紺青の縁 (こんじょうのえにし)
霧沢亜久斗、三十一歳の春、古都京都の染井吉野桜が春爛漫と咲き誇っていた。そして花の命はあまりにも刹那で、あっと言う間に散り終わった。
そんな後に、仁和寺の中門内の約二百本の御室桜(おむろざくら)が満開となる。淡いピンクの桜は低木で、遅咲きの八重桜。木の下は岩盤で根が張れず、また栄養分が少ないため背が低い桜になると言い伝えがある。
また別名、花(鼻)が低いため、お多福桜とも呼ばれている。
四月二十日頃ともなれば満開。境内一帯が薄紅色に染め上げられる。
そんな花の宴が今にも開かれようとしていた頃に、洋子は誰もいないクラブ内で首吊り自殺をした。そして洋子の初七日も終わり、時節は卯月から皐月へと移り変わっていった。
洋子の突然の死ですっかり落ち込んでいたルリ、霧沢が一所懸命支えた甲斐があったのか、徐々に元気が戻ってきたようだ。
そんなある日、ルリが瞬きもせず、まるで何かを訴えるかのように霧沢に話す。
「アクちゃん、洋子のことは本当に辛かったわ。だけどいつまでも悲しんでられないし、これからの私たちのこともあるからね。少し気晴らしをしたいの、だから、この時期植物園のチューリップが真っ赤に咲いているでしょ、それを見に行ってみたいの。お願い、アクちゃんも一緒に来てくれない」
京都府立植物園は大正十三年(一九二四年)に開園された。賀茂川の清流の東に位置し、北大路通りと北山通りの間に約七万二千坪の広大な敷地を有し、そこに約十二万本の植物が植えられている。
そして四月から五月は真っ赤な絨毯を敷き詰めたかのように、チューリップが華やかに咲き乱れる。
ルリはそんな中に身を置いて、傷付いた心を癒し、霧沢との将来に向かってもっと元気を取り戻したいと言う。
霧沢はたとえこんなささやかなルリの望みであっても、それにしっかりと応えてやりたい。少しでも婚約者、ルリのためになることならば、それを断る理由はない。こうして霧沢は、次の日曜日の昼前に植物園の入口でルリと待ち合わせをした。
その日の天候は五月晴れ。春光うららかな青空に、鯉のぼりの真鯉、緋鯉、子鯉が仲良く泳いでいる。ポカポカと暖かく、植物園のチューリップを見て歩くには絶好の日和だ。
霧沢は約束の時間より少し早めに行き、正面入口の横で待機した。ルリを待つ時間、それがゆっくりと流れていく。しかし、霧沢はそれが苦にはならない。
八年間もルリの前から消え、そして一年前に再会した。そして京都駅で、東と西への反対方向へと走り行こうとする新幹線に、それぞれが一分差で乗車するところだった。しかし、霧沢はそれがルリとの生涯の別れになるのではと感じ、博多行きの新幹線に乗車できず思い留まった。そしてルリも東京行きの新幹線に乗れなかった。
霧沢はルリがいる上りプラットホームへと駈け上がり、泣くルリをしっかりと抱き締めた。そして心に誓った。これからはルリと共に生きて行こう。そしてルリを絶対に幸せにしてみせると。
作品名:紺青の縁 (こんじょうのえにし) 作家名:鮎風 遊