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東奔西走メッセンジャーズ 第一話

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東奔西走メッセンジャーズ

プロローグ

「就職先は決まりましたか?不肖の弟子よ」
「来年もお世話になりそうです、敬愛する師匠」
 師弟愛と誠意という言葉を侮辱するような口調のやり取りを、卒論担当の氷川教授と交わしながら、俺は研究室に足を踏み入れた。
「大学へのお布施に感謝します……と言いたい所なんですけどね」
 俺より若く見えるーというか、実際に同じ年程度らしいが詳細は不明ー教授が、手にしていた書類を机の上に投げ出しながら、彼女のトレードマークになっている皮肉っぽい笑みを浮かべて俺に向き直った。
「人生の時間の無駄に金銭の無駄まで上乗せしてどうするんです?現代の人生航路では、待っても海路の日和なんて来ませんよ」
 可憐で繊細な顔立ちに釣られて、去年は一般教養で担当している講義の受講申し込みの倍率が10倍を超えた程に人気の教授だが、この情け容赦ない言動と、何より厳しい単位取得ノルマのせいで、彼女の授業に最後まで残れた生徒は1割を切った……という噂が真実でしか無かった事を痛感しながらの一年を乗り切った俺にとっては、この程度の言動は日常でしかない。
「待つ気は無いですけど、アルバイトしながら考える時間というのは必要かと思いまして」
 勝手知ったるなんとやらで、部屋の隅から煎茶の入った缶を引っ張り出して、バサバサと急須に放り込む。
 そんな俺の動作を、些か不穏な視線で追いながら、教授はその視線に相応しい声を掛けて寄越した。
「下手の考え……という言葉は知っていますか」
「身を以って良く知ってるつもりです」
 そう言いながら、俺は卓上の電器ポットに沸いたお湯を、無造作に急須に注いだ。
 教授の細くて意思の強そうな眉毛が、更に不機嫌そうに跳ね上がった。
「教授も如何です?」
「そういう、茶葉に対する冒涜の産物は、あんまり人に勧めない方が良いですよ」
「左様(さい)ですか、じゃ自前で消費します」
 来客用の菓子入れから、適当にクッキーを引っ張り出してきて、寿司屋の湯飲みを手にした俺の姿を横目で見て、教授は嘆かわしいと言いたげにため息をついた。
「小川軒のクッキーが……」
「美味いんですか?」
「そう聞き返す時点で、何をかいわんや……今度から貴方用の缶を用意しますから、そちらからだけ取ってください」
「特別扱いに感謝します」
 そう言いながらプレーンなクッキーを口にする。
 ……あ、確かにこれはその辺の安物じゃねぇや。
「それだけ図太ければ、どこの会社でもやってけると思うんですけど、なんで受ける会社受ける会社、面接で落とされるんです?」
「教授ほど人を見る目のある奴が居りませんので」
「最近、自分の眼力に自信を失いかけてますけどね」
「そりゃいけませんな、ポジティブに行かなきゃ」
「尤もですね……じゃ、ポジティブな提案を一つしましょうか」
 そう言いながら、教授は案外真面目な顔で、俺の向かいに腰を下ろした。
 見ると、俺が入室した時に目を通していた書類を手にしている。
「1年契約で仕事があります、身分的には公務員、住居は国がアパートを借り切って、その一室の1LDKを寮として支給、月給は基本給15万円+出来高と各種手当て、賞与は年2回、契約の更新や昇給もありますね」
「単年契約ってのがチト気になりますが、アルバイトよりは遥かに良さそうな感じですね……仕事の斡旋も始めたんですか?」
「最近の大学は、就職内定率が、一つのステータスになるんですよ」
「なるほど……」
 修士にも進まない学生を、研究室に転がして置くのは、あんまりいい顔をされないって事ね。
「続けますよ、募集要項としては、心身ともに健康な人物、業務内容のレポートを月一で提出するので、PC一般の操作、及びテキストエディタを使用してのレポート作成がある程度円滑に可能な事」
 どうです?と言いたげな目を氷川教授が俺に向けてくる。
 昨今はネット等をスマホやゲーム機、テレビ等で済ませる人が増えており、意外にPC所持率自体は業務や趣味で使用する人を除くと、下落傾向にある。
「それも問題ないですね」
「当然ですね、私が能力全般に問題無いと判断したから斡旋してるんですし」
「……じゃ、なんで俺に確認してるんです?」
「業務内容の説明を斡旋時に実施し、本人確認を取った……という形式を踏んでるだけです」
 そっけなく言い放って、教授は書類をめくった。
(こういう人だよ……)
 心の中だけで苦笑して、教授の声に意識を戻す。
「各種保険完備、休日と勤務時間に関しては各自の勤務先と相談ですが、週に二日の休みの確保と、一日の勤務時間は8時間、残業は週40時間を越えない事が義務付けられています」
「建前じゃなくて……ですよね」
「当然でしょう?期限を切ると言っても公僕ですよ」
「ははぁ……流石に天下の公務員様ですね」
 俺の陳腐な皮肉に、氷川教授は落第と言いたげに肩を竦めた。
「私に対する皮肉と受け取っておきます……で次ですが」
 そういや旧帝大だったっけ、ここ。一応、教授もみなしとは言え公務員か。
 更に何か労働条件を読み出した氷川教授の顔をちらりと見やる。
 らしくないな……妙に核心を外した受け答えをされている気がする。
 意図的な物か知らないが、どうにも気になる。
「あのですね、教授」
「何か?」
 そう問い返す教授の表情を見て、やはり自分が釣られたのを自覚したが、今更仕方ない。
 俺はさっきから知りたくてたまらなかった事を口に出した。
「業務内容は何なんです?」
「ああ」
 うっかりしていました、などとわざとらしく言いながら、教授は書類の表を俺の方に放って寄越した。
「政府主導で、現在急ピッチで整備が進められているモデル都市の住人になって、物流の一翼を担って頂くだけですよ……ただし」
 書類を手にして、その表紙に目を落とす。
(Energy-SavingTownOperation?)
 ETO(省エネルギー都市計画)……って、確か教授もオブザーバー参加してた気が。
 なんか、昔の恩師の頼みだから渋々らしいけど。
 そんな事を思いながら顔を上げたら、珍しくーというか初めて見たかもしれないー悪戯っぽい笑みを浮かべた氷川教授が淡い桜色の唇を開いた。
「自転車で」
「……へ?」

 
「やれやれ、草臥れた」
 江都中央駅東口に、慣れない大荷物を抱えて降り立った俺……沢谷通雄は周囲を見渡した。
 というより、電車の中に袋詰めした自転車を持ち込み、それを抱えて移動するのに疲れたので一息吐いた……というのが正しい。
(今後、自転車が生活の中心になりますからね、輪行(※専用の収納袋に自転車を入れて、電車を利用して移動する事)位は出来るようになっておいた方が良いと思いますよ)
 さらっとそんな事を言う教授の口車に乗った事に、今更ながら後悔の念がこみ上げる。
「恨むぜ……教授」
 周囲に気を使わないといけないし、意外なほどに自転車ってのは大きいという事実を嫌な形で実感させられた1時間の電車の旅だった。
「それにしても……長閑なモンだ」
 破綻した自治体を国が引き取りモデル都市として再建する、そんなプロジェクトの成果が眼前に拡がる。