アルフ・ライラ・ワ・ライラ9
◇ ◇ ◇
足が軽い。心が踊っている。
浮き出す気持ちを抑えることができなかった。
だから、なのだろう。いつもならば近づいてくる人影を避けられたのに、ぶつかるその時まで気づくことができなかった。
ドンという衝撃とともに、イオは床に倒れた。
「っ!」
「どこを見て歩いておる」
見上げる先には恰幅のよい魔術師たち。おそらくはこの国の中枢で活躍する魔術師なのだろう。その服装やあふれ出る過剰な自信は、まるで歩く高位魔術師の見本だ。
「す、すいません」
床に散らばった書物をかき集め、イオは謝罪を述べる。書庫に戻ろうと、さっと立ち上がったが、けれどその行く先に男が立ちふさがった。
「あの?」
「見ない顔だが、どこから入った?確かに許可をとっているのだろうな」
厳しい口調で詰問する年かさの男に、隣の男が耳打ちする。
「ガーズィー殿、確かこの娘、アーレフ博士が預かっている魔術師見習いですよ」
「なに?アーレフ博士だと?」
「ええ」
「ふん、またあのじいさんか。大人しく埃にまみれておればよいものを」
明らかな蔑視の言葉に、イオは気色ばむ。
「なんだ、その顔は?何か気に障る言葉でも言ったかね?」
「・・・アーレフ老師はすばらしい方です。毎日根気強く、堅実に魔術を向き合っておられます」
「はっ、はははは!埃かぶった書物を読んだところで、実際に魔術を行わねば、いったい何の役に立つというのだ?もはやアーレフの出る幕などない。それを今になって弟子を取るなど。返り咲きを狙うというのか・・・気に入らんな」
「いやいや。おおかた、老い先短い老人の気まぐれでしょう」
「くはははは」
「っ!撤回してください!!」
「ほう、この『風』使い手・砂嵐(ハブーフ)のガーズィーに楯突こうとは、よほど自信があると見えるな」
「本当に。さぞかし、ご立派な魔術を使うのでしょう。おい、お前!何の魔法をもっておる?!『水』か?『大地』か?それとも、『雷』でわれわれを打ち据えてみるかね?」
「・・・『灯り』の魔女です」
「はっ?はっははは!!『灯り』だと?よくもまあそんなみすぼらしい魔法で、この王都の館へ足を踏み入れたものよ」
「まったく。身の程知らずな娘だ!」
「まあまあ、そう言わずとも。『灯り』の魔法も、あの耄碌したじいさんにはお似合いでしょう」
「そうだな。くっははは」
「ほほほ」
魔術師たちの言葉がイオに突き刺さる。悔しさにイオは唇をかみ、書物を抱えると駆けだした。
書庫へ戻ってきたイオの様子に、アーレフは目を丸くした。
「どうした、イオ?」
唇をかみしめ、泣くまい、とこらえる娘。その細い肩はかすかに震えていた。
「・・・老師。いえ、何もありません」
「ふふ、お前さんは嘘が下手じゃな。そんな顔をして、『何もない』など。いくら目を傷めたとはいえ、そこまで耄碌しておらんよ・・・本館の魔術師につらくされたか?」
「!」
びくりとイオの肩が揺れる。
「・・・いやな思いをさせて、すまんかったな。どうも、わしは世間にうとくてな」
「わたしは・・・貴方が悪く言われることが嫌なんです!!貴方はすばらしい老師だ!どんな困難なことでも、貴方の導きがあったから、私は希望を持てた!!それなのに・・・それなのに、私は何も言い返せなかった!!私が『灯り』の魔法じゃなかったら!もっと、もっと、強い、魔法の主だったら!!」
「イオ」
「っ!」
怒りと悔しさに身を震わせる、この幼い弟子にアーレフは目を細める。
―――――充分じゃ。
もともと人付き合いが苦手な性格だった。昔から自分の知識欲が赴くままに研究を続けた。それが、何をもたらすか、周りがどう思っていようかなど二の次だった。
この国最高の『知恵の館』で学ぶことが許され、よりいっそう書物に、魔術に、のめり込んだ。派閥にも属さず、ただ書物と向き合う日々。どこにも与することない立場。それがこの魔術師の世界にあって、いかに異様に写っているかなど、想像すらしなんだ。
その結果が、いつの間にやら権力争いに追い込まれ、この書庫で一人、過去と向き合う日々。
だが、それで満足していた。
自身の研究が後進に伝えられぬことを惜しくは思いながらも。
―――――だから。そんな自分がまさか弟子を持つなど、思いもよらなんだ。
さらには、弟子という存在が、こんなにも心をくすぐるものだとは。
アーレフにとって、彼ら魔術師の言うことは正しい。自分は書物に埋もれているだけで満足なのだ。どう蔑まれていようと、かまわない。
だが、それをこの愛しい弟子は「悔しい」と言う。
本当に、それだけで、十分なのだ。
「イオ、『魔法』とはな、さずかりものじゃよ。『火』の魔法じゃから強い、『風』じゃから偉いと、いったい誰が決めた?まったく、わかっとらんのう。『魔法』を人の考えで計るなど、なんと愚かな」
「でも!」
「お前さんが自分を卑下することは何一つない。お前さんは、まだ本当の力に気づいておらん」
いつになく、きっぱりと言い切る老師の言葉にイオは目を見開く。
「・・・本当の力?」
「そうじゃよ。お前さんが授かった魔法の意味を、お前さん自身を、信じてやりなさい」
「わたしの魔法を・・・自分を信じる・・・」
「そうじゃ。といっても、そう簡単にはできんかもしれんがな。若者よ。盛大に迷うといい。悩むといい。さて、今日はこれくらいにしようかの」
「アーレフ老師・・・」
「おやすみ、イオ」
その夜、寝台に横になったものの、魔術師たちの視線、老師の言葉、その一つ一つが渦をまき、イオの心をかき乱す。
「ふう」
寝付けないイオは、身を起こすと部屋から抜け出した。
ぶらぶらと小道を歩き、書庫の裏手、建物の影にひっそりと作られた、小さな泉のほとりに腰掛ける。
そして、イオが呪文を詠唱すると、彼女の言葉に応えて『灯り』が現れた。
ほのかな光に、イオは手元に目をおとす。
もうすっかり身に馴染んだ感覚。中指におさまった指輪を何とはなしに撫でていると、突然、背後から声がかけられた。
「まだ続けるのか」
ギョッと振り返ると、そこには闇に溶け込むようにして黒い男が立っていた。
「ジャハール!・・・驚かせないでよ」
イオの側に腰を下ろした魔神は、心底うんざりした表情だ。久しぶりに見るこの無愛想な魔神に、イオはなぜか胸がほっとした。
「久しぶりだね。どっか行ってたの?」
「オレのことはいい。もう充分、わかっただろう?ここに居ても、何も得るものはない。さっさとここを出ろ」
確かに、いくら最高峰の学舎とは言え、人の力には限りがある。
この魔神の知識、力があれば、イオたちが調べてきたことなど・・・・・いとも容易いことなのだろう。
けれど、それでも。
「そんなことない。・・・そんなことないよ。ねえ見て、ジャハール。ここに文字が刻んであるでしょう?」
手元の指輪をのぞき込む魔神に、イオは得意げに話を続ける。
『神の火は、 手に』
「あ?」
「摩耗してて、一部読めなかったけど、そう書いてあるんだよ。これはね、エルム語っていって、はじまりの言葉なんだって。わたしとアーレフ老師でね、解読したの。ね、ちゃんと成果はあるんだから」
この僅かな成果を調べるために、どれほどの苦労と犠牲を払ってきたのか。
足が軽い。心が踊っている。
浮き出す気持ちを抑えることができなかった。
だから、なのだろう。いつもならば近づいてくる人影を避けられたのに、ぶつかるその時まで気づくことができなかった。
ドンという衝撃とともに、イオは床に倒れた。
「っ!」
「どこを見て歩いておる」
見上げる先には恰幅のよい魔術師たち。おそらくはこの国の中枢で活躍する魔術師なのだろう。その服装やあふれ出る過剰な自信は、まるで歩く高位魔術師の見本だ。
「す、すいません」
床に散らばった書物をかき集め、イオは謝罪を述べる。書庫に戻ろうと、さっと立ち上がったが、けれどその行く先に男が立ちふさがった。
「あの?」
「見ない顔だが、どこから入った?確かに許可をとっているのだろうな」
厳しい口調で詰問する年かさの男に、隣の男が耳打ちする。
「ガーズィー殿、確かこの娘、アーレフ博士が預かっている魔術師見習いですよ」
「なに?アーレフ博士だと?」
「ええ」
「ふん、またあのじいさんか。大人しく埃にまみれておればよいものを」
明らかな蔑視の言葉に、イオは気色ばむ。
「なんだ、その顔は?何か気に障る言葉でも言ったかね?」
「・・・アーレフ老師はすばらしい方です。毎日根気強く、堅実に魔術を向き合っておられます」
「はっ、はははは!埃かぶった書物を読んだところで、実際に魔術を行わねば、いったい何の役に立つというのだ?もはやアーレフの出る幕などない。それを今になって弟子を取るなど。返り咲きを狙うというのか・・・気に入らんな」
「いやいや。おおかた、老い先短い老人の気まぐれでしょう」
「くはははは」
「っ!撤回してください!!」
「ほう、この『風』使い手・砂嵐(ハブーフ)のガーズィーに楯突こうとは、よほど自信があると見えるな」
「本当に。さぞかし、ご立派な魔術を使うのでしょう。おい、お前!何の魔法をもっておる?!『水』か?『大地』か?それとも、『雷』でわれわれを打ち据えてみるかね?」
「・・・『灯り』の魔女です」
「はっ?はっははは!!『灯り』だと?よくもまあそんなみすぼらしい魔法で、この王都の館へ足を踏み入れたものよ」
「まったく。身の程知らずな娘だ!」
「まあまあ、そう言わずとも。『灯り』の魔法も、あの耄碌したじいさんにはお似合いでしょう」
「そうだな。くっははは」
「ほほほ」
魔術師たちの言葉がイオに突き刺さる。悔しさにイオは唇をかみ、書物を抱えると駆けだした。
書庫へ戻ってきたイオの様子に、アーレフは目を丸くした。
「どうした、イオ?」
唇をかみしめ、泣くまい、とこらえる娘。その細い肩はかすかに震えていた。
「・・・老師。いえ、何もありません」
「ふふ、お前さんは嘘が下手じゃな。そんな顔をして、『何もない』など。いくら目を傷めたとはいえ、そこまで耄碌しておらんよ・・・本館の魔術師につらくされたか?」
「!」
びくりとイオの肩が揺れる。
「・・・いやな思いをさせて、すまんかったな。どうも、わしは世間にうとくてな」
「わたしは・・・貴方が悪く言われることが嫌なんです!!貴方はすばらしい老師だ!どんな困難なことでも、貴方の導きがあったから、私は希望を持てた!!それなのに・・・それなのに、私は何も言い返せなかった!!私が『灯り』の魔法じゃなかったら!もっと、もっと、強い、魔法の主だったら!!」
「イオ」
「っ!」
怒りと悔しさに身を震わせる、この幼い弟子にアーレフは目を細める。
―――――充分じゃ。
もともと人付き合いが苦手な性格だった。昔から自分の知識欲が赴くままに研究を続けた。それが、何をもたらすか、周りがどう思っていようかなど二の次だった。
この国最高の『知恵の館』で学ぶことが許され、よりいっそう書物に、魔術に、のめり込んだ。派閥にも属さず、ただ書物と向き合う日々。どこにも与することない立場。それがこの魔術師の世界にあって、いかに異様に写っているかなど、想像すらしなんだ。
その結果が、いつの間にやら権力争いに追い込まれ、この書庫で一人、過去と向き合う日々。
だが、それで満足していた。
自身の研究が後進に伝えられぬことを惜しくは思いながらも。
―――――だから。そんな自分がまさか弟子を持つなど、思いもよらなんだ。
さらには、弟子という存在が、こんなにも心をくすぐるものだとは。
アーレフにとって、彼ら魔術師の言うことは正しい。自分は書物に埋もれているだけで満足なのだ。どう蔑まれていようと、かまわない。
だが、それをこの愛しい弟子は「悔しい」と言う。
本当に、それだけで、十分なのだ。
「イオ、『魔法』とはな、さずかりものじゃよ。『火』の魔法じゃから強い、『風』じゃから偉いと、いったい誰が決めた?まったく、わかっとらんのう。『魔法』を人の考えで計るなど、なんと愚かな」
「でも!」
「お前さんが自分を卑下することは何一つない。お前さんは、まだ本当の力に気づいておらん」
いつになく、きっぱりと言い切る老師の言葉にイオは目を見開く。
「・・・本当の力?」
「そうじゃよ。お前さんが授かった魔法の意味を、お前さん自身を、信じてやりなさい」
「わたしの魔法を・・・自分を信じる・・・」
「そうじゃ。といっても、そう簡単にはできんかもしれんがな。若者よ。盛大に迷うといい。悩むといい。さて、今日はこれくらいにしようかの」
「アーレフ老師・・・」
「おやすみ、イオ」
その夜、寝台に横になったものの、魔術師たちの視線、老師の言葉、その一つ一つが渦をまき、イオの心をかき乱す。
「ふう」
寝付けないイオは、身を起こすと部屋から抜け出した。
ぶらぶらと小道を歩き、書庫の裏手、建物の影にひっそりと作られた、小さな泉のほとりに腰掛ける。
そして、イオが呪文を詠唱すると、彼女の言葉に応えて『灯り』が現れた。
ほのかな光に、イオは手元に目をおとす。
もうすっかり身に馴染んだ感覚。中指におさまった指輪を何とはなしに撫でていると、突然、背後から声がかけられた。
「まだ続けるのか」
ギョッと振り返ると、そこには闇に溶け込むようにして黒い男が立っていた。
「ジャハール!・・・驚かせないでよ」
イオの側に腰を下ろした魔神は、心底うんざりした表情だ。久しぶりに見るこの無愛想な魔神に、イオはなぜか胸がほっとした。
「久しぶりだね。どっか行ってたの?」
「オレのことはいい。もう充分、わかっただろう?ここに居ても、何も得るものはない。さっさとここを出ろ」
確かに、いくら最高峰の学舎とは言え、人の力には限りがある。
この魔神の知識、力があれば、イオたちが調べてきたことなど・・・・・いとも容易いことなのだろう。
けれど、それでも。
「そんなことない。・・・そんなことないよ。ねえ見て、ジャハール。ここに文字が刻んであるでしょう?」
手元の指輪をのぞき込む魔神に、イオは得意げに話を続ける。
『神の火は、 手に』
「あ?」
「摩耗してて、一部読めなかったけど、そう書いてあるんだよ。これはね、エルム語っていって、はじまりの言葉なんだって。わたしとアーレフ老師でね、解読したの。ね、ちゃんと成果はあるんだから」
この僅かな成果を調べるために、どれほどの苦労と犠牲を払ってきたのか。
作品名:アルフ・ライラ・ワ・ライラ9 作家名:きみこいし