紺青の縁 (こんじょうのえにし)
祇園祭のお囃子、その練習なのだろう、遠くからコンチキチン、コンチキチンという音が聞こえてくる。
霧沢は四条通りから細い路地の先斗町(ぽんとちょう)へと歩き進んだ。
時は逢魔(おうま)が折、はんなりと着物を着こなした芸者たちとすれ違う。身に纏ったふわりと香るお香、その残り香がお茶屋の軒先に漂う。
まだすっかりと夜のとばりは下りてはいないが、両側の京料理店の灯りが一つ一つ灯り出す。
霧沢は先斗町から木屋町へと抜ける細い路地へと入って行った。石畳に打ち水がされてある。そのためかその局所だけ、ひんやりとした涼風を感じる。
そんな所に龍二の小料理店・鴨川青龍があった。
遡ること約一千年前のこと、桓武天皇はこの地に平安京を開いた。それは四神相応(しじんそうおう)。つまり山城国は、青龍/白虎/朱雀/玄武の四神の方角に良い地勢であり、都として最適であった。
その四神の中で、東を司る神が青龍。先斗町に沿って北から南へと流れる鴨川は、その青龍に見立てられた。
龍二の小料理店の屋号は鴨川青龍。それは龍二の龍と重ね合わせて、きっと名付けられたのだろう。霧沢はそんなことを思い為(な)しながら料理店の前までやって来た。
そして引き戸を引き、中へ入ろうとした。しかし開かない。店が閉まっているのだ。
霧沢は夜の営業のためにもう開店する時間だと思ったが、入口辺りをよく見てみると、「勝手ながら、暫く休業させてもらいます」との張り紙がされてある。「休業って、どういうことなんだよ」と霧沢は不思議に思いながら、ドアの隙間から中をそっと覗いてみた。店内は薄暗い。だが電灯が仄かに点き、誰かがいるようだ。
霧沢はいろいろな推理の果てに、折角ここまで辿り着いたためか、諦め切れず思い切って戸を叩いてみる。すると中から少し大柄だが、顔立ちのスッキリとした容姿端麗な御婦人が現れ出てきた。
「あのう、ここの女将さんですよね。すいません、鴨川青龍さんの味の評判を聞き付けて訪ねて来たのですけど……、暑くってね、ビールだけでも一杯飲ませてもらえませんか、ダメですか?」
霧沢はできるだけざっくばらんに尋ねてみた。するとその御婦人は、しばらく霧沢の顔をじっと覗き込んでいる。そして、その後あっさりと、「ああ、よろしおすえ。さっ、ダンさん、中へお入りやす」と、自分が女将なのかどうかは答えずに、招き入れてくれた。
店内は小綺麗に片付けられていて、清潔感がある。そしてクーラーがよく効かされているためなのか、冷風がひやりと肌に気持ちが良い。
霧沢はその御婦人から言われるままにカウンターに座った。そしてビールが出てくるのを少し待った。
しばらくして、その御婦人は大瓶のビールと小皿三枚を盆に乗せて運んできた。そしてそれらを霧沢の前に丁寧に並べてくれた。
ビールのあてにと、にわか作りではあるが、山椒の香がする長岡京のたけのこに京の千枚漬け、そしてふわりと炙った沖ギスの干物が目の前に並んだ。いずれも霧沢の好物だ。
「この店は休業をしていると言うのに、突然訪ねて来た客を、これほどまでにもてなしてくれるとは」と、霧沢は嬉しくなってきた。
作品名:紺青の縁 (こんじょうのえにし) 作家名:鮎風 遊