紺青の縁 (こんじょうのえにし)
「そうお、私元気そうに見える? そうなんかもね、主人は疾(と)っとと逝ってしもうたけど、私にはお仕事があるしね。これでも結構忙しいんよ、いつまでも悲しんでられないわ。知ってはるでしょ、私の性格……、欲張りなのよ、何でも独り占めしたいの」
桜子はもう悲しみを吹っ切ってしまっているかのようだ。そんな様子を見て、霧沢はひとまず安心した。
しかし、そこには何か秘密がありそうだ。そして、それに執着した桜子の歪んだ意志をどことなく霧沢は感じ取った。
「桜子さんはまだまだ若くって綺麗だし、心機一転、これからも愛ある人生になっていけば良いのにね」
霧沢は愛という言葉を使い、扇動的にもこう突っ込んでみた。すると桜子は「そやねえ、もちろんそうなって欲しいわ」と素直に微笑む。
そして、こんな会話を交わしている時に、霧沢は見付ける。床の間の隅っこに、無造作に置かれてある二枚の絵を。
それらはなんとあの青い絵。
一枚はルリがジャズ喫茶店に飾っていた〔青い月夜の二人〕の絵。
青い月夜の茫洋とした海で、まるで行く当てもなく浮かぶヨット。その船上には、男女二人が月光に照らされて抱擁している姿がある。
そしてもう一枚は、ママ洋子がクラブに飾っていた〔青い月夜のファミリー〕の絵。
一艘のヨットがブルーな海に、帆に夜風を一杯に受けて、水平線の向こうにあるであろう目的地へと、まるで希望を膨らませて快走しているように見える。そして乗船しているのは三人。男女の間に幼子が描かれてある。
「桜子さん、あれらの青い絵、どうしたの?」
霧沢は何気ない風を装って訊いてみた。桜子はそれに対して大きな反応を示さず、「ああ、あれらね、宙蔵の絵よ。人手に渡ってしもうてたんだけど、この際だから買い戻させてもらったんよ。ちょっとお値段は高うおしたけどね」と澄ましてる。
霧沢は「買い戻した? へえ、そうなんだ」と頷いてみたが、何がどうなってしまっているのかがわからない。
「霧沢さん、あの青い絵、もしお気に入らはったんやったら、宙蔵の形見分けで、持って帰ってくれはっても、ええんよ」
桜子はそんなことまで言い始めた。霧沢はこれには言葉を詰まらせて、「いやいや、そんなの、桜子さんにとって思い出の絵なんでしょう、結構ですよ」と応答するのが精一杯だった。
しかし、「やっぱり霧沢さん、あれらの絵に、宙蔵の気持ちが込められ過ぎててね、私、もう耐え切れないところもあるんよ。だからお願い、もろうて帰ってちょうだい」と、桜子が意外にも涙声で懇願する。
作品名:紺青の縁 (こんじょうのえにし) 作家名:鮎風 遊