ネコマタの居る生活 第一話
自分はまだ、この不思議な人と語り合い、何かを一緒に感じることが出来る。
「ありがとうございます……アカネコさん」
自然に、あの時と同じく、アカネコの頭に手を伸ばして、小さな黒髪の頭を包み込んだ。
「そして、今後もよろしく……お願いします」
「うむ……」
流石のアカネコも疲れたのか、うとうととしながら、夢心地で透の手の感触を感じていた。
どこか懐かしくて……優しい感触。
「そうじゃな、とーる殿」
ごろごろ。
透に寄り添うような形で眠り込んでしまったアカネコの首で、ひしゃげた銀色の鈴が、微かに煌めいた。
エピローグ
「……こりゃ酷い」
夜も深更となって、ようやく動けるようになった須崎君が、なんとか自宅に帰り着いてみると、憩いの我が家は、それこそ台風一過の惨状を呈していた。
家本体への被害は少なそうだが、門や生け垣が酷い荒れようである。
「……修繕費幾ら掛かるんだろ」
「待てい、馬鹿弟子」
自宅の惨状を見て呆然とする透の隣で、アカネコは、足音を忍ばせて逃げようとする黒猫の首筋をつまみ上げた。
「うにゃー、ミーオちゃんがにゃにをやったってんでー」
「それを説明せいと言うのじゃ、機巧兵をここまで完膚無きまでに破壊できるなど、世界広しといえど、我やそなた以外、そうそうおるまいが!」
「いやぁ、照れるじゃにゃーかよ、ししょー」
「褒めて居らぬわ!」
ごすっ!
重い打撃音が夜を僅かに騒がせる。
「うにゃー、体罰にゃ、えろすとばいおれんすにゃ、きょーいくいいんかいに訴えてやるにゃー」
……ネコマタにも公教育が有るんだろうか。
「戯け、南瓜頭を、軽く撫でた程度で騒ぐでないわ!」
今や絶滅種となった頑固親父さながらのアカネコの勢いに押されながらも、透は場を収めようと師弟のやり取りに割って入った。
「ま、まぁまぁ、アカネコさん落ち着いて。その辺りの事情を聞き取るにしろ、先ずは家に入りましょう」
優しい仲裁が入ったところで、ミーオがするりと師匠から逃げ出し、透を盾に取るように肩によじ登った。
全く爪も立てないのに、危なげない様は、流石と言うべきか。
「そーにゃ、そーにゃ、第一夜中に人の家の玄関先で騒ぐ物じゃにゃーぞ、師匠」
「こっ、この馬鹿弟子が……」
だが、現状ではミーオの発言の方が一理ある。
「うむむ……では、二人は先に家に入って居れ、我はちと用がある」
「え?あ、はぁ……どうされました?」
「今宵の事、これからの事を、ちと長老と話し合う必要があるでな」
「判りました、ご飯の用意とかは無理ですが、お風呂入るなら、用意しておきますが?」
「忝ない、何よりの馳走じゃ、頂戴致す」
「あちきもー、埃っぽくてじゃりじゃりにゃ」
「はぁ、判りました」
……風呂好きの猫か。
「では頼むぞ、我は半刻(1時間)程で戻る故、戸締まりを厳重にしておってくれ……ミーオ」
「にゃんでしょ?」
「それまではとーる殿の身命の安全、貴様がその身に換えても守るのじゃ、良いな」
「うにゃ……そら、ししょーの仕事じゃにゃーか?ミーオちゃんが命じられたんは使者の仕事だけだじぇ」
人に予定外の仕事頼むなら、もうちっとたのみよーってのが有るんじゃにゃーか、等と嘯くミーオ。
「ふん……」
そんな弟子に、軽く鼻で笑ったアカネコが皮肉な視線を向けた。
「カツ丼五杯」
「……ぎくり」
「お主もすでにとーる殿に護衛として雇われておるそうではないか、師匠として弟子と同じ仕事が出来て嬉しいぞ」
「……おい、にーちゃん」
恨みがましいミーオの視線を受けて、透は申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません、つい口が滑りました」
「ああ、あれほど他言無用と、固い約束を交わしましたにょに……お恨みしますにゃ、須崎様」
似合わない事この上ない台詞と共に、黒の子猫が、よよとばかりに嘘泣きにむせぶ。
「契約は契約じゃな、長老には我から申し上げて置く故、貴様もしばし、ここに留まって給料分は働くが良い」
「とっほっほ、一時の気の迷いで、この若くてぴちぴちの体を、イケメンのにーちゃんに安売りしてしまったにゃ」
「……あの、ちょっとその言い種は外聞が悪すぎるので止めて下さい」
「じゃ、けーやく解除したるわ。違約金は……」
どごすっ!
更に重い師匠の拳が、弟子の脳天を再度抉った。
「……きゅう」
ぱたん、とひっくり返った弟子を、無造作に師匠がつまみ上げ、透の手の中に放り込む。
「馬鹿弟子が一々ご迷惑をお掛けして済まぬ……玄関の隅にでも放り込んでおいて頂けるか。何、敵の気配を感じれば起きようさ」
「は……はぁ」
「では、お頼みする」
そう言い置いて、アカネコは春霞む夜闇の中に、ふっと消えていった。
「恐い師匠ですね」
ふにゃー、と目を回したままのミーオを抱えて、透は、周りの惨状に目を向けないようにしながら家のドアを開けて、玄関内に明りを灯した。
「ただいま」
ふっと口にして、透は今自分が口にした言葉に驚いたように、玄関内を見渡した。
ここ数年、口にした事も無かった言葉が、ふっと口をついた。
誰が出迎えている訳でもない、確かに自分の手の中では変なネコマタが気絶しているが、それとは違う。
何だろう。
靴を脱ぎ、それを下駄箱に仕舞おうとして……透は、自分が口にした言葉の意味を悟った。
彼の眼前に、綺麗に埃を拭われた下駄箱の上にさり気なく置かれた、一輪挿しに飾られた花があった。
淡いピンクの可憐な花の物だろう、甘い匂いが玄関内を包んでいる。
花の名前は知らないけど、これを朝に飾ったのがアカネコだろうというのは、何となく判った。
(おかえり、とーる殿)
この花は彼を出迎えてくれた、彼女の思いその物。
そう思って、再び視線を巡らすと、玄関内が心なしか明るく見える。
「そっか……そうなんだ」
透はもう一度、柄にもない事だが花の香りを吸い込んだ。
数年ぶりに、他の人の息吹が吹き込んだ家。
それは、自分だけで作り上げていた、心地よく淀んだ世界に訪れた変化その物。
……風流なネコマタさんとの生活も、悪くないのかな。
そう思って。そんな風に思ってしまった自分に、透は思わずくすっと笑った。
「ただいま、アカネコさん」
色々大変そうだけど……これからもよろしく。
作品名:ネコマタの居る生活 第一話 作家名:野良