんは意識が戻らず、集中治療室で危険な状態が続いてるということだった。
でも事故の内容から考えると即死じゃなかったのが奇跡的なぐらいだったらしい。
「良太、神様におねがいしよう。けいこちゃんが助かりますようにって」
「……神様じゃないよ」
「えっ?」
「おねがいするのは神様にじゃない!」
そう言うと、僕は病室を飛び出して、玄関へ向かって走っていった。
「あっ!そうだ。すいません、紙とペンを貸してもらえませんか?」
病院の受付で紙とペンを借りて、ズボンのポケットに押し込んで外に飛び出していった。
雪が積もって、重い地面を必死に走る。五分ほど全力疾走をしてスピードが鈍る。雪は相変わらず降り続いている。
ひと息ついて、またスピードをあげて走り出す。
「けいこちゃん。大丈夫。僕が雪だるまさんにお願いするから」
その時だった。目の前の景色が急激に変化した。視界に映った色は信号機の赤の色から曇り空のグレーの色になりそして真っ黒になった。
五分後、救急車のサイレンの音が微かに聞こえた気がした。
「良太! 良太! お母さんとお父さんだよ! わかる?」
「うん」
「よかった! 意識が戻った」
「僕、どうなっちゃったの?」
「公園の近くで車にはねられたんだ。赤信号なのに渡って行って。なんであんなことしたんだ?」
「けいこちゃん……。けいこちゃんは助かったの?」
「……」
「何で、何も言わないの?」
「良太、残念だけどけいこちゃんは亡くなったんだ……」
***
“今日は関東地方に北から寒気が入り込み、昼過ぎからは雪が降るでしょう”
ラジオの天気予報を聞きながら僕は公園のベンチに座っていた。ちらりと時計を見る。時計には三月二十七日、十二時二十五分と表示されている。
何かを期待するように待ち遠しそうに空を見上げる。今にも降り出しそうな曇り空。あの時もこんなどんよりとした空だった。
自分の黒いコートに直径一センチぐらいの白い点ができた。白い点の数はどんどん増えていき、公園の地面もだんだんとまだら模様になっていく。一時間もすると地面はうっすらと白くなった。
二時間経っても三時間経っても僕は公園のベンチから動こうとしなかった。雪はもう五センチぐらい積もっただろうか?
公園の桜の木の枝にも雪が積もりはじめ、徐々に枝がしなだれていく。
やっと、この日に雪だるまを作ることが出来る。あの時に実行できなかった雪だるまへの願い事。
けいこちゃんはもういないが、あの時の約束を今日、この日に実行する。それがけいこちゃんへの供養にもなる。そう思った。
コートのポケットから小さな紙切れとペンを取り出す。
「何て書こうか……」
小さな声の独り言は降りしきる雪にすぐに飲み込まれた。その時、携帯電話が鳴った。
「あなた! 凛が……凛が交通事故で病院に。重傷なのよ……。命も危ないって」
「えっ! 凛が! わかったすぐにそっちに向かう」
病院の廊下には長椅子に座って憔悴しきった妻の姿があった。
「凛は? 凛はどうなんだ!」
集中治療室の前で夫の問いかけに答えることができない妻の様子が全てを物語っていた。
少しして、妻がつぶやいた。
「明日には雪が積もってそうだから、公園で友達と雪だるまを作るんだって楽しみにしていたのに……」
なんていうことだ。あの時のけいこちゃんの時と同じ状況じゃないか。しかも、今日という日に今度は自分の娘がこんなことになるなんて。人生はなんて皮肉なんだ。
僕の脳裏に二十七年前のあの時の出来事がふたたびよみがえってきた。
「雪だるま……」
そうつぶやくと、あの時と同じように僕は病院の玄関に向かって走り出した。
「あなた!どこに行くの!?」
雪が積もって重い地面を必死に走る。大人になった今では、子供のころのあの時より当然速く走ることができる。
この信号を渡れば公園だ。二十七年前、車にはねられてたどり着けなかった。今度はあの時とは違う。
信号を渡って、公園に入る。公園の中央にはすでに身の丈一メートルぐらいの雪だるまが座っていた。にっこりと笑顔を浮かべているように見えた。
雪だるまに近づくと、頭の後ろの部分に筒状の穴が開いていた。ここに何か入れてくださいと言っているようだった。