紺青の縁 (こんじょうのえにし)
霧沢亜久斗、六十歳、その年の八月十六日。その日は京都五山の送り火の日だった。
霧沢は妻のルリと夏の茹だる昼下がりに出掛けて行った。
最初に立ち寄った所が思い出の一杯詰まったジャズ喫茶店。そして、今暮れなずみ行く中、嵐山へと向かっている。
そもそも五山の送り火は、先祖のお精霊(しょらい)さまをお迎えし、そして供養するもの。その後に、極楽浄土へとお送りする行事なのだ。
その五山の中でも、嵐山の送り火は鳥居形。それは夜八時二十分に点火される。そして、それを渡月橋(とげつきょう)から望める。
また嵐山の中之島公園では、桂川の灯籠流しが催される。それはお精霊さまに灯籠に乗ってもらい、浄土へとお送りする行事。
霧沢とルリは北野白梅町から嵐電(らんでん)に乗り、嵐山へと電車に揺られている。カタンコトンと心地良い響きを身体全体に感じながら、龍安寺(りょうあんじ)、妙心寺(みょうしんじ)、御室仁和寺(おむろにんなじ)を通り過ぎて行く。そして三十分ほど揺られて、嵐山駅に到着する。
二人は駅舎の人混みを抜け出し、渡月橋へと歩いた。
日はすでに西へと落ち、夜のとばりが辺りを包み始めている。しかし、鳥居形の送り火を一目見ようと浴衣姿の人たちで賑わっている。
そんな中へと霧沢とルリは身を埋めてしまい、汗ばむ身体を寄せ合って、何も言わずにじっと待っている。
時間は確実に刻み行き、いつの間にか八時となり、そして八時二十分となった。こうして五山の送り火の一つ、鳥居形が時間通りに点火されたのだ。
この一瞬を待っていた多くの人たちから、わあと歓声が上がる。大文字ほどの激しさはないが、それぞれの炎の塊が点々となり、そしてそれらは線として結ばれ、鳥居形の火の絵を夜空に浮き上がらせる。その盛りに、山はこれでもかと紅く染め上げられていく。
そしてその後、うたかたの勢いは衰え、炎は淡くなり儚くも消えていく。そんな真夏の古都の伝統行事は二十分ほどで終了する。
そして人たちは、そこにこの世の諸行無常を感じ取ったのだろうか、賑わいは静まり、それぞれの日常へと戻っていく。
霧沢とルリも人に押されるように歩き始めた。だが二人がそこから向かった先は、渡月橋を西へと渡り切った所にある中之島公園。そこで執り行われている灯籠流しへと進んだ。
お精霊さまに灯籠に乗ってもらい、浄土へとお送りするために、多くの人たちは会場で手続きを待っている。
霧沢とルリもその順番を待った。そして手続きを完了させ、五人の灯籠を流した。
その五人とは、霧沢とルリの友人たち。
花木宙蔵に洋子、そして桜子、さらに滝川光樹と沙那。
霧沢にとっては、学生運動でキャンパスが揺れていた頃、美術サークルを通し、またその周りで縁あって出逢った友人たち。
しかし卒業後、霧沢は海外へと飛び出し、連絡を断った。そのために八年間の空白ができてしまった。そして挫折を背負って京都へと戻り、ヘレン・メリルの哀愁ある歌声が流れるジャズ喫茶店でルリと再会した。
そこからまた繋がり、それぞれの友人たちと再会していった。
作品名:紺青の縁 (こんじょうのえにし) 作家名:鮎風 遊