仮想の壁上
第1章 200X.02.11
第1
今年還暦を迎えた派遣社員の室山藍子は、今日も仕事を終えたのち午後9時に賃借している共同住宅の一室に帰り着き、遅い夕食を一人で済ませ、片づけものをしたのちやっと布団に入ったところです。都会での生活は隣近所との付き合いが薄く、若いころは気兼ねがありませんでしたが、老境に差しかかった最近は終着点の見えないこのような生活に寂しさを感じるようになってしまいました。今日もなかなか寝付かれない中、寂しさに紛れてわが身の来し方行く末に思いをはせているうち、家族から遠く離れ一人で自活するようになったのちの自分の人生が走馬灯のようによみがえってきました。これは、しがない一派遣社員が空想を温めた一生の夢物語といえましょう。
第2
この国で出生した人間の両耳には、電波部品が埋め込まれているのではないでしょうか。そして、そのことをこの国で出生した人間の大半は知らずに一生を終えているのではないでしょうか。両耳の中にそのような異物を埋め込まれれば激痛に襲われるものですが、埋め込まれている本人が知らないくらいなので、出生後に痛覚が記憶に残る以前の相当早い時期に埋め込まれているのではないでしょうか。出生は両性の営みの結果ですが、原因となった両性がこの事実を知れば、目の中に入れても痛くないほどかわいいわが子に対する電波部品の埋め込み行為を黙認するはずがありません。従って、両耳の中に電波部品が埋め込まれるという行為は、出生後に親権者の保護を受けるようになる前にひそかに行われているのではないでしょうか。電波部品が両耳の中に埋め込まれるというような身体への侵襲行為は、この国では医師が医療行為として行う場合にのみ違法性が阻却されるのですが、電波部品を埋め込まれた本人及びその親権者が知らないということは、この行為が病気の治療を目的とする医療行為ではないということをものがたっているのではないでしょうか。
そもそも法治国家であれば、社会を維持するための最低限の規範は法律で定め、法律に規定されていないことは公共の福祉及び公序良俗に従うことになっているのが普通ではないでしょうか。電波部品を他人の両耳の中に埋め込む人間に対してその行為を正当化するための権利を与え、また、埋め込まれる人間に身体への傷害に耐える義務を課すには、法律の制定が絶対に必要なはずです。両耳の中に電波部品が埋め込まれるという行為は、法で規定したうえで国民に忍耐を要求するのであれば、基本的人権の保護を規定する基本法との不整合はあるでしょうが、法的には合法であるといえるでしょう。電波部品を埋め込まれている人間及びその親権者がどちらも埋め込まれていることを知らないということが、この行為が法的な根拠を欠き、人権を不当に侵害する違法な行為として行われていることをものがたっているのではないでしょうか。しかし、この場合埋め込まれている側のだれにも被害の認識がないので法律の根拠を規定しなくても実行行為に何ら支障はありませんが、大半の人間が知らないからと言って、他人の両耳の中に電波部品を埋め込む行為の違法性が阻却されるものではないのではないでしょうか。これはこの国においても合法性の根拠を欠く以上、明確に違法行為と判断されるべきではないでしょうか。
この国では身体の毀損は傷害罪成立の構成要件であると思うのですが、電波部品が両耳の中に埋め込まれていることを大半の人間が知らない以上傷害罪で告訴される可能性は普通考えられないのではないでしょうか。また、例え告訴する人が現れたとしても、傷害の事実の証明を診断書に頼らざるを得ないと思うのですが、大半の人が知らないことから分かるように見ることも感じることもできないため、被害を証明することが可能とはとても思えないのではないでしょうか。このように、告訴される可能性がほとんどないこと及び、例え告訴されたとしても本人だけで傷害の事実を証明することがほとんど不可能と思われることが、何世代にもわたって違法行為が繰り返されてきた理由ではないでしょうか。
この電波部品は、終戦後(この国でも第2次世界大戦の結果を敗戦と言わずに終戦と言っているようです。)すぐに生まれた団塊の世代にはしっかりと埋め込まれているのではないでしょうか。また、その前の世代にも同じく埋め込まれているのではないかと思うのです。一体いつの頃から埋め込まれているのか分かりませんが、そんなに古くさかのぼることはできないような気がするのです。というのは、この電波部品は両耳の中に埋め込むことができるほど小型で、しかもかなり高性能、かつ、精密なものなのでその製造にかなり高度な技術が必要と思われ、そのような技術を人間が手にすることができたのはそんなに昔ではないと思うからです。また、電波の発見自体そんなに古いことではないので、それ以後の時代に限られるのではないでしょうか。なぜ電波部品と言うのかというと、これは耳の中で機能を発揮するものですが、それが無線によって行われていることから類推できる唯一の結論だと思うからです。
第3
この国で出生した人間の両耳に電波部品が埋め込まれているとしたら、一体誰が埋め込んでいるのでしょうか。両耳の中といっても、激しい運動をしても落ちないように埋め込むためには、鼓膜の中でなければならないし、鼓膜を突き破ってということになればかなり強い痛みが発生するのではないでしょうか。しかし、鼓膜を突き破られた本人が埋め込まれていることに全く気付いていません。ということは、後遺症も痕跡も全く感じていないということになるわけです。もちろん一般人が見て確認できるところではありません。これほどの技術と機会を持っている人間ということになりますと、一つの職業に従事する人間しか思い浮かべることができないのではないでしょうか。出生後、電波部品を埋め込まれた際に生じる両耳の激痛が記憶に残るようになる前、しかも親権者の保護を受けるようになる前に排他的に対象と接触できる職業に従事する人間ではないでしょうか。大半の人間はその時に埋め込まれているのではないかと非常に強く推定できるのではないでしょうか。
第1
今年還暦を迎えた派遣社員の室山藍子は、今日も仕事を終えたのち午後9時に賃借している共同住宅の一室に帰り着き、遅い夕食を一人で済ませ、片づけものをしたのちやっと布団に入ったところです。都会での生活は隣近所との付き合いが薄く、若いころは気兼ねがありませんでしたが、老境に差しかかった最近は終着点の見えないこのような生活に寂しさを感じるようになってしまいました。今日もなかなか寝付かれない中、寂しさに紛れてわが身の来し方行く末に思いをはせているうち、家族から遠く離れ一人で自活するようになったのちの自分の人生が走馬灯のようによみがえってきました。これは、しがない一派遣社員が空想を温めた一生の夢物語といえましょう。
第2
この国で出生した人間の両耳には、電波部品が埋め込まれているのではないでしょうか。そして、そのことをこの国で出生した人間の大半は知らずに一生を終えているのではないでしょうか。両耳の中にそのような異物を埋め込まれれば激痛に襲われるものですが、埋め込まれている本人が知らないくらいなので、出生後に痛覚が記憶に残る以前の相当早い時期に埋め込まれているのではないでしょうか。出生は両性の営みの結果ですが、原因となった両性がこの事実を知れば、目の中に入れても痛くないほどかわいいわが子に対する電波部品の埋め込み行為を黙認するはずがありません。従って、両耳の中に電波部品が埋め込まれるという行為は、出生後に親権者の保護を受けるようになる前にひそかに行われているのではないでしょうか。電波部品が両耳の中に埋め込まれるというような身体への侵襲行為は、この国では医師が医療行為として行う場合にのみ違法性が阻却されるのですが、電波部品を埋め込まれた本人及びその親権者が知らないということは、この行為が病気の治療を目的とする医療行為ではないということをものがたっているのではないでしょうか。
そもそも法治国家であれば、社会を維持するための最低限の規範は法律で定め、法律に規定されていないことは公共の福祉及び公序良俗に従うことになっているのが普通ではないでしょうか。電波部品を他人の両耳の中に埋め込む人間に対してその行為を正当化するための権利を与え、また、埋め込まれる人間に身体への傷害に耐える義務を課すには、法律の制定が絶対に必要なはずです。両耳の中に電波部品が埋め込まれるという行為は、法で規定したうえで国民に忍耐を要求するのであれば、基本的人権の保護を規定する基本法との不整合はあるでしょうが、法的には合法であるといえるでしょう。電波部品を埋め込まれている人間及びその親権者がどちらも埋め込まれていることを知らないということが、この行為が法的な根拠を欠き、人権を不当に侵害する違法な行為として行われていることをものがたっているのではないでしょうか。しかし、この場合埋め込まれている側のだれにも被害の認識がないので法律の根拠を規定しなくても実行行為に何ら支障はありませんが、大半の人間が知らないからと言って、他人の両耳の中に電波部品を埋め込む行為の違法性が阻却されるものではないのではないでしょうか。これはこの国においても合法性の根拠を欠く以上、明確に違法行為と判断されるべきではないでしょうか。
この国では身体の毀損は傷害罪成立の構成要件であると思うのですが、電波部品が両耳の中に埋め込まれていることを大半の人間が知らない以上傷害罪で告訴される可能性は普通考えられないのではないでしょうか。また、例え告訴する人が現れたとしても、傷害の事実の証明を診断書に頼らざるを得ないと思うのですが、大半の人が知らないことから分かるように見ることも感じることもできないため、被害を証明することが可能とはとても思えないのではないでしょうか。このように、告訴される可能性がほとんどないこと及び、例え告訴されたとしても本人だけで傷害の事実を証明することがほとんど不可能と思われることが、何世代にもわたって違法行為が繰り返されてきた理由ではないでしょうか。
この電波部品は、終戦後(この国でも第2次世界大戦の結果を敗戦と言わずに終戦と言っているようです。)すぐに生まれた団塊の世代にはしっかりと埋め込まれているのではないでしょうか。また、その前の世代にも同じく埋め込まれているのではないかと思うのです。一体いつの頃から埋め込まれているのか分かりませんが、そんなに古くさかのぼることはできないような気がするのです。というのは、この電波部品は両耳の中に埋め込むことができるほど小型で、しかもかなり高性能、かつ、精密なものなのでその製造にかなり高度な技術が必要と思われ、そのような技術を人間が手にすることができたのはそんなに昔ではないと思うからです。また、電波の発見自体そんなに古いことではないので、それ以後の時代に限られるのではないでしょうか。なぜ電波部品と言うのかというと、これは耳の中で機能を発揮するものですが、それが無線によって行われていることから類推できる唯一の結論だと思うからです。
第3
この国で出生した人間の両耳に電波部品が埋め込まれているとしたら、一体誰が埋め込んでいるのでしょうか。両耳の中といっても、激しい運動をしても落ちないように埋め込むためには、鼓膜の中でなければならないし、鼓膜を突き破ってということになればかなり強い痛みが発生するのではないでしょうか。しかし、鼓膜を突き破られた本人が埋め込まれていることに全く気付いていません。ということは、後遺症も痕跡も全く感じていないということになるわけです。もちろん一般人が見て確認できるところではありません。これほどの技術と機会を持っている人間ということになりますと、一つの職業に従事する人間しか思い浮かべることができないのではないでしょうか。出生後、電波部品を埋め込まれた際に生じる両耳の激痛が記憶に残るようになる前、しかも親権者の保護を受けるようになる前に排他的に対象と接触できる職業に従事する人間ではないでしょうか。大半の人間はその時に埋め込まれているのではないかと非常に強く推定できるのではないでしょうか。