紺青の縁 (こんじょうのえにし)
銀閣寺道から百万遍まで長く緩やかな下り坂が続く。そんな坂の途中に。そう、それはまさしく同じ場所に。霧沢はそのジャズ喫茶店を見付けたのだ。
実に不思議だ。八年の時を越え、当時のたたずまいのままで、それはそこにある。霧沢は一種のスピリチュアルな驚きを持って立ち止まる。
だが、今は春本番、光がより強く輝き始めているのを感じさせる時節。それだというのに、店内はほの暗くて憂鬱そう。
「へえ、こんなのだったのか?」
学生時代の想い出は、この八年の歳月の経過とともに間違いなくセピア色にはなっていた。だがイメージとしてはもう少し明るい色のはず。しかしそれは、奥深い森の泉のほとりで、まるで眠るかのように幽暗にそこに存在していた。
霧沢はそのジャズ喫茶店を目の前にして、一瞬戸惑った。しかしそれはすぐに消え去り、当時の仕草のままゆっくりとドアーを押し込んで店内へと入って行った。
その薄暗い店内には二、三人の学生たちがいる。そして無気力に、重くて鈍いジャズの旋律を放心したように聴き入っている。
「ああ確かに、あの頃もそうだったなあ」
ともすれば、学生時代の自分が今そこに座っているような錯覚に陥ってしまう。
霧沢はそんな世界に戻ってしまったのか、何の迷いもなく、あの頃と同じ奥のテーブルへと進んだ。そして条件反射的に椅子を引きずり出して座った。
その後、少しの間を取って、当時と同じ安いブレンドコーヒーを注文した。それからしばらくして、かってと変わらぬ絵柄のない白いカップに、コーヒーが八分目に注がれて出てきた。霧沢はブラックのまま、すぐさま一口味う。
「そう、これだった。昔と一緒の香りだよなあ」
その仄かな香ばしさが学生時代へと、時空を越えてワープさせてくれる。そんなノスタルジックな癒しに浸っている時に、霧沢は鋭く突き刺さる視線を感じるのだった。
疑いもなくカウンターの奥の方に一人の女性がいる。霧沢はその視線に反応し、ちらっと見る。
薄暗い店内であり、はっきりとは確認できないが、どうも女性がじっとこちらを見ているようだ。「多分、同世代くらいかなあ」と霧沢は思った。その女性は瞬(まばた)き一つせず、こちらを窺(うかが)ってるかのようにも見て取れる。
それからさほど時間の経過がなかった時のことだった。その女性が霧沢の席の方へとツカツカとやって来た。
「ひょっとしたら……、霧沢君じゃない?」
作品名:紺青の縁 (こんじょうのえにし) 作家名:鮎風 遊