狂い咲き乙女ロード ラストダンス
トンチキと思わず絶叫しそうになったが、目の前にちょこんと座った千秋の愛くるしい様子に喉まで出掛かった言葉が引っ込んだ。
「な、何してくれたのでしょうか…」何故か丁寧語になってしまった。
「えへへー。久々に会えて嬉しかったのだ!(そして満面の笑み)」
なんだこの可愛さ。反則じゃないか。こんな究極最強天上天下唯我独尊の推定美少女なんて見たこと無い。思わず千秋の姿に見とれていると、
「だー」
再び抱きついてきた。今度は抵抗せず、僕も千秋の背中に手を回す。髪からはよい香りがした。華奢な身体つきは相変わらずだった。
「にゅふふー、ボクねー、武君にずっと会いたかったんだよ?」
頬擦りしながら幸せそうに言う千秋。その気持ちは嬉しいんだけどね、なんというかさ、そろそろ皆様が登校してくる時間なわけで。この有様を目撃された場合、朝っぱらから不純異性交遊に励んでいるとも思われかねない。
「あのー、千秋さん?」
「なーに?」耳元に息を吹きかけるな。
辺りを見回すと既に若干の人々が集まり始めていた。僕らを見ては何事かを囁きあっている。
「駄目やった」
「へ?」
「いや、なんでもないよ。そろそろ教室に入ろう。ホームルームが始まるだろうからさ」
「うん!」
そうして僕らは立ち上がった。転がっていた鞄を拾い上げることも忘れずに。仲良く手を取り合うのも忘れずに。出来れば後者は忘れたかった。
ホームルームが終わって教師が去ると、当然のごとく僕らは質問責めにあった。というか担任が千秋のことを完全スルーだったのが不思議だ。「お、佐藤来てるのか」の一言で済ますのは如何なものだろう。そして雲霞の如く襲来したクラスメイトたちも各々の疑問を僕らにぶつけてきたが、一波乱の末、誰も彼も最終的には「かわいいので何でもよし」という結論に行き着いて去っていった。このクラスちょっとおかしくないか? きがくるっとる。
しかし一体千秋に何が起こったのだろう。
確かに僕は千秋を壊したはずだった。
だが、こんな風に変な方向に弾けてしまうということはなかったはずだ。少なくとも僕が知っていた佐藤千秋という人間は確かに男だった。あくまで男性としてのアイデンティティーを保持していた。女の子のような顔立ちや体躯をしてはいても、何処かそういった自分の女らしい要素を否定したがっていたはずだ。
僕のしでかした行為は、確かに千秋の男としての自尊心を傷つけるものである。しかし、だからといって男としてのアイデンティティーを捨て、より女の子に近づこうとするだろうか? そこがどうにも理解できない。あの日以来千秋は学校に来てはいなかった。よって、ミニコミ部薔薇派の連中と接触したという可能性は低い。彼女たちでも僕でもない第三者による入れ知恵か? しかしその線になるとさすがに千秋の交友関係を完全に把握しているわけでもないしな…うむ、特定は難しくなる、か。
だが、それよりまず考えなきゃいけないのは――そう、クラスでの僕の扱いについてである。クラスメイトからの質問に対して千秋がいらんことをベラベラ喋くりやがったため、ガチホモ騒動以来落ち着いていた僕の立場が再び危うくなった。女子たちは興味津々といった様子であれやこれやと質問を浴びせたのだが、千秋は誇らしげかつ嬉しそうに(おまけに僕と腕を組みながら)答えていた。しかしとある男子の一言で千秋が豹変した。
「まさか佐藤がオカマになってくるとはなー」
発した男子も、僕らを取り巻いていた女子たちも、そして僕にとっても何気ない一言だったはずだ。誰もが聞き流す、それがあの場での共通認識だった。しかし千秋は違った。
「今何て言った」
絡めていた腕を解き、黒板の前辺りにいた男子生徒を見据えるその視線は修羅そのものだった。そしておもむろに手近にあった椅子を――
「バカ! やめ」
自分の止める声が虚しく響く。
あの千秋が、細い腕で椅子を投げつけたのだ。ぶん投げられた椅子は男子生徒の顔をかすめ、黒板にぶち当たって床に落ちる。一瞬で教室中が静まり返った。さらに駄目押しにと言わんばかりに、
「ボクは可愛いとか綺麗って言われるのは好きだけどさ、オカマって言われるのは大ッッッ嫌いなんだよ」
氷よりも冷たい声でそう言い放ったのだった。
その場に居合わせた一同、どうしてよいかわからず、結局前述した通りの結論に至って散会した。
どうしたもんかね、と僕は自虐的に呟いて席に着いた。
それからは特に問題は発生せず、淡々と時間が過ぎていった。教師たちは揃いも揃って千秋の変化を完全スルーしていたのが気にかかる。まぁこの学校なら不思議でないことなのかも知れないけど。だとしたら…困りはしない、か。ああもう、嫌だ。僕だってまだ懸念事項を抱えているってのに。
そして迎えた昼休み。四時限目終了のチャイムが鳴るや否や、僕は教室から飛び出した。一人になって思索を巡らす必要を感じたからである。あと千秋の手作り弁当を回避するというのもある。教室を出てすぐの位置にある渡り廊下を駆け抜けて文化棟に向かう。この時間であれば一般棟よりかは人が少ないはずだ。空き教室でもトイレでもいい。そうだ、文化棟は確か屋上に入れたはず。確かミニコミ部の連中だけは密かに出入りしているという話を前に森さんから聞いたのを思い出した。
よし、屋上だ。
目指すべき場所が定まったからか、自然と足が速まる。階段を駆け上がり一目散に屋上を目指す。不思議と息は切れなかった。最後の一段を上がった瞬間、目に飛び込んできた光景に、思わず絶句した。古びた扉には南京錠がぶら下がっていたのだ。その場に膝をついて虚脱しかけた。ようやく痺れ出した足を引きずってドアに歩み寄る。南京錠はまだ新しいものなのか、手にとってみると僅かに光沢を残していた。これでは駄目か。そう観念しかけた時、後ろから声をかける者がいた。
「開きませんわよ」
「!!!」
驚いて振り返ると、いつの間にか髪の長い少女が壁にもたれながら僕を見ていた。
「壊すのは無理でしょうね。開きたくば――」
スカートのポケットから取り出した鍵を投げてよこした。
「それをお使いなさい」
受け取った鍵を錠に差し込み回すと、カチリと音を立てて外れた。扉を開くと日光と青空が覗いた。
「では、参りましょうか」
そう楽しげに少女は言うと、屋上へと足を踏み入れていった。僕もその後に続いた。この場所を訪れたのは今日が初めてだった。爽やかな昼の日光が差して気持ちがよかった。まぁそれはいいんだけども。快活になりきれないのは彼女のこと。すたすたと屋上の真ん中に向かったかと思えば日光浴を満喫し始めた。
「ここに来たのは久しぶりですわね」
そう言って僕のほうへと向き直った。腰の辺りにまでかかる長い髪が、吹く風によって僅かに靡く。
可憐だな、心の底からそう思う。前髪を右手でかき上げる仕草がここまで似合う女性は見たことがなかった。何とも言い尽くしがたい気品の良さが彼女にはあって、僅かな間ではあるが僕は彼女に見とれていた。すると歩み寄ってきた彼女がすっと右手を差し出してきた。
「鍵を、お返し頂けますか?」
「あ、えっと…ありがとう」
作品名:狂い咲き乙女ロード ラストダンス 作家名:黒子